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死刑は必要か不要か
最近、死刑制度についていろいろと考えを巡らせています。 この制度があった方がいいのか、ない方がいいのかということです。 自分の最愛の人が殺された場合、遺族の立場としては、被疑者が生きていることや、同じ空気を吸っていることすら許されないと思うでしょうし、そう考えると死刑は必要と思えます。 死刑廃止論者の方もたくさんいますが、そういう人は、自分の最愛の人が殺されても死刑の廃止を訴えられるかどうか知りたいです。・・・残念ながらそういうのを聞く機会はないですが。 死刑廃止を訴える人の気持ちも理解はできます。被害者や遺族の感情ではなく、客観的に、悪人であれ人の命を奪う行為がいいことなのか、もしえん罪だった場合に取り返しがつかなくなるとか、秋葉原殺傷事件のように、自分を死刑にしてほしいがために殺人を犯すとか、いろいろな理由があるでしょう。 秋葉原の事件の例があると、死刑の存在もどうなのかと思ってしまいますが、自分を殺してほしいがために殺人をするような人には死刑を執行せず、終身刑で仮出所もなく、一生苦しみながら過ごす刑のようなものを作ってほしいです。 そして、やはり死刑は無くさない方がいいと思います。 さらに、殺人だけではなく、幼児誘拐や幼児への暴行、女性への暴行は、たとえ被害者が殺されていなくても死刑を求刑できる制度にすれば、性犯罪や弱い人への犯罪抑止効果になるのではないでしょうか。 どうしても死刑を反対する人の気持ちが分からないのですが、悪人であれ罪人の命を奪うこと、冤罪リスクを避けること、これら以外に何か死刑を廃止すべき強い主張をお持ちの方いたら教えてください。 (もちろん、自分の最愛の人が殺されても、それでも廃止すべきという考えを持っている人に限ります)
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私は制度に賛成します。 死刑制度は、誰もが知っている制度です。 国家が無差別に国民を殺害しているわけではありません。 今の日本で成人に近しい人が死刑制度を知らない可能性は極めて低いと思われます。 それを分かっている上で罪を犯しているのではれば、甘んじて刑を受けるべきです。 最初から罪を犯さなければいいだけのことですからね。 光市の事件で、本村さんは次のように言っていますが、 まさにおっしゃる通りだと思います。 本村氏の発言: 死刑の意味は、 殺人の罪を犯した人間が、罪と向き合い、犯行を悔い、心から反省をして、 許されれば残りの人生を贖罪と社会貢献に捧げようと決心して、 そこまで純粋で真面目な人間に生まれ変わったのに、 その生まれ変わった人間の命を社会が残酷に奪い取る、 その非業さと残酷さを思い知ることで、等価だという真実の裏返しで、 初めて奪われた人の 命の重さと尊さを知る、人の命の尊厳を社会が知る、 そこに死刑の意義がある。 命を奪われた人の無念さ、痛み、悲しみなど、どんなに更生したところで分かりようがありません(更生するという保証も全く無いですが)。 それが分かるのは、同じように自分の命を奪われる時だけ。 光市の犯罪者は全く反省をしないどころか、 遺族を嘲笑し、嘲り、馬鹿にした手紙を送りつけています。 捕まってもなお、未成年の自分は数年で出られるんだ、、、と。 このような人が終身刑となって、何を生み出すのでしょうか?
