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母親との関係改善と、自分の将来について

長文すみません。 当方、27歳女です。 いくつか質問があり、自分のことに関することなので、客観性が無いのかもしれないですが、ずっと匿名ではないリアルな人間関係で色々試しましたが、解決しないので、ご質問させて頂きます。 一言で言うと、 「母親が理解出来ない・上手いコミュニケーションが取れない→母子関係に疲れた。母が嫌い」 こういった内容になります。 ずっと苦しんで来ました。 母親は自己表現が全く出来ない人で、私に関する事で話しかけても、9割方のトピックに、意見を言いませんでした(私の進学先や、結婚、留学等)。母に何か意見を言えるとすると、「歯磨きの仕方」とかものすごくニッチなことだけでした。 そのため、私は全てを「一人で決めなければいけなかった」という感覚が強く(実際にはそうではないのかもしれませんが)、母親に「迷った時に相談に乗って欲しかった」「私という人間を見て、共感や理解を示して欲しかった」という思いが消えません。 父と母は仲はいいです。私は父のことは大好きで、父もコミュニケーション能力が高い人なので、10代前半くらいまでは、何とか母の人格的損傷(?)をもってしても、グレたりすることは無く、ある程度の人格的肯定をもって何とか生きてくることができました。 しかし、思春期から明らかに自分がおかしいな、と感じ始め、それは特に恋愛面(女性性の解放の部分)で起こりました。 私は元々情緒が豊かな方のようで、3歳くらいから「好きな人がいた」という自覚がありましたし、絵や音楽などが好きでした。高校なども、そちらの方面に進みたいと希望しておりましたが、それに関しては両親ともいい顔をせず、仕方なく普通科へ進みました(色々な要因があり、基本的にはずっと勉強は出来る方でした)。ここでも、「芸術の道を諦めて、県下の進学校へ行ったのだから何かしらの購いが親からあるだろう」と漠然と思っていた自分がいたのですが、そういった感情のやり取りは全くなく、個人的にはとてもがっかりして高校時代を過ごしたように思います(この頃になるともう既に父親では、ポジション的に、私の望むようなフォローができなくなっていました。) 私は、内心早く恋人が欲しかったのですが、上に兄弟がおらず、とりたてて目立つ容姿という訳でもなかったので、そういった機会に沢山恵まれた訳ではなかったのですが、数回告白される、といったことがありました。私としては、そういうことを母親にいの一番に相談したかったのですが、私の中で母親のイメージは常に疲れて不機嫌で(中高の教員をしていました)、何を言ってもイライラされる、といった印象しかありませんでした。 なので、相談できず、友達に話してお茶を濁す(告白してくれた相手には失礼ですが、問題は、ここでは私の恋愛関係ではなく、私の人格や失敗や悩みを含めた私の日常の行為を、母親が全く受け取ってくれなかった(その可能性を覗かせなかった)という方にテーマがあります)という経験しか持てずに高校時代を終えました。 その後はもうむちゃくちゃで、全く高校時代と同じことが大学入試でも繰り返され、私はムキになって偏差値的には一番高いところへ行きましたが、当然の如く全く大学生活に意味を見出せず、無気力で無為な4年間を過ごしました。 (受験時も基本的に母は「私のしたいようにすればいい」と繰り返すだけで、私にはその言葉が重く、結果何がしたいのか分からなくなり、結局偏差値という外部的な尺度に頼るのみとなりました。) とにかく母は、ある種のストイックさを身にまとった人で、それが「貧しくても楽しい」「節約節約」といった、人間的なものでは無く、ロボットや鉄仮面のような、オートマティックな感じが不自然でずっと「怖い」「気味が悪い」と感じていました。 特に幼少期から鮮烈に覚えているのですが、母親が「専業主婦」を目の敵のように言ったり、「化粧は男への媚だ」的なことを言ったり、上機嫌な女の人を見かけるとバッサリと「ああいう馬鹿な女はいない方がいい」といった趣旨のことを言うのが嫌でたまりませんでした。 