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私は死刑反対派の人は無責任だと思います。
世の中には何人殺しても何とも思わない人もいます。 被害者の親族のことを考えれば、死刑は必要でしょう。 実際、死刑執行しなかったとしても、凶悪犯に心理的ダメージを与えることができます。 死刑の存在が、犯罪の抑止効果にも繋がるのではないでしょうか。 みなさんは どう思いますか?
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質問者が選んだベストアンサー
犯罪の抑止効果に繋がる人と繋がらない人がいます。死刑になるべき人が先に自殺してしまったケースは山ほどいます。死というものは万人に恐怖の対象であるわけではありません。
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- gigadanon
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私も抑止力としての死刑に大賛成ですので、 そう思っています。あと、結局無期懲役でも外に出れたりしている らしいから、死刑は続けなくてはなりません。
- abccda333
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人を裁くだけではなく 生かす流れも必要なのではないでしょうか
お礼
回答ありがとうございます。
- abewainpo
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個人的に死刑とかやりそうで怖い。
お礼
回答ありがとうございます。
- ueshita123
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質問サイトで意思表明をする人も無責任です。 意見を募るのはアンケートです。
死刑だって、犯罪と同じです。人の命を死刑によって奪ったわけですからね。
お礼
回答ありがとうございます。
※質問の趣旨とは若干ずれた長文です。 死刑の存在が犯罪の抑止力になっているのは確かでしょう。 殺意をほのめかす言葉は頻繁に使われますが実行する人は極稀。 刑罰との損得勘定から抑止力になっているのは確かでしょう。 ただし、死が常に究極の罰になるとは言えません。 生きる時間の大半が苦痛に満ちれば、人は死すら安らぎとして求めます。 (年間殺人死者数1500人未満 年間自殺者27000人超) 生きる時間の大半が苦痛に満ち、これから死のうとしている人には 死刑は十分な抑止力にはなりません。 時には自分を殺してもらう為に人を殺す「殺人動機」にされもします。 あくまれ稀な例ですが、本末転倒の結果も生み出す事もあります。 その人が人を殺そうとするかしないかは、 その人の生育暦、人生経験が大きく左右します。 「解からない事もちゃんと説明され、納得して育ち 自分の考えや選択を尊重して貰えた人」 と、 「自分の考えや選択など常に無視され、結論だけ守れと突き付けられ、 それを守れなければ殴る蹴る罵る怒鳴るなど罰で育った人」 とでは、 人と衝突した時に、相手に向ける感情に圧倒的な違いが生まれます。 苦痛の経験は初期は悲しみを生みますが、 耐え切れないほどの悲しみを与えられると怒りに変わりやすく、 苦痛の経験と似た光景に立った瞬間、フラッシュバックし怒りが込み上げ 理性では抑えられない怒りの衝動に襲われたりする様になります。 (虐待の連鎖の悲惨さなどが1つの例でしょうか) 一度この状態に陥ると、 感情的な言葉が人を傷付けてしまい、反撃され余計苦しんだり、 罪悪感から自分を嫌い自分を傷付ける様になったり、 陰口を言われ心を閉ざしたり、孤立し他者の気持ちを知る経験が減ったり、 連鎖的に危険な状態に陥りやすくなります。 生きる事そのものが苦痛に満ちやすくなります。 人は自分が苦しい程、他者の気持ちを考えたり配慮する余裕を失います。 頻繁に人と衝突し苦しみながら生きると、 他者の気持ちを考える習慣が育まれ難くなったり、 独り善がりな結論を導き出し易くなってしまいます。 長く生きれば生きるほど、 独り善がりな結論の上に、独り善がりな結論を上乗せしがちになり、 説得や正常な話し合いが難しい人となってしまう事もあります。 それでも似た境遇の理解者など、何か心の支えがあれば まだまだ自暴自棄な行動には傾きませんが、苦しみは多く、 そこに理解者に見放されたり、 多くの人に侮辱され続けるなど苦痛が上乗せされると、 その状況を打開する方法を見つけられなくなると、 自分の命を捨てる自暴自棄な選択なども起こりやすくなります。 時にそうした形と見られる衝動的な殺人なども見受けられます。 また、苦痛の経験から激しい感情が衝動的に沸き上がる事が増えると、 感情は高ぶるほど、 感情が受け入れ易い言葉や情報を安易に信じさせ、もっと欲させ、 感情が受け入れ難い言葉や情報は信じず、耳を傾けすらさせなくします。 