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#7です でも貴方は >最愛の人が殺されても死刑の廃止を訴えられるかどうかを知りたい といってますよ!? だから、私の場合は訴えられると思うと答えたのです。 この手の質問に必ず出て来る例としての光市の事件も死刑が確定した後の被害者の夫の苦渋に満ちた記者会見を見ましたね? 決して彼は相手を抹殺することに満足してはいませんでした。 事件直後から死刑決定までの間の彼の心の葛藤と成長が窺われると思って私は観ていましたが。 何故あなたが、<論点をすり替えないで下さい>と威丈高になるのかわかりません。 廃止すべきという人に限るという前提付きで質問しているのにそれを主張する人の意見を理解しようという努力の跡がみえません。 私はあなたが、 >どうしても死刑を反対する人の気持ちがわからない と仰っていますので、#7のような回答をしましたがお気に召さなかったようで済みません。 またさらに、 >死刑を廃止すべき強い主張をお持ちの方いたら教えてください には、たくさん理由を挙げましたが、大きなものは、どんな人にも更生の余地と改心の余地はあるし、その努力を文明国家は捨てるべきではないということを実際の例を使って述べました。 しかし、貴方に納得させるのは無理のようですね? 回答を良く咀嚼しようともせず、いきなり噛み付くのはルール違反で削除の対象になりますよ。 誤解があるようですが、>廃止すべき結論、って、別にあなたが廃止すべき、と結論を出す立場ではありませんから、私の回答が結論になっているとかいないとかでなく「私は理解出来ない」か「もう少し勉強します」と言うべきでしょう。 私の紹介した「死刑のすべて」にも実在の被害者家族で死刑に反対した人が何人か居たと書かれています。 勉強して下さい。 #7の最後、誤字に気づきました、訂正します。 ブックオフ当たり → ブックオフ辺り です、失礼しました。
お礼
『貴方は、もし何かで道を誤った人間を決して許すべきでないとお考えですか?人間の過ちは絶対許されないのですか? 自分が完璧だから他人を許さないのですか?』 というのは、改めて読み直してもすり替えですよ。 殺人や死刑について論じているのに、拡大解釈していますし、完璧だから人を許さないなんて話はしていません。 死刑廃止を訴える方が、死刑賛成論者を納得させるような強い主張というか根拠をお聞きしているのですが、最後に歌をだされたりしても比喩表現にしか思えず、主張が伝わってきませんでした。 これ以上お聞きしても話が平行線になると思いました。
- ok2007
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始めに申し上げれば、私個人の見解はあえて表明しません。 その上で少しコメントすれば、死刑廃止論者の思考の出発点は、死刑賛成論者と同様に、いたってシンプルです。 すなわち、「人は絶対に人の命を奪ってはならない」。死刑廃止論者はこの価値基準からスタートします。そうである限り、仮に自己の最愛の者が殺されたとしても、死刑反対論者は死刑反対を唱えます。そういう人が実際にいたはずですが、お名前を忘れてしまいました。 要するに、個人の思想信条に根付いた価値観の問題なのです(分からなくても当然でしょう)。互いにどのような理由を並べたとしても、「価値観が違うんだね」以上の結論は出ないものと思われます。
お礼
「人は絶対に人の命を奪ってはならない」という命題があるのは分かります。その上で殺人を犯した人はそれを破ったので、同等の量刑を与えるということなのですが、それでも殺人を犯した人の命を奪うのは良くないということですね。 そういうシンプルさは理解できます。ただ、命を奪った人が生きていることに耐えられない遺族を納得させる強さが、やはり足りないと感じてしまいます。 人を殺しても、その殺した人は命がなくならないという犯罪者の心理が残って、殺人を犯す抑制になるともどうしても思えません。 やはり死刑賛成論者が納得するのは難しいのかもしれませんね。