特に思春期に入ってからは、そういった母の「女性性の否定」がとても不愉快に感じるようになり、母親から距離を置きました。 (ちなみに、なぜ化粧も一切しない地味な「おじさん」のような外見の母親が、父のような(現に父は私の女友達や、教えていた大学の女子学生からもかなりの人気がありました)スペックの高い男性とずっと夫婦生活を続けて来れたかというと、二人は従兄妹関係にあり、圧倒的な信頼感に加え、小さい頃からの思い出や共通の話題の蓄積が他夫婦よりはるかにあったことが原因のようです。) また、時には距離を置くだけではなく、個人攻撃も何回もしましたが、この時も母は言い返すでもなく、泣くでもなく、鉄仮面のような表情を続けていました。私にとってはのれんに腕押しだったので、もう直接本人には言わず、彼氏(何人も変わりました)に当たったり愚痴ったりして、ずっと本当の意味での母子関係の問題の解決を回避していました。 母とは、ほぼこの10年ほど絶縁状態(と自分は思っていましたが、そもそも向こうは連絡を取る、という習慣の無い人なので、そう思っていたかは微妙です)昨年、私が離婚したことをきっかけに、少しは距離が近づいたかと思ったのですが、結論を言うと私が「変わって欲しい」と思うほどには変わってくれません(私はそれを要求し、向こうも「変わる」と宣言してくれました)。 もう、それは小学生の女の子同士のように「交換日記」をしてみたり1日に何通も手紙を出してみたり(私は離婚後も一人暮らしをしています)、と今まで30年弱の母と娘の関係の空白を埋めるべく、私としては様々な努力をしているのですが、母は余り変わってくれません。 私は、離婚当初はせっかく一人になれたのだし、一人でパリへ行ってしまおうと思っていたのですが、母との不仲をちゃんと解消できる人生で最後のチャンスかも!!と思ってこの半年以上頑張っていたのですが、これはもう無意味でしょうか。 ちなみに、元夫も含め、男性と私が上手く行かないことが多い原因も「どんなに男に愛されても世界で一番関心を持ってくれるはずのお母さんに私は愛されていない」という屈折した劣等感が根底にあったように思います。 「母とパリへ行く」を目標に(母も同意はしてくれています)頑張っていたのですが、向こうは一向に変わる気配も見せないし、私の人生ももう一度やり直すならもう余り時間を無駄にしたくないので、母のことはもう置いておいて自分の人生を生きていいでしょうか? あるいは、やはりここで踏み止まって世界で唯一の「母」という存在と、何らかの和解を見るまで頑張った方がいいのでしょうか。微妙な時です。 ちなみに、最後になりましたが、母の両親の夫婦関係は母が小学生の頃から破綻していて、借金や暴力、そして気の強かった祖母が祖父を責め、娘に対して極度の教育ママとなり生き直しを図った典型的な「娘依存症」です。母は、祖母の夢を一心に受けて自我を殺しまくって生きて来た「THE いい子」なので「自分が自我を殺している」ということにすら、私がこの半年間口をすっぱくして言い続けるまで、「は?何のこと?」といった感じでした。 祖母はもう80で、何も聞きませんし変えられません。どうしたらいいでしょうか?母を変えるのは難しいでしょうか?この問題からはもう手を引いた方がいいでしょうか(何度もそうしましたが、上手く行かなかったので立ち返って来ている訳ではありますが…) もしも手を引いた際、私は自分の母親に関して、どういったストーリーを自分の中に持てばいいのでしょうか(特に、もしも自分が母親になった場合)? 自分が子供を産んだ場合、殺伐とした母子関係を生きたくありません。しかし、自分と母親の間にその絆が無い場合、子供と円満な関係を築くことができるものなのでしょうか?もし無理なら、子供は産まないという選択肢も自分の中では有りなのかな、と思う今日この頃です。 すみません、全くの知らない方にこんな長文と半生のようなことを書いてしまい、申し訳ありませんでした。 もしも、コメントを下さるだけの余裕と経験、直感のようなものがある方は、(お手柔らかに…笑)ご意見頂けると嬉しいです。

