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劉備玄徳の人肉接待について
- 三国志の劉備玄徳が、戦に敗れて逃走中にかつて面倒を見た人の家に泊まった時に、その人は自分の妻を殺して料理し劉備に食べさせたという話があります。
- 中国の史書では立派な行いと称賛しているものも多いそうです。
- 中国では古くから人肉を食する習慣があったらしいですが、この話は当時としても極めて珍しいことなので、一般的な習慣だったとは言えないとの意見もあります。また、これはネガティブキャンペーンの一つという見方もあります。
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今手元に正史の『三国志』も小説の『三国志演義』もちょうどないので、記憶の中だけの話ですが、確か劉備が呂布に敗れた時、猟師の劉安の家に泊まって、劉安が妻を殺して「狼の肉です」と言ってもてなした話ですね。 このエピソードは正史にはありません。裴松之が付した注にもありません。 『三国志平話』および『三国志演義』の中にのみある話です。どちらもあくまでも小説です。 むろん中国でも、人肉食は極限状態です。 ただ、全くなかったということでもないみたいですね。 たとえば春秋時代の斉の桓公といえば、誰もが春秋五覇の筆頭に挙げる人ですが、管仲に馘首された厨宰(宮廷料理人)の易牙を、管仲の死後に再任用します。 易牙がクビになった理由は、桓公が「ワシは人間を食ったことがない」と言った際に、自分の息子を蒸し焼き料理にして献上したという無茶なものですが、管仲は「息子を料理にして殺すなんて、易牙は親子の情が薄い」と言っており、カニバリズムそのものを罪としてあげつらっているわけではいません。 『演義』の中には、董卓が死んだ際に董卓に苦しめられた人々が、恨みを晴らすために董卓の肉を食いちぎるという場面もありましたね。 また、正史だけでなく『資治通鑑』など比較的評価の高い史書の中にも飢餓における食人の話題は出てきます。むろんそのすべてを「本当にあったこと」として鵜呑みにすることはできませんが、「食人」という話題が史書に挙げられるということは、「あってはならないことではあるが、決して起こりえない話ではない」ということでもあることが分かります。(ちなみに「評価が高い」というのは、資料的価値ではなく文学的価値です)。 さて、高島俊男の『水滸伝の世界』では、「人を食った話」という一章を設けて、水滸伝の中にあらわれる食人の表現について言及をしています。 まず高島氏は桑原隲藏氏の「支那人間に於ける食人肉の風習」という論文を引いて、中国における食人の目的を、 (1)飢餓時の食料 (2)戦時の糧食が尽きた時の食料 (3)復讐 (4)嗜好品(美食) (5)医薬品 と分類し、そのうえで「肉食が食の中に普通にある中国」と「食っても魚か鳥が関の山だった日本」との、肉食文化の彼我の違いを挙げています。 これらのことを総合して考えると、劉備の話は(劉備にとっても劉安にとっても)極限状態だったという場面における「美徳ではあるが悲劇」という演出でしょうね。 余談ながら、興味深いサイトを見つけました。日中両国における食人に関する話題です。 http://trushnote.exblog.jp/7602405/ http://trushnote.exblog.jp/7876738/
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- Yelm
- ベストアンサー率19% (63/324)
例えば三国志演義とならぶ中国の四大奇書の一つである「水滸伝」では食人行為が煩雑に出てきます。 日本語版では駒田信二訳の「水滸伝」などを参照して下さい。 しかもこの作品ではヒーローである筈の梁山泊の好漢達がごく当たり前に食人を行います。 主人公である宋江も自分を陥れようとした相手を殺した上、喜んでその肉を焼いて食べますし、更に「宿屋や茶屋を開き、金を持っていそうな客が泊まると毒をもって殺し、金を奪って死体は人肉饅頭にする」事を生業にしている人間が複数、堂々とヒーローの仲間に入っていたりします。 もちろん水根伝は実話ではありませんが、重要なのはヒーローが人肉食を平然と行い、それが悪い事だと描写されていない作品が中国の主要な冒険活劇の一つとして長年に渡り人気を博していると言うことです。 水滸伝の成立は16世紀とされていますが、その時代の中国人の価値観が反映されていると考えるべきでしょう。
お礼
ありがとうございます。水滸伝には、食人の話が頻繁に出てくるようですね。そういう話が堂々と描写されるものが人々に人気があることからも、やはり中国における食人文化の根深さを感じます。