>最愛の人が殺された場合、遺族の立場としては、被害者が生きていることや同じ空気を吸っていることすら許されないと思うでしょうし、 どうしてですか?それは貴方一個人の考えです。 私は自分の最愛の人が殺されてもその人間をこの世から抹殺したいとはおもいません。 ? 本当にその立場にならないから言えるんだろうって? そうですね、最愛の人が殺されたことはありませんが、その瀬戸際まで行ったことはあります。 しかし、その犯人をこの世から抹殺したいとか、同じ空気を吸いたくないとかは一度も思ったことがありません。 奇妙ですか?でもそういう奇妙な人間もこの世の中にはいるということを知って下さい。 貴方は、もし何かで道を誤った人間を決して許すべきでないとお考えですか?人間の過ちは絶対許されないのですか? 自分が完璧だから他人を許さないのですか? 若さと血気に逸って加害者の死を望んだとしてもその遺族は一生他人の死に加担したことを後悔しないで終わるでしょうか? 人間の死はたとえどんな罪人であろうと厳粛なものです。 誰も後悔することの無い裁きこそが文明国として望ましいのではありませんか? 先日、元刑務官の坂本敏夫さんが出版した「死刑のすべて」を読みました。 現場の執行官の苦悩は言葉では表わせないそうで、妊娠中の奥さんがいる場合や家庭内に病人がいる場合はあらゆる手を使って任務から外れようとするそうです。 「あいつは、8人もの首に縄を掛けた。だから見てみろ、背中は曲がっているし、股関節は外れたままだ」などというまことしやかで非合理的な噂が定年まで続いた例もあるそうです。 また、 「A担当官のところにできた女の子は一歳にもなるのにまだ首がすわらない、ハイハイも出来ないので奥さんは頭がおかしくなっているらしい」という噂の後間もなく、この担当官の母子は心中したそうです。 死刑はその本人を殺すだけではなく様々な人達に苦悩の種を蒔いているのです。 死刑囚も皆が皆、観念しておとなしく刑場へ行くわけではありません。 三人も四人もで、手を押さえ足を押さえ首に縄をかける修羅場を想像したことがありますか、そしてそれを職業とする人の心中を? そうかと思うと、 刑務官が刑執行に疑いを持つほど、改心して不帰の死へ旅立つ死刑囚もいるそうです。 飢えと貧しさに耐えかね農家に押し入り、金を奪ったがその際家人と争いになり、主婦を殺してしまった死刑囚がいます。 その彼が獄中で短歌に目覚め、処刑後に「遺愛集」という歌集が出版されています。 処刑の前夜、恩人に当てた遺書の中の歌とその他幾つかを紹介して回答を終わります。 ★ 詫ぶベしとさびしさ迫るこのいのち 詑ぶべきものの心に向くる ★ この澄めるこころ在るとは識らず来て 刑死の明日に迫る夜温し ★ 世のためになりて死にたし死刑囚の 眼はもらい手もなきかも知れぬ ★ 十円の切手二枚と替え得たる アイスクリームの冷たきに笑む ★ 被害者に詫びて死刑を受くべしと 思うに空は青く生きたし ★ 許されし夢より覚めてきく汽笛 身じろぎがたく聴きつつ愛し もし、興味がありましたら読んでみて下さい。 ブックオフ当たりにいけば105円くらいで手に入るかも知れません。
お礼
話の観点をすり替えないでください。 >貴方は、もし何かで道を誤った人間を決して許すべきでないとお考えですか?人間の過ちは絶対許されないのですか? 私は誤ちを許さないとはどこにも書いていません。今は死刑に関する事象を言っており、死刑以外の軽い罪だったら許すこともあるでしょうし、今は死刑に値する罪、つまり殺人以外にはないと思いますが、そういう話で述べているわけです。 そこで、死刑を廃止にすべき確固たる理由があれば知りたいと申しているのです。 被害者と同じ空気を吸いたくない人がいます。 吸いたくない人もいます。 では、吸いたくない人には死刑にすべきで、吸っても大丈夫な人には死刑を与えないとします。 そういう選択ができるとしましょう。 死刑を廃止にしたら、その選択肢もなくなってしまうんですよ?それにはどう対処しますか? 何度も言いますが、死刑を廃止にすべき根拠、死刑賛成論者を納得させるだけの論点がほしいのです。 それがnekomacさんの文章だけでは読み取れません。こういう人もいますよ、というレベルであって、廃止すべき結論にまで達していないと思います。
- tk-kubota
- ベストアンサー率46% (2277/4892)