みんなの回答

回答No.6

こんにちわ。 とても、親御さまとの関係、特にお母さまとの関係に依存性を感じますね。 >>「どんなに男に愛されても世界で一番関心を持ってくれるはずのお母さんに私は愛されていない」という屈折した劣等感が根底にあったように思います。 何でも、分析をされ、評価/判断/をしておられますよね。 ・・・やはり、質問者さまの約、30年近い苦悩は「甘えたい時期にそれがなかった。許されなかった。」これが、やはり大きな主要な原因/要因/であるように思われます。 例えでいえば下手ですが、ペット(犬・猫・その他)などでも、産まれて直ぐに“マーケット”に直行することはないです。暫くは親といしっしょに居て十分に気持ちを安定させて(最低でも1~2ヶ月くらいは。)そして一人で遊べるようになって初めて“ショップ”へとなるようです。(気に障ったらごめんなさいね。) ・・・貴女の中(潜在意識?)に刷り込まれてしまっている母親さまへの意識(感情)は文面からして、失礼とはおもいますが、「お気の毒に」とした想いと「いつまで、亡霊/幻覚/救われない魂」を追い求めておられるのかとしたおもいですね・・・。(これも気に障ったらごめんなさいね。) そして、こうした事は誰が“良い悪い”とした類のものてはないように思われます。 祖父母さまにしろ、ご両親さまにしろ質問者さまにしろ、「人格」(パーソナリティー)の問題ではと思われます。(考え方の相違?) 『・・・上機嫌な女の人を見かけるとバッサリと「ああいう馬鹿な女はいない方がいい』とした個性の強い面も持っておられる。 その反面、ご自分の娘に関しては、「好きにすればいい。」としたアッサリとした面も持っておられる・・・仰っておられた様に、祖母さまもハッキリとしたご性格の方の様なので、やはり、「思考性」は似てこられると思われますよね。 「暖簾に腕押し」/「変る。と言っては変わらない。」それら等のお気持ちはわかりますが、今更とやかく言ったところで何の解決策にもならない事はお分かりですよね。? >>祖母はもう80で、何も聞きませんし変えられません。どうしたらいいでしょうか?母を変えるのは難しいでしょうか?この問題からはもう手を引いた方がいいでしょうか(何度もそうしましたが、上手く行かなかったので立ち返って来ている訳ではありますが…) もしも手を引いた際、私は自分の母親に関して、どういったストーリーを自分の中に持てばいいのでしょうか(特に、もしも自分が母親になった場合)? そうですね・・・繰り返しになってしまいますが、『この問題から手を引く』といった「ものの捉え方」を変える事も1つの策ではないですかね。(囚われない様にするとした。) そして、『私は自分の母親に関して、どういったストーリーを自分の中に持てばいいのでしょうか(特に、もしも自分が母親になった場合)?』これもご自身の捉え様の問題ではないですかね。 質問者さまは頭が良すぎるが故に何事にも『テーマ』を付けて解釈なり、解決を探り出したいとお考えのようにも思われますが、どうでしょうね。? こうして質問者さまが、長文でお話されている事はご自身の『心/感情』とどう向き合うかとした“姿勢”にあると思いますよ。「IQではなく、むしろEQとした“心”の知能指数ともいえないでしょうか。?」 人(人間)というのは分からなくて当然ではないですかね。(人口の数だけみんな違うとでもいうか。) なので、数学の様に割り切れるものではないと思いますよ。 「割り切れない」から割り切った考えをしないと“ややっこしく”なってしまうんだと思いますよ。 考えても答えの出ないものはなるべく回避しますね。(私のばあいですが。) >>自分が子供を産んだ場合、殺伐とした母子関係を生きたくありません。しかし、自分と母親の間にその絆が無い場合、子供と円満な関係を築くことができるものなのでしょうか?もし無理なら、子供は産まないという選択肢も自分の中では有りなのかな、と思う今日この頃です。 最後になりますが、本当にそうしたお考えであるなら大丈夫ですよ。我が子を愛するお気持ちがあれば・・・そしてまた、失礼な言い方になりますが、親御さま達を「反面教師」と捉え、たくさんの愛情を注いで挙げたら宜しいことですよ。 物事、何でも先回りして良くない方向へとする「思考回路」を改善されてください。 結婚して、子供さんをたくさん産んで温かい家庭を持ちご自身のお城(癒しの空間)を築いてください。 散々、失礼な事の連発で申し訳ありませんでした。お詫び致します。

