- ベストアンサー
夢と現実の区別
いつもお世話になっております。 脳では想像したことと現実に体験したことの 区別がないという話しを聞きました。それ故に イメージトレーニングが成立すると。 では、私たちはどのように夢と現実の区別をつけているのでしょう?
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>では、私たちはどのように夢と現実の区別をつけているのでしょう? その問いに対する回答は、極めて単純で明快だとも、複雑で、いまだ未知だとも答えられます。主観の自覚意識の明晰性については、デカルトの懐疑を通過しても、なお哲学的にはアポリアがあり、この部分から言うと、夢と現実の境界は「分からない」ということになります。 しかし、経験や経験に準拠する実証科学では、発達心理学における「自我意識」の発達構造化や、外的世界の恒常的構造図式の成立でもって、現実と夢の区別のクライティリアは明確だとも言えます。 外的世界現実の恒常的な構造図式の成立とは、子供が筋肉の操作による運動と、知覚と認知による外的世界からの感覚情報を、シェーマ(図式)として構造化して統合均衡させるとき、外的世界は、子供のあるアクションに対し、「ある秩序」を持った構造的なリアクションを返してくるのです。この「秩序構造図式」の成立が、「現実確認」の参照構造クライティリアになります。 外的世界の恒常的構造図式が、子供の意識内に構成される過程は、同時的に、子供の「身体構造図式」が構成される過程でもあり、また、もっと重要な「統覚意識自我」が構造的に構成される、または均衡において出現=覚醒する過程でもあるのです。 ある現象が夢か現実かは、意識内部に構成されている「外的世界の構造図式」と、その現象との作用・反作用行動の結果を比較することで、判断され吟味されます。例えば、現実世界で「走る」と、身体の筋肉が、運動に応じて、妥当な活動を構造的に行い、風が肌に当たり、慣性の存在が全身・身体各部で分かり、更に、走ると共に変化する周囲の情景が、まさに、子供の頃に造られ、その後も修正され構築されて行った、「外的世界の構造図式」と調和する形で、変化し展開するのです。このような運動を行っているとき、意識が「覚醒」水準にあって、知覚や運動の情報を、内的な構造図式と比較して、確かにこれは、「現実の外的世界での反応形式」だと確認できれば、それは夢ではなく、現実なのです。 感覚の強度の問題などではなく、知覚や運動の構造出力が、「世界の構造図式」の現象様式と調和する場合、この経験は、夢ではなく現実経験なのです。 夢のなかでは、実は、現実か夢かを判断し吟味する「意識機能」の覚醒度が眠っており、夢を見ているときには、実は、夢を見ているのでも何でもないのです。夢は、REM睡眠のときに見るのが普通であり、REM睡眠期とは、熟睡状態の場合、無意識水準で行われる、知覚や記憶などの諸経験情報などの処理過程が、意識にもアクセスできる水準まで上昇している状態なのです。それは逆に言えば、知覚や記憶などの脳内処理過程を、意識が部分覚醒状態で、感知している程度の覚醒状態だとも言えるのです。 夢は見るが、しかし、夢と現実を判定する意識機能は覚醒していない状態がREM睡眠です。夢のなかで、これは夢だとはっきり分かる明晰夢は、判断機能も覚醒した状態だが、なお、通常の意識統覚は機能していない半覚醒状態なのです。これが更に覚醒して、意識はほぼ覚醒するが、しかし、筋肉などを随意的に動かす意識機能部分が、なお眠っている場合が、「金縛り」状態です。 夢では、臭覚や味覚の夢が少なく思えるのは、人間にとって外的世界の把握情報源は、その膨大な量が、運動視覚像だからです。形が重要で、色は二次的になります。犬などは、外的世界を、臭覚の空間で枠付けた構造体として把握しているはずで、犬は複雑な臭いの空間の夢を見ている可能性があります(人間の場合、臭覚などは、大脳辺縁系に中枢があり、それは高次精神の座である大脳や前頭葉とは、かなり距離があるので、夢のような高次精神が関わる情報処理過程では、出て来にくいし、意識されにくいのです)。 (発達心理学、認知心理学、異常心理学、無意識心理学、また大脳生理学や精神病理学・精神医学、さらには、哲学の基本的な知識なしに、こういう問題を語ろうというのは、無謀というものでしょう)。
その他の回答 (3)
>“明晰夢”をどのように説明されますか? これは単純に、眠りが浅いからと考えています。 『夢と現実の区別』自体は入力レベルの違いで説明がつきますが、それだけだと「夢を見ているときは眠っている自覚が全くない」説明はできません。 夢を見ているときに、自分が起きているのだと思い込む特性は、大脳新皮質の一部が眠ってしまっていて正しい状況判断ができず、夢特有の不条理な状況を現実として受け入れてしまうからだ、と考えることができます。 このことから、明晰夢は、身体が半覚醒状態にあるために五感から微妙な入力があり、経験から「もしかして、これ、夢?」と判断可能なのではないかと思われます。 >脳が末端の細胞を逆に刺激することがあり得るということですか? #1の回答を書いた時点では、「記憶から再構築される入力レベルが、普段のそれよりも強すぎて、外部からの刺激と勘違いしてしまう」という意味で書きました。 なので、自分の記憶から「触覚」を思い出す場合、手足にわざわざ刺激を送る必要はなく、脳内の作業だけですんでしまいます。 しかし脳が末端の神経細胞を刺激し、作為的に間違った情報を入力させることがあるのは一般によく知られた事実です。 ゆえに、たとえば「昔、おぞましい物を触った感触」を思い出し、今まさに触ったような気がする状態とは、「脳が今触ったと勘違いした」ケースと、「脳からの指令によって触覚が間違った情報を入力した」ケースの2パターンがあるということです。 >夢の虚像が強烈に印象に残って実像のレベルに達したとしたら脳内では現実として受け入れるということですか? これは一部の神経症患者(とりわけ分裂症患者)を診察した医師の書いた著書などを見ると、そういうことも実際にある、と書かれています。 俺の考える脳モデルが正確であれば、特に不思議な現象ではないので、俺自身も実際にありえるんじゃないかと考えています。