Q 最愛の人が殺されたとしても、その人の環境や社会が悪いから、その人を許せるということですか? A 最愛の人が殺されたから、殺していいんだ、とは、短絡的で考えが浅いと思います。殺す人を作らないことです。そのような者が居たとすれば、その者が一生係ってでも償いをし、社会に利益を残すべきです。 Q その人は許せないけど、死刑ではなくて別の量刑を与えるべきということですか? A そうです。神様から受け取った人の命は同じです。無期懲役などで社会に貢献すべきです。それが被害者への償いです。 Q 罪を犯した人は100のままということになります。これでバランスはとれているでしょうか? A 100償えば同点です。被害者は生き返ってこないのですから。 Q 全人類、どの分野でも、どの地方でも、どの家庭でも、人間が同じように育っていくことはできないですよね? A そのとおりです。でも、善悪は判断できます。 Q 個人個人に個性があるわけで、環境や育て方を全人類統一できないですよね? A 環境や育て方を全人類統一できないとしても、悪を退け、善を育てることは可能です。 Q 離婚する人もいればしない人もいて、全員同じにできないですよね? A 同じにしようと云っているのではないです。自己にはない他人の善はあるものです。その善をお互いに見いだすことを願い、育てることを願うのです。修身や道徳を学ぶべきです。 Q 悪人をこの世からゼロにできるでしょうか? A できないからと云って、犯罪を奨励はできないです。ゼロとするよう努力すればゼロに限りなく近づきます。 Q 現実として、犯罪が存在しているということを理解した上で、死刑が必要かどうかということです。 A 犯罪の存在は理解しているつもりです。原因は、戦後の社会構造にあると思います。自由には責任があることをもっと学ぶべきと思います。
お礼
>その者が一生係ってでも償いをし、社会に利益を残すべきです。 生きていること自体が許せないという遺族には、一生償うことで報われないと感じています。命で償うという考えの遺族には通用しません。 社会に利益といいいますけど、刑務所で養う税金の方がはるかに費用がかかり、それ以上の利益を出せるでしょうか。 刑務所での土地代、住居費用、監視員の給料、光熱費、そして何よりも、殺された人が死ぬまでにもたらしたであろう経済利益を代わりに生み出すことができますか? A 100償えば同点です。被害者は生き返ってこないのですから。 生き返ってこないということは、償っても100にはなりません。 生きていた価値を、償いで対価には絶対にできません。 経済的な価値以外に、その人存在自体の価値(人間としての温かみ、行動、家族への愛情、支え等)は返ってこないからです。 Q 悪人をこの世からゼロにできるでしょうか? A できないからと云って、犯罪を奨励はできないです。ゼロとするよう努力すればゼロに限りなく近づきます。 ⇒教育などで犯罪は犯してはいけないと植え付けるのは賛成します。 ただ、 1教育⇒2大人になる⇒3犯罪を犯してしまうかもしれない という流れがあって、 1だけで世の中の体制は作れますか? 1と3を抑制する両方の対策が必要ではないですか? 教育や道徳だけでというのは正論ですが、それだけで人間をまっとうにできますか? 全員が言うことを聞きますか?人に物事を教えたことありますか?そこで苦労したことはないですか? >犯罪の存在は理解しているつもりです。原因は、戦後の社会構造にあると思います。自由には責任があることをもっと学ぶべきと思います。 社会構造に問題があったり、自由に責任があって、もっと学ぶというのも理解できます。 ただ、その部分だけの改革や教育だけで犯罪がなくなるとは思えません。 事前教育も必要ですが、教育後に社会に規律を作っておく(死刑がある)ということでの抑止効果も必要だと思います。
- nishikasai
- ベストアンサー率24% (1545/6342)
死刑廃止論者が気付いていないのは死刑を廃止した場合、終身刑がそれに代るのですが、終身刑というのはね、国家に大変な負担がかかるんです。 ホームレスは国家に負担がほとんどかかりません。しかし、終身刑は暖冷房が必要ですし、布団も必要ですし、食事も必要ですし、医療もほどこさなくてはいけません。おまけにね、介護までしてあげなくちゃいけないんです。介護されるようになったら懲役は免除されます。なんにも悪いことをしていないホームレスの方々は寒い公園で震えて暮らしている。病院にも行けず、年をとって動けなくなればただ死んでいくだけ。 何人も人を殺した極悪人が国民の血税をたっぷり吸って恵まれた老後にしていいのか! 死刑反対論者! 答えなさい!