  • blcquv
  • ベストアンサー率58% (25/43)
回答No.5

40代女です。 家族との関係に苦しんでいる人達を支える活動をしていて、私自身、両親との関係に苦しんでいました。 あなたは自立した成人なのだから、お母さんとのことより自分のことに集中したらどうでしょうか。 お母さんはお祖母さんの支配により自我が育たず、幼馴染みで近い親戚のお父さんと結婚したため、「自分以外の他者との関係を築き、愛する」という力も弱いと思います。 残念ながら母親としての愛情に欠けていますが、そういう人なのだから仕方がありません。 お母さんも自分のあり方が苦しいから、不機嫌だったり女性的な人に暴言を吐くのでしょうが、本人がそれを認めて変わろうとしなければ、変わりません。 ですからあなたももう割り切って、自分が望む愛され方を要求せず、旅行の誘いにのってくれただけでも良しとしたらどうでしょうか。 私の母も自己愛を満たすために私を愛するふりをした人だったので、母親から愛されなかった娘の辛さは分かるつもりです。 しかし、親の愛情が不十分だったり歪んでいても、人は自分を育てて生きる力が備わっているはずですから、お母さんではなく自分を頼りにしてはどうでしょうか。 あなたは、親にいい顔をされなくて芸術系の高校進学を諦める、そのかわりに親に何か購ってもらおうと思う、それが叶わなくて意気消沈した高校生活を送る、ムキになって偏差値の高い大学進学をする、無気力で無為な大学生活を送る…など、お母さんと似ていて自分というものが希薄です。 自分の将来を考えられる年齢なのに、自分で将来を切り開いていける機会なのに、主体性がありません。 その原因がお母さんにあったとしても、大きな節目に二度も無責任な姿勢をとっています。 NO.2さんが書いていらっしゃることと重なりますが、親がいてもいなくても自分の人生は本人がどうにかしないと始まりません。 あなたがお母さんに見切りをつけられず執着しているのは、あなたもまた心理的に未成熟で受動的だからではないでしょうか。 そういう自分を大きく強くしていくために、心理や家族関係の専門家のセッションを受けたり、同じように家族との葛藤を抱えている人達とのワークショップに参加してみてはどうでしょうか。 祖母のせいで母がこうなった、母のせいで私がこうなった、私が男性と良い関係になるために、私が子どもと良い関係になるために、母との仲を修復する、と捉えているようですが、単純な足し算でどうにかなるものではないと思います。 家族関係の分析は単なる情報処理で、参考要素でしかないからです。 むしろあなたの今後の人間関係や生き方に大事なことは、これから出会う人達に素直に心を開くことです。 男性を好きになったら、お母さんに愛されなかったことを卑下もせず言い訳にもせず、愛し愛されることに感謝することです。 元彼達にお母さんのことを愚痴ったりあたったりしたそうですが(お母さんの代わりに無関係な元彼達に依存していたわけで、ここにもあなたの甘えが見て取れます)、パートナーには打ち明けてもいいですが、負の感情は心理や家族関係の専門家に話を聞いてもらって解消していくべきです。 子どものことを危惧していますが、それらの過程をふんでから考えれば良いことです。 お母さんから解放され、パートナーと将来を考えられるようになったら、改めて子どもを持つ不安をパートナーに話し専門家に相談し、一緒に乗り越えていくのが道筋です。

回答No.4

お母さまの生育史を丁寧に知ってみませんか。 それは、とりもなおさず、 お母さまのお母さまであるお婆ちゃまのことを 知ることになるのですが……もしかしたら、 お婆ちゃまのスタンスは、質問者さまのお母さまと 同じようであったのかもしれませんよ。 負の感情、負のエネルギーが飽和的に蓄積されて いるのかもしれませんが……とりあえず、 すべてを許しませんか。 ちょっとだけで宜しいので、 心のエネルギーレヴェルを高くして、 (ショートショートなので2~3分間で読めますので) 星新一さんの『ある夜の物語』を読んでみてください。 読後、質問者さまの『ある夜の物語』を書いてみませんか。 書いているプロセスで、何らかの閃きの訪れが あるかもしれませんよ。できれば、 森瑤子さんの『女ざかりの痛み』を先に 読んでみると、いいかもしれません。 〈ふろく〉 許すには、心の部屋を1つだけ増やせばいい。 (『私の頭の中の消しゴム』) 弱者は決して許すことができない。 許しとは強者の態度である。 (Mahatma Gandhi) 萬華鏡この世は夢を見るところ   (詠み人知らず) Have a nice time!

回答No.3

質問者さんの文面を見て、感受性の豊かな人だなぁと思いました。 表現の自由をよく分かってらっしゃるようなので、仮に子供が生まれても困らないと思います。 その辺の心配はする必要がないのでは。 子供にとって親は、尊敬や尊厳ばかりじゃないと思います。 反面教師になる部分のほうが大きくて当たり前です。 親も完璧な人間ではないですから。 それを受け入れないと、前に進めないかもしれません。 親子の絆って確かに大事ですけど、それを依存してる人と一緒にしてはいけないと思います。 質問者さんは、まだ少し母親の存在に依存してる感じがあります。 夫婦もそうですけど、依存だと上手く行きません。 親子関係にも影響が出てきますし、お互いのためになりません。 家族って依存するものではなく、共存するものだと思うんです。 そこを履き違えてると、バランスがとれない家庭になるんじゃないでしょうか。 質問者さんの母親に関しては多分、元々他人とのコミュニケーションが苦手なだけではないですか? 癖のある母親に育てられてきて、他人の感情を察する、または受けとる事などに本気で乏しいのかもしれません。 母親を変えるのではなくて、そういう人だと割り切って接していくしかないのでは。 現に私は割り切ってます。 昔より、傷つくことは減りました。 こんな親でも自分の親なんだなと思うこともありますが、 自分に子供が生まれてからは、育ててもらった恩のほうが大きく感じるようになりました。 今後もし質問者さんが新しい家庭を築くことがあれば、子供は生まないなんて言わずに ぜひ子供との人生を考えて欲しいなぁと思います。