お礼
ご返答ありがとうございます。 丁寧な解説、痛みいります。
>夢と現実が区別できるようになるのは5歳前後だといわれていますね。 これは五感の入力レベルに強弱があることを発見するのが、だいたい5歳前後だということじゃないでしょうか。 つまり、夢と現実で違いがあることに気づける程度まで脳が発達するのに、だいたい5年かかる、と。 >現実で夢の虚像を想起するから夢と認識できるということですか? はい。 俺は少なくともそう考えています。 >たとえばカレーの匂いなどイメージと結びついている場合はどうなりますか? これに関しては、#1はちょっと誤解を招きかねない表現をしてしまいましたね。ごめんなさい(^_^; 臭いというのは、何千・何万とある鼻の中の嗅覚細胞が、特定の反応を示すことで人間は臭いを関知します。 たとえば、A、B、Cという3つの嗅覚細胞があって、そのうち甘い匂いにだけ反応する細胞がAだった場合、脳は「Aが反応した記憶A’はステキだった」という覚え方をすると思われます。 こういう構造である関係上、実際に細胞Aが反応してくれないと、ある特定の匂いが好きか嫌いかを区別することができず、自発的にイメージトレーニングで思い出すことはできないわけです。 もちろん、「私はカレーが好き」という言葉自体を覚えたり、またはその「匂いに対して抱いた印象」を言葉で覚えたりしておき、「ああ、俺はカレーが好きなんだったっけ」という思い出し方をすることはできますが、「匂いそのものを脳内で再現する」ことはできないと考えられるわけです。 まぁ、これも触覚と同じで、よっぽど印象深ければ別なんだと思いますが。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ということは夢の中では夢と認識することができないと。 そうなると、夢の中で夢と受け入れてコントロールしようとする“明晰夢”をどのように説明されますか? >触覚と同じで、よっぽど印象深ければ別なんだと思いますが。 脳内で嗅覚が想起されることもあるということは 脳が末端の細胞を逆に刺激することがあり得るということですか? それから話しを元に戻すようですけれど 夢の虚像が強烈に印象に残って実像のレベルに達したとしたら脳内では現実として受け入れるということですか? 重ねがさね本当に申し訳ございません。
入力レベルの電圧の違いで区別しています。 イメージトレーニングは脳内の記憶を元にイメージを再構築しているだけなので、この状態だと電圧がかなり低く、ぼんやりとした像しかえられません。 対して眼球から光を直接入力する場合、高い電圧を直接脳に取り込むため、はっきりした像が得られます。 この2つの違いから、人間は実像か虚像かを経験的に区別しています。 ところが、この区別はあくまで経験的に「おそらく実像だろう」という判断を、後天的に得た経験によってくだしているにすぎません。 本の著者によって「区別できない」と言ってしまっている人がいるのは、これは「先天的には区別する構造を持っていない」という意味なのです。 また、人間は寝ているときには、現実と夢の区別がほとんどつきません。 これは、眼球からの実像の入力がないため、イメージによる虚像と、実像を比較することができないからです。 それから視覚以外の、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などは、感覚によって再構築できたりできなかったりします。 たとえば聴覚は再構築されたイメージの入力レベルが高く、正常な人でも空耳を聞いてしまったり、ディラン効果で音楽が頭グルグルになってしまったりします。 触覚の場合は、記憶からのイメージの再現はできないか、またはごくわずかに可能なだけで、よほど印象深かった出来事でないと思い出すことはできません。 また、味覚と嗅覚はほぼイメージから再現することは不可能で、脳内には「好きか、嫌いか」といった記憶だけが保存されていると思われます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 やはり経験に基づいてるわけですか。 夢と現実が区別できるようになるのは5歳前後だと いわれていますね。そのこととは関係ありますか? >人間は寝ているときには、現実と夢の区別がほとんどつきません。 現実で夢の虚像を想起するから夢と認識できるということですか? それから、嗅覚は「好き嫌い」しか記憶が保存されないということですが、たとえばカレーの匂いなどイメージと結びついている場合はどうなりますか? 重ねがさねの質問申し訳ございません。
お礼
ご回答ありがとうごさいます。 とても詳しい説明をして頂いて恐縮です。 「意識機能」のレベルで判断できるかどうか決まるとは、一言に眠りといっても奥が深いですな。 嗅覚構造に重点を置く犬は匂いの夢を見て(嗅いで?)いる…。 まさに生物の神秘いや、脳内の神秘ですね。