お礼
ご回答ありがとうございます。 刑務所は快適というのは聞いたことがありますし、自分で苦労するよりは、刑務所で規律よく生活していた方が楽という人もいます。 そして維持費は莫大で、本当に更生させる意味があるのかと思ってしまいますね。 仮出所でまた犯罪を犯したり、精神病院を出てすぐに犯罪を犯したりと、外に出す判定をする人が甘くて犯罪が起きるということもあります。 こんなんでは安心して住めないですよね。
一応、死刑廃止論者だが。 >そういう人は、自分の最愛の人が殺されても死刑の廃止を訴えられるかどうか知りたいです。 そりゃ、もちろん「死刑にしろ!」と叫ぶに決まってるさ。もし死刑でなかったら、自分で殺しに行くだろうな。当然だろう? あんたはそうじゃないのかい? ただし、被告に対してそう叫ぶのとは別に、やっぱり「死刑は廃止すべき」と考えるだろうな。 なぜ、こんな単純なことを疑問に思う人が多いのか、そのほうが疑問なんだが。「個人の感情」と「この国はいかにあるべきか」と、なぜ一緒に考えられるんだろうか。 >これら以外に何か死刑を廃止すべき強い主張をお持ちの方いたら教えてください。 理屈は、いろいろ考えられる。が、おそらく最終的な理由というのは、「イヤだから」ということじゃないだろうか。こういっちゃ何だが、あらゆる意見は、最終的には「好きか嫌いか」みたいなことで決まっている気がするんだな。理屈は、後からやってくる。おそらくたいていの人は、まず「絶対イヤ!」といった感情が先にあって、その理由としてあれこれと後付で理屈をくっつけているんじゃないだろうか。もちろん、その理屈が間違っているということではないし、全体としてどうするかという方向性を考えるとき、個人的感情で決めることができないのは当然だがね。 で。「死刑はイヤだ」という後付の理屈を考えてみたんだが。 それは、「なくとも困らないようだから」というのが大きいかもしれない。既に死刑を廃止している国はたくさんある。で、そうした国で「廃止後、困った事態になった」かというと、そうでもないんだよな。特に問題なく暮らしている。中には、日本なんぞよりはるかに治安が安定している国だってある。米国じゃ、死刑がある州よりない州のほうが凶悪犯罪は少なかったりする。(ま、これは逆に「少ないから死刑が廃止できた」という見方もあるだろうが) 死刑がなくなると世の中大変なことになるぞ!みたいな考えは、そうなると根拠がないんでないか。実は、死刑は「あってもなくても、世の中にはさほど影響ない制度」なのかも知れないんでないか。死刑が廃止されたとして、どっと凶悪犯罪が増えるんだろうか。まぁ、多少は増えるかも知れないな。だが、世の中が不安定になることはまずないだろう。既に廃止している国の姿を見れば、おそらく廃止しても何も世の中は変わらないんでないか。 そもそも、「死刑がある」ったって、今の日本は「ほとんど死刑廃止に近い」死刑制度なんだよな。人を殺して死刑にあるのは、全体のわずか1%に満たない数だ。まぁ、それでも死刑判決が出たり死刑が執行されればニュースになるから、それなりに何かの効果はあるだろう。だが、自分が被害者の側に立たされたとしたら、どうだろうかね? よく「被害者のことを考えろ」云々といわれるが、日本では「人を殺しても死刑にはならないのが当たり前」なんだぜ? 死刑賛成の人は、「自分の最愛の人が殺されても犯人は(一部の例外を除いて)死刑にはならない」という不思議な「死刑制度」で満足なのかい? こんな死刑制度でいいってんなら、なくても大差ないと思うが。 あってもなくても大差ない。なら、ないほうがいいだろう。わざわざ殺される人間の数を増やすことはない。「そんなんじゃ、自分の最愛の人が殺されたとき、納得できない!」っってみんないうよな。けどな、そもそも死刑制度があっても、自分の最愛の人が殺されても犯人は死刑になんかならないんだ。それが日本の死刑制度なんだから。 今の「まずたいていは死刑になんかならない死刑制度」を維持する理由がオレにはわからないんだよな。今の死刑制度を維持するくらいなら、なくてもいいんじゃないかね。なぜ、この「死刑にならない死刑制度」を維持しなきゃならないんだ?