  • keyfu
  • ベストアンサー率24% (53/216)
回答No.2

貴方の理屈だと母親が何かの理由でいない中で生きてきた育ってきた女性は誰もが心がひん曲がってしまって決して幸せになれない...はずなんですよねえ… 当然何かの理由で父親がいない男性や片方の親かもしくは両方の親を早くになくした人も心がひん曲がっているかあるいは何かが欠損して幸せにもなれず将来子供が出来てもいい親子関係は築けず殺伐とした関係しか作れず寂しい人生を生きるって事になります。 でも現実は…世を見回してもそういう人も確かにいますが現実はどっちかというとそうではありませんよ… また、“もう母がいないって人なら諦めつくだろ、なまじ傍にいるから...なまじ生きてるから…”なんていう事も思うのかもしれませんが例えば物心ついた時にはどっちかの親が病気になっちゃってまだ生きているけどうまく意思疎通が出来なくなったそんな環境の中で育ち生きてきた人はじゃあひどい人生になるかといえば…それもそうでもなかったりします。 “こういう風にしてくれない”“こんな風じゃない”“それを私がどれだけ欲しがってるのかちっとも判ってくれない”“どれだけ私がそうしてくれるように言おうがそれを貰えるように私自身が努力しようが望んだものを与えてくれない望んだ姿を見せてくれない満足を与えてくれない…” そしてそれは同時に...何よりも自分はしてる事も思ってる事考えてる事も...自分が望んでいる事も何も間違ってないんだ悪くないんだというスタンスでおられるって事でもあるのですが... そこまで自己中心的に考えられるのはある種すごいと思います…。すごい価値観です… あなたにかかればきっと美輪明宏さんの“よいとまけの唄”に出てくる母親も全くダメな母親で何かが決定的に欠損したいびつな母親像になっちゃうんでしょうねえ。。。 貴方本当に偏差値高いのでしょうか…? であるなら偏差値の高さは本当にあてにならないその典型であるようにも思えます... おそらく実際に現実に貴方の回りにあるものは目を向けていないのか見たくないのか、現実としてあるものは貴方には全く見えておらず、“自分が見たいもの”“目に入れたいもの”しか見ていないのではないかと思います… そして人がもてはやしたり、他の人にあるものをいいものと思い、そうではないものを悪いものと思ってしまう... そのもの自身にある価値をあるがままに見ようとはせず気づきもしない...価値というものを見誤るきらいにあるのでは…とさえ思えます。 なんとももったいない事です… 人間、18歳から20歳くらいまでは“どんな人間になったか”“どんな性格になったか”は親の責任であると思います。 親や環境によってその性格が作られるといえるので。でもそれ以降は“どんな自分であろうとするか”“どんな自分を作るか”は自分の責任です。 なぜなら“何が良くて何が悪いか”を自分でも考えられるようになり判るようにもなり、自分で手を伸ばす事も出来るようになり、その知識も経験も自分で得られるようにもなるのですから。 自分でそんな自分を「今度は自分で」作れるようにも修正できるようにもなるのですから。 貴方は母親の欠けているものを責めているばかりですが…貴方自身が持つ“これじゃないとイヤ”“これじゃないと認めない認められない”というものも...恐ろしいほど欠けていびつである…と言えるのではないですかね...? それは母親の責任では恐らくもうないですよね… 今の貴方は既に自分よりも年老いて自分よりも頭も硬くなっていて自分とは違う価値観を持って既に何十年も暮らしてきたそんな相手に“お前変われよ”と自分の思う価値観と行動を押しつけ、それを受け入れそれを与えてくれるのが当然だと思い込み、自分の理想が望むとても狭い答えと形を、今更上手く持つ事も出す事も出来ない相手に対し腹を立て“足らんヤツだ”“出来ないヤツだ”“いびつなヤツだ”と決めつけて…その人が本来持っているあるがままの価値や形を貴方自身が目を向ける事も認める事もなくいる…ようです。 貴方はおそらく本か何かを呼んでこういう人の子はこんな風になる…などといったありきたりな知識を得てそこから安易に前悪の判断をしてしまい... それはまるで魚に鳥である事を求めてしまっていて、その魚が鳥のようにさえずったり空を羽ばたく事が出来ない事に腹を立て、責め、そして魚が鳥のようにさえずらないからだから自分は不幸だ、私はこんなに頑張っているのにと嘆いている…その事に気づかないままでいるそんな人。 偏差値の高さが故にかそんな自分が得たその「知識」ばかりを重んじ、人の知恵の本質をどこかに置き忘れたいわば“賢いバカ”になってしまっているのに気づいていないのかも… 本来貴方が望んでいる一番の目的は「相手を変える」「相手に変わってもらう」事ではないはずです。 相手が変わったらいい結果になる…というものではありませんよね?  「いい結果になる為に相手に変わってもらえれば…」というもののはず...つまり「いい結果」になればいいはずで、本来は「いい結果」が貴方の目標であり目的であるはずです。 そこで言う「いい結果」とは…「母親との関係をいいものにする」ではないかと思います。 母親と海外旅行したい…それを母は母なりの姿を見せつつもそれを了承してくれている… それだけで喜ぶべきものであり、そしていい一歩を進めているともいえますが…貴方には不平や不満で文句を言うべきもので相手を責めるべきものでしかありません… それはまるで、おままごとをする中で、一緒におままごとをしてくれている事やおままごとが出来ている事の幸せや価値や重みを忘れ目も向けず、「このシーンではこう言ってくれないとヤダ!」と思った通りになっていない事にダダをこねて相手を責めて泣いているちっちゃい子と同じだったりします。 相手を責めて悪者にするより、自分のやり方と違うおままごとの仕方もあるんだと認めそして許し...そのおままごとを楽しんだらどうですか? そのおままごとと相手を悪いものにするのではなく、「楽しいもの」にしたらどうですか? 相手に変われと相手を悪者にするよりも…貴方が変わればいいのでは? 魚に鳥と同じ事を望んで嘆き責め悲しむよりも…魚は魚としてその魅力と良さを認めて愛でる方が…幸せにいられるのではと思いますよ。 賢さはその人生で賢く使ってこそ意味があるものです。 賢いバカでいるならその賢さほどもったいないものはありませんよ...

