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死刑問題を語る際の感情論の是非
- 死刑問題を語る際に感情論は排除すべきか、その是非について議論があります。感情だけでは語るべきではない一方、感情も重要な要素であるとの議論も存在します。
- 死刑問題は国民一人一人の為にあるのか、感情を無視するべきかについても意見が分かれています。一部の人々は被害者に対する感情を重視する一方、裁判員など法律の実施機関も犯罪の重大性などを総合的に考慮する必要があると主張しています。
- また、感情を無視した法律の適用は一般的には望ましくありませんが、極端な例を持ち出すと感情だけに基づいた判断が危険であることを示しています。感情を考慮しながらも客観的な視点から裁判を行うことが求められています。
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死刑賛成派の方々がよく言うのは「人を一人殺したら、死刑で当たり前。遺族の感情を考えろ」ということですね。だから死刑に賛成だし、死刑はあって当然だし、人殺しは死刑で当然、ということになります。これは感情を主体とした量刑判断です。 しかし法というのは「平等」でなくてはなりません。たとえば現在の死刑判断には「永山基準」が適用されるように、人殺しでも死刑になるかどうかを、犯罪の質によって変えているのです。これはなるべく法の判断を公平にしようとしているからです。 感情論で死刑を判断すれば、実は容易に「この人は死刑にしてはいけない!」という反対運動が起こりえます。 たとえば、レイプされた女の子がいてその子はそれを苦に自殺してしまいました。 その女の子の遺族は、レイプ犯を許せず、殺してしまいまいました。 さて、この場合、殺した遺族は殺人犯ですから、当然に死刑ですよね。感情論として「人を殺したのだから死刑。殺された人の遺族の感情を考えろ。」でよろしいのですよね。 実際には「レイプ犯を殺したのは確かに悪いことだけど、殺された奴は悪い奴だったのだから、なにも遺族を死刑にする必要はない」という論調が感情論として出ませんか? 私は必ず出ると思います。 実際に、殺人などの事件において、一方的に加害者が悪く、一方的に被害者が正しい、というのはあまりありません。 だからこそ、法律を公平に適用し、社会を法によって守る、ということを実行しようとすれば、感情のままに適用することはできないのです。 だからこそ、死刑に限らず、法律を判断するときに感情論はまず排除すべきなのです。
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- kawasemi60
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法律は国民の為では有りません。統治者の権力維持が目的。 庶民の生死など問題外。統治者の都合が最優先なのですよ。 犬を蹴飛ばして死刑の歴史が有る日本で何とのんきな考えか? 現代の統治は紙幣最優先!だからなのよねー 人殺しより偽札作りの方が重罪とされているの。 感情問題では無くて単なる統治方法の問題なのだよ。 だから犯罪犠牲者の感情など統治行為において考慮に値しない。 当然、死刑囚の感情も考慮外。統治効果で死刑にするだけの事。 あっ言い忘れるとこだった。麻薬運んだら死刑という国は多いよ。 国が違えば統治も違う。 注意しましょうねーーー
お礼
回答ありがとうございます。
- mp20palpunte
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死刑問題と、死刑が求刑されるかどうかは別問題では? 何についての回答を求めているかまとまっていないように感じますが… タイトルの「死刑問題を語る時に感情論はダメなのですか?」に関しては、死刑問題(死刑制度の可否)について感情論で語っても答えは出ないから、感情論は排すべきということでしょう。 良いとかダメって話じゃなく、どうどう巡りになる、進展がない、意味がないからってことじゃないかと思います。 求刑に関しては、多分に感情が入り込んでいると思います。 状況的に情状酌量の余地ありとか、反省の色が見えないためとか、すごく「印象」に左右された物言いじゃないですか。 法としての罪に対する刑罰の段階が定められており、そのどこに該当するかを決めるのが裁判ですよね。 前者と後者を一緒くたには論じれません。 法そのものが感情を加味して制定されてたら、何も基準がないのと一緒です。 「法がそうなっていない段階で感情論で判決を下す」のと、「感情論が高まりそのように法が変わってから判決を下す」のを混同していませんか? >万引き=死刑が妥当。 >と国民の多くが思うならそれすらありだと思うのですがダメな理由は? これだって、別に、国民の多くがそう思って、万引き=死刑を改正されたなら、アリでしょう。 ただ、今はそうなってないので、いくら家族が殺されるより辛いと感情を主張しても、妥当ではないと判断されるのです。 >悲しむ人が少なくて済んだので罪が重くなりにくい >家族に慕われてる人を殺した。悲しむ人が多く結果罪が重くなる。 こんなの論外です。 それじゃあ、一人殺すより、一族郎党皆殺しにすればいいってことになりますよね。 >法律は国民の為にあるのでは? 法は社会秩序維持のために存在している(と自分は認識しています)のであって、国民の感情を満足させるために存在しているのではありません。
お礼
回答ありがとうございます。
えっと・・・ 「情状酌量の余地」って言葉もありますよ。 ^^; それがあるかないかで、仮に有罪の場合でも 刑罰の増減が決まります。 もちろん裁判官、裁判長の判断と決定です。 ついでに・・日本の裁判の中は 判例主義(過去の判決に則る)があるそうです。 これ、色々厄介です。 ちなみに、イギリス・アメリカは不文法主義 ドイツやフランスは成文法主義。 また、米国は州ごとに死刑の有無が規定されているそうで…。 専門家ではないので詳細を解説する事は出来ませんが 日本の裁判員制度は米国の制度を一部取り入れたものですから 何とかバランスを取ろうとしているんでしょうね。 質問者さんは一度、大学の単科で法律を勉強すると面白いかもしれませんね。 社会人や主婦なら、通信制の放送大学などが便利ですよ。 ついでに・・日本の刑法で悩ましい事の一つに 死刑と無期の中間がない事が挙げられます。 日本の無期懲役は、 刑務所に入っても 長年模範囚であれば釈放されるのです。 永遠に檻の中にいるわけではないのです。 死刑は当然、死ぬわけですが。 差が大きいですよね。 そりゃあ、いつまでも税金で生かしておくのは財源的に問題ですけど… 社会の安全を考えた時、猛獣を檻の外へ出すのは危険ですし 被害者の犠牲が報われませんね。 そう思えば、いくらかは必要経費って事にもなりそうですが… うーん、悩ましい。
お礼
回答ありがとうございます。
- hanzo2000
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死刑論は量刑論ですし、 実際の判決でも量刑を決める際に、 「被害者の甚大な処罰感情」を考慮した、といったような表現もありますから、 現実的に量刑論と感情は切っても切り離せません。 また、おっしゃるとおり、裁判員裁判が導入されたのも、 市民感覚の導入という意味もありますが、 この「感覚」とは論理とは違うものですし、 それを「感情」と言い換えても大きな問題が起きるとは思えません。 裁判員裁判が導入されて、量刑が増える傾向があるので調査の必要あり、 という報道がなされたことがありますが、 そういう市民の処罰感情を量刑に導入するための裁判員だろうに、と思います。
お礼
回答ありがとうございます。 しかし、感情論で量刑のバランスが崩れたり、同じ罪の重さでも見た目の印象で刑が大きく左右するのも問題ですね。
お礼
回答ありがとうございます。 >感情論で死刑を判断すれば、実は容易に「この人は死刑にしてはいけない!」という反対運動が起こりえます。 そこまで考えていませんでした。