感情的になる人ほど 自分の都合の良い情報だけを拾い集めそれを根拠に言動する傾向があり、 それが揺らぐと過去の自分の言動に罪悪感が発生しかねず、 怖くなって全てを拒絶し殻に閉じこもってしまったりもします。 ただ会話するだけでもかなりのコツが必要になる場合も増えます。 長くなるので割愛しますが、 幼少期に「見捨てられる不安」を感じずに 沢山甘え沢山愛して貰えたか否かで、 その人の心が何に束縛され、何を求め、何を不安に感じるか? どんな判断と経験を繰り返し積み重ねるか、人生がかなり変わります。 これは多かれ少なかれ誰もが心の片隅程度には抱えるものですが。 先天的な感受性も関係するので経験が全てとは言えませんし、 出会いの巡り合わせ次第で、好転も暗転もします。 それに人は、自分を客観的に理解できれば どうすればどうなるか理解し、問題の根元に目を向け、 時に完治と言えるほど劇的な克服をする場合もあります。 生育暦だけで人を決め付ける事はできませんが、 社会に溢れるあらゆる形の犯罪や暴力の裏に、 それに至ってだけの過程、経過があるものです。 事故や自然災害なら根本的な原因を客観的に探ろうと出来るのに、 そこに人が居ると途端にその人がそう至った理由を探る客観性から逸脱し 感情的な結論に結び付けようと偏り、現実を直視できなくなる。 犯罪や自殺を減らす為に必要な具体的な対策を考える壁の1つですね。 長くなりましたが、 現状、死刑は大切な犯罪の抑止力です。 しかし命を捨てる自暴自棄な暴力には十分な抑止力になりません。 自暴自棄な暴力を根本的に減らす別のアプローチも追加で必要でしょう。 子(人)を育てる人の自由やプライバシーを侵害すればそれも暴力。 先手を打って知識を提供しても、現状必要でなければ人はすぐ忘れる。 自分の選択の先に連鎖的に何が起こるかを知る余裕すら乏しい。 人生にリスクは膨大で他の事が注視されがちになる。 知らない人は放置され、 しかし知っている人は対策し備え回避している。 どんな対策をすれば 本来死刑が目指している目的、犯罪の根本的な抑止を補えるのか? 刑罰はバランスを欠けば余計に犯罪を増やしかねず動かし難い。 少し別の視点でできる事を考えるのも大切ではないかと私は思います。 これが私の感想です。 ※あくまで専門家でも何でもない1素人の考え事です。 色々盲点や偏りがあると思いますので真に受け過ぎないで下さいね。
お礼
回答ありがとうございます。 >現状、死刑は大切な犯罪の抑止力です。 現在の死刑は 同情の余地のない極悪人だけを厳選し魔女狩りみたいなもので国民のガス抜きになっているので 抑止効果は薄いと思います。 死刑が抑止力を持つには 娘がレイプされて自殺して、娘の仇打ちで殺人を犯した父親を公開処刑にするくらいしないとダメだと思います。
- nikuonikuniku
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無責任というより、外国のように「人間が人間を殺す」という 行為に倫理的に問題があると思っているからではないでしょうか? 当事者からすれば、もちろん死刑は必要だと感じると思います。 私は殺してしまうと、加害者の苦しみを開放するようでひっかかりますが。
お礼
回答ありがとうございます。
- kimamaoyaji
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処罰は死刑でも良いと思いますが、日蓮宗などの「荒行」をさせた方が良いのでは無いでしょうか、死んでもどうせ死刑だし、同じ死刑でも、悔い改めをしてもらいたいものです。 刑務所の中でただ死刑を待っているより、辛いでしょう、厳しい修行ですから、死んだ方がましと思える位の修行をやらされると思えば、死刑になる犯罪は減るかもしれません。
お礼
回答ありがとうございます。 >日蓮宗などの「荒行」をさせた方が良いのでは無いでしょうか、 これもいいかもしれませんね。
- 1101maron
- ベストアンサー率1% (9/505)
人を殺したのだから同じように死で償う、必要なことだと思います
お礼
回答ありがとうございます。 >人を殺したのだから同じように死で償う、必要なことだと思います でも、末期癌患者が人を殺して 死刑判決を受ける前に病死したら 罪を償ったことになるのか 私には分からないんですよ。
- poponntann
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同感です。 冤罪は別として、死刑は必要です。
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お礼
回答ありがとうございます。 >死というものは万人に恐怖の対象であるわけではありません。 日本では殺人件数に比べ、自殺者数が異常に多いので、果たして死刑が最高の罰なのか 疑問に思うところですね。これから、宅間守や加藤智大みたいな人間が増えると怖いですいね。