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自分では死ねないから人を殺せば…とか
自分では死ねないから人を殺せば…とか ふざけた理由で命を奪うようなのがいますが それも本心なのかどうか しょせん人が人を裁く限界があると思います でも いつも思うのは殺された被害者や遺族ではなく 加害者が保護されるこの国のあり方が疑問です。 (人権)は突然恐怖の中で命を奪われた側にあるべきものじゃないのか 結局、被害者がかやの外に感じます 未成年の場合、遺族すら加害者情報は公開されないとか… どう考えてもあり得ないと思います。 抑制というなら命ひとつに命ひとつ…当然と思います。 ひとりなら死刑にならない、子供でも知っています。 命は地球より重い とか命は平等と言いながら 被害者側から見れば一番軽く扱われている気がするでしょう もしも 自分の大切な人が…答えはひとつです。 みなさんは、どう思いますか?
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- BEACHBOYS1970
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自殺したいがそれはこわくてできないので、他人を殺してつかまり死刑になりたい・・という意味でしょうか。 たしかにそんな話にならない理由で見ず知らずの人の命を奪う輩が最近いますね。普通に考えれば言語道断、即死刑でも・・という気持ちもわかります。こういう場合、現在は裁判を開き、どんな凶悪犯人でも弁護士をつけて弁護させるシステムになってますね。 国や時代によって、犯罪者への対応は実に様々です。「目には目を」の昔のハンムラビ法典なら、被害者が受けたのと全く同じ刑罰を加害者に課しました。当然、こういうケースは同じ方法で死刑だったでしょうね。 そういう歴史的なことは別として、殺人については、私は次のように考えてます。いろんなケースがあるようですが、まず人間の死んだあとの世界(霊界)との関連です。 輪廻転生を繰り返す中で、例えば前世である人が殺人を犯してしまった。すると、それはカルマとして残り、加害者は次の人生で、同じような殺され方をするようです。それにより罪(カルマ)を償わされる。 世の中の殺人すべてがそうとは思いませんが、そういうケースも多いらしいです。細かい点は私もわかりませんが・・ あとは、この世での裁判で死刑を行うのは、神から見ると越権行為らしいですね。本来、人を裁けるのは神だけで、人は人を裁けないらしいです。そうはいっても、この世での理不尽すぎる殺人、まして自分の身内等が被害者だったらそんな冷静な気持ちも持てないでしょうけど。また、死刑制度がなければ、抑止効果がなくなるという考えも一理あります。 むずかしい問題ですが、輪廻転生を信ずる立場からすると、やはり人が罰しなくても必ず神が罰すると思います。
お礼
回答ありがとうございます。 日本人は因果応報の考えが非常に強いですからね。でも、この論理で考えると、いたいけな子供が殺されるのも実は罪(カルマ)を償わされた結果ということになってしまいますよね。