お礼
日本は過去の事例に基づいて裁判をする傾向にあります。 つまり、過去の犯罪に照らし合わせて、それは無期懲役であれば、似た犯罪は同じく無期懲役になる傾向がありました。 ところが、光市母子殺人事件のように、遺族の頑張りが司法を動かしたかのような結論、死刑まで導いたような凡例も少しずつ出てきています。 これまで以上に、遺族の思いがだんだんと司法に反映されてきている事実があります。 今まではあまり死刑にならなかったというのはそのとおりです。ところが今後もそのまま維持されていくとは思えません。 既に先に述べたような事例が出てきているからです。 少年法が適用される少年少女が、「犯罪を犯しても死刑にならないし刑務所も行かなくて済む」といって犯罪を犯している例もあります。 死刑があってもなくても同じという考えは、単にlogger_manさんの周りに死刑に関連する出来事が身近に起きてないからではないですか? 知り合いが死刑になったとか、知り合いが殺されたとか、最愛でなくても身近でそういうことがおきないと、死刑が本当に必要かあるいは不要かといったことを議論できないよな気がします。 犯罪に巻き込まれる人は少ないです。でもいつその巻き込まれる人になるかわかりません。 巻き込まれていないときは「あってもなくても同じ」と思えるのは確かです。 巻き込まれたと仮定して、あった方がいいのかない方がいいのか、あるいは自分が何らかの事情で犯罪者になってしまったことを仮定して、あるべきかないべきかを考えてもらいたいと思います。
- BrandonB
- ベストアンサー率22% (4/18)
死刑反対の人への質問なのでしょうが、一言言わせてください。 私は死刑賛成です。むしろ質問者様と同じ考えです。 冤罪云々はまた別の話なのでおいときますが、状況次第では死刑では生ぬるい事だってあるはずです。 私は被害者側の好きな様に、加害者を裁ける制度があっても良いのではと思っています。 もちろん許す心も大事ですが、今の司法は犯罪者の人権ばかりが尊重され、刑務所でも健康管理ができ、食物にも困らず、出所後の仕事まで面倒をみてくれます。 その一方で被害者遺族の生活は保障されにくく、ただ泣くしかありません。 まるで犯人には「がんばって更生しなさい。」というチャンスを与え、被害者には「はい残念でした」とい言っている様に思えてなりません。 光市母子殺人事件では、死刑では軽すぎると切実に思いました。
お礼
確かに光市の事件は、死刑でも生温い感じがします。あの被害者感情をあざ笑うかのような手紙は、本当に恐ろしい奴だと感じました。 「更生」っていうのも疑問がありますね。更生したかどうかを判断するのは人間で、頭が良い犯罪者なら、更生を判断する人をだますことだってできるでしょうし、そもそも罪を犯した人を更生する必要はないと思います。 「ダメなものはダメ」 ⇒こういう単純でいいと思います。 ダメなことをしないように、小さいことから教育する。それを学ばなかったり、ルールを破った人は、それなりの罰を与える。 単純明快だと思います。 罪のない人が殺され、罪を犯した人は戻るチャンスを与えられる・・バランスが悪すぎですし、罪を犯しても戻ってくるチャンスがあるとなると、怖くて街中を歩けません。いつ自分が襲われるか・・・ 死刑ではありませんが、外の世界が苦しくて、ちょっとした犯罪を犯して刑務所に戻ってきて、刑務所の居心地がいいという犯罪者もいます。 これでは本末転倒です。 BrandonBさんの言う、『まるで犯人には「がんばって更生しなさい。」というチャンスを与え、被害者には「はい残念でした」とい言っている様に思えてなりません。』 には共感できます。 どうせなら死刑にも2種類作って、痛みがなく死ぬのと、痛みを与えて苦しみながら死ぬといった方法を取ってほしいくらいに思います。 それほど、残された遺族の悲しみは大きいということです。