noname#210680
noname#210680
回答No.1

言ってしまえば、もう生い先短いですから、あきらめることをおすすめします。 僕も母親に変わって欲しくて、40過ぎてから初めて手紙を書きましたが、効果なしというか、逆効果で今では意識の上で縁を切っています。もう4年ほど連絡を取っていませんが、なんの不自由もなく、気楽に生きています。 僕を否定し続けた僕の母親は、僕にとって敵でしかありませんでしたから、すっきりしました。 あなたの母親は、あなたにとって敵でも味方でもない存在、もういいじゃないですか。 あなたにとって大切なのはあなたの未来なんです。 あなたは心のつながりを求めていた。でも母親は心を閉ざして、心のつながりを拒んだ。あなたはそれが悲しくて、なんとかしたいと望み、努力を積み重ねてきた。でも、その積み重ねはすべて無駄だった。それでも、ここまでの積み重ねを無駄にしたくないから、何とかしたいと望んでいる。そうやってあなたはこれまで自分の未来を犠牲にしてきたんです。 あなたの母親は自分が絶対に正しいと思っていて、子供に指導されることなんかあり得ないことなんです。私の母親も同じで、もうつける薬はありません。 自分の未来を大切にしましょう。 今いる友人、知人、これから広がってゆく交流、新たなパートナーと新たな生活、そこには無限に広がる可能性があるんです。 そこであなたは誰にでも心を開き、自分の心に正直な言葉で人と接し、心のつながりを感じられる明るい未来にしていけばいいんです。 心のつながらない人と一緒にいるのは本当に疲れますからね。 安らぎと喜びに満ちた未来の可能性、自分からその未来を信じていれば特に難しいことはありません。 僕の母親は立派な反面教師だった、今はそう認識しています。 あなたの人生の主人公はあなた、あなたを中心に心がつながり笑顔で喜びあえる未来を、あなたの周りの人と築き上げていってください。

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