- 0fool0
- ベストアンサー率18% (134/738)
確かに中国で物的証拠と言うのは、聞いた事が無いです。 一番確定出来るのは、人糞の化石か調理の後のある骨でも出てくれば物的証拠ですが。 しかし文献では周の文王が息子の肉を食べさせられた話や、斉の桓公と易牙の人食の逸話もあります。 文化大革命時にも人肉食の記録があるようです。 其れに対して、中国での食人の批判・非難の文章は近代まで現れず、また発見されていません。 以上、 (1)少なくとも人肉食に対してタブーとして扱われた記録・教育が無く、且つ、近年まで行われていたという記録が其処此処から出てくる限り、「無かった」とする考えは成立しがたいと思います。 (2)原因は私には判りません。 私見では食糧事情が非常に頻繁に悪化した事が理由として考えられます。 黄土は水さえあれば非常に大量の食糧生産が可能ですが、川が氾濫すれば、あっという間に飢餓が訪れます。 中国大陸はかつては象も住んでいたほどに豊富な森林があったのですが、それらは皆切り開かれた事も水害の増加に繋がっています。 正に中国人は中国大陸を食べ尽くしたのです。 そんな中、人肉は増える時は容易く増え、食糧事情の悪化した時は食い扶持を減らす事も出来る一石二鳥の方法だったのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。やはり、事実のようですね。 世界一の人口を持つ国ですから、その昔からかなり人は多かったはずなので、食糧事情が非常に悪いことも頻繁だったんでしょうね。そんな時には手近な食糧として・・でしょうか。 歴史、風土、民族性の違いがあるのでなかなか理解できない部分もありますが、一方的な価値観では測れないでしょうね。
- hashioogi
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ネガティブキャンペーンというのはどういう意味かよく分かりませんが、 明治書院の中国古典小説選の中にも、主人公が旅館でであった人が袋から人肉を取り出して焼いて食べだした。その肉は敵討ちで殺した相手の肉だったという話が出てきますが、主人公も別にそれをどうということも感じていないような話だったように思いました。小説ですけどね。 中国や朝鮮では凌遅刑というのがありました。欧米人が撮った写真も残っているようです。中国ではその肉を処刑人がその場で観衆に売っていたという話を読んだことがあります。買った人には新鮮な肉が手に入ったと喜ばれたと書かれていました。 中国古典小説選の中に世説新語というのも入っています。これは当時の人物評や噂話がまとめられているもので全てが真実の話ではないかもしれませんけど…。人肉食ではありませんが、 曹操は一人の歌がうまい召使を持っていたが性悪女であった。殺そうと思ったが歌がうまいので躊躇していた。そこで召使百人に歌を習わせたらその中の一人がものになりそうだったので性悪女を殺した。 石崇という大金持ちの家に知り合いの大将と大臣が訪問して宴会になったときのこと。大将に美女の召使が酒をすすめても飲まなかった。そこで石崇は酒のすすめかたが悪いと言って美女を切り殺した。3人の美女が殺されるに至り、大臣が大将にかわいそうだから酒を飲んでやれと言ったが、大将は奴が勝手に自分の所有している召使を殺しているだけの話で私には関係のない話だみたいな感じであった。 というような話なんかが含まれていて、日本人の感覚とはだいぶ違うなあという気がします。良い悪いということではなく、文化が違っていたということでしょうか?現在の我々の基準では評価できないのかもしれません。
お礼
ありがとうございます。ネガティブ・・と書いたのは、嫌中派の人が中国を貶めるために、あることないこと書いたのかもと思ったからですが、違うようですね。 おっしゃるとおり、やはり歴史や民族の違いで思想性、行動はずいぶん変わるという典型でしょうか。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00072643-00650001-0269.pdf?file_id=71160 http://mikiomiyamoto.bake-neko.net/katsuko.htm 孝行録 などでは、孝行の具体的な形として、割股とかあります。
お礼
詳しい資料ありがとうございます。人肉が究極の薬と考えられていたようですね。やはり、民族や歴史の違いは大きいです。なかなか我々には理解できないですから。
お礼
詳しい資料もつけていただき、ありがとうございます。 劉備の話の信憑性はわからないということのようですね。ただ、中国の長い歴史上、その種の記述の枚挙に暇がないことを考えると根深いものがあるようですね。