- tk-kubota
- ベストアンサー率46% (2277/4892)
>死刑を廃止すべき強い主張をお持ちの方いたら教えてください。 私は、絶対に死刑は反対です。 何故ならば、如何なる人でも、生まれたときは同じです。 善人か、悪人かは、その後の環境でかわります。 即ち、社会が悪人を育てているのです。 両親の勝手な離婚などで、親から見放されたり、愛情のない育て方から、 他人への愛情もなくなり、社会に対して反感が生じ、それが元で勝手な行動と成長するのです。 そのように、社会に原因があるので、法律で人の命を絶つこと事態が間違っていると思います。
お礼
社会や環境が悪い、あるいはそのせいで犯罪を犯すということですね。 ということは、tk-kubotaさんは、最愛の人が殺されたとしても、その人の環境や社会が悪いから、その人を許せるということですか? それとも、その人は許せないけど、死刑ではなくて別の量刑を与えるべきということですか? 生きていることが100、しぬことが0と数値化した場合、普通に生きてきた人が100から0になってしまった。 でも罪を犯した人は100のままということになります。 これでバランスはとれているでしょうか? 「社会に原因がある」とおっしゃっていますが、全人類、どの分野でも、どの地方でも、どの家庭でも、人間が同じように育っていくことはできないですよね? 個人個人に個性があるわけで、環境や育て方を全人類統一できないですよね? 離婚する人もいればしない人もいて、全員同じにできないですよね? ならば逆に環境や社会を原因にして死刑をなくすというのは論点として無理があると思うのですが。 「社会が悪人を育てている」といいますが、悪人をこの世からゼロにできるでしょうか? そんな国が存在するでしょうか?人間に欲望がある限り、無理ではないでしょうか?社会に原因を求めるのは簡単だと思います。そうではなくて、現実として、犯罪が存在しているということを理解した上で、死刑が必要かどうかということです。
お礼
死刑があっても犯罪がなくならないということは、死刑という制度を理解した上で犯罪を犯しており、それを受け入れるべきというのは筋が通っていますね。 親に怒られるのが分かっていても悪さをしてしまう子供は、やっぱり後で親に怒られます。怒る親がいなくなったら大変です。 教育で「こういうことをしちゃだめだよ」って事前に教えていてもそれでも悪さをしてしまう子はいますからね。死刑という最大の量刑はあるべきでしょうね。 >命を奪われた人の無念さ、痛み、悲しみなど、どんなに更生したところで分かりようがありません(更生するという保証も全く無いですが)。 それが分かるのは、同じように自分の命を奪われる時だけ。 そうなんです。更生して罪を償うっていう考えの人もいますけど、そもそも更生するかどうかなんてわからないですし、償うというのは、しんだ人へ対価で支払うべきですよね。 対価ということは死刑ということですよね。 本村さんの発言は重いですね。 死刑までの残された時間で悔いる・・・ 死刑じゃない場合は心の底から悔いることができないかもしれませんね。