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死刑制度についての疑問
- なぜ殺人を犯すと死刑にするのか?死刑も殺人と変わらないのでは?
- 遺族の感情で死刑にするのは殺人と同じ行為ではないか?
- 死刑には抑止効果がなく、廃止すべきではないか?
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質問者が選んだベストアンサー
No.2です。追記します。 質問に”みなさんの意見を聞かせてください”とありますので、それに対する回答です。 前にも書いたとおり、私自身は死刑制度には反対です。また、犯罪抑止力もほとんどないと思っています。考え方自体は同意します。 ですが、ここに書かれていること、特に回答への補足を見ていると論理の飛躍を感じます。死刑の肯定をそのまま殺人の肯定としてみたり、更には戦争に賛成、ととらえたりしています。回答された各位には、そのような考えはないと感じています。 なので、考えには賛同できても、質問者さんの意見には賛同できない、となってしまいます。
その他の回答 (17)
- keijidairi
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私は自分自身が犯罪被害に遭い、殺されそうになりました。その時の恐怖は言葉では表せません。後ろから何度も首を切りつけられ、今でもその傷が残っています。 自分では見ることができないのが救いです。 失ったものはたくさんありますが、犯人が捕まっても憎いとか殺したいとか死刑とかという感情は湧いてきません。 家族が殺されても、そういう感情になるかどうかはわかりません。 ただ、今は犯人も出所しているので怖いです。 裁判員制度のように国民に交代で死刑執行をさせてみるというのはいかがでしょう。
- E-FB-14
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No1です。 反論が無かったらベストアンサーをください。
- at9_am
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#6です。 反論がないようですが、他の回答へのリプライを見ると、死刑にも終身刑にも抑止力がないと思っているようです。しかし、データは抑止力があることを示唆しています。 > もし殺人と死刑が違うものだという考えていくならば、それは人間という動物を人によって差別していることになるんではないでしょうか どこがどう差別なのでしょうか。差別と区別は何が違うのでしょうか。 私はこの違いは「理由」だと考えています。例えば女性が女風呂に入っても問題とならないのに男性が問題になるのには、相応の理由があります。したがってこれは区別です。しかしながら、白人用の席に黒人が座れないというのは理由がありません。これは差別です。 さて、殺人は犯罪です。死刑は犯罪に対する罰です。全く異なるものなので、これらが異なることは「区別」です。差別ではありません。 ところで、殺人と死刑が同じものだと主張するならば、終身刑や懲役と監禁とが同じものだという意見も正しいことになります。 監禁は罪になりますが、監禁と終身刑や懲役はどう違うのですか。 > なんらかの罪をつぐなうべきです。しかし、その罪として殺人者を殺すまではおかしいと思います。 罪と相応の罰として死刑が重すぎるかどうかは、その事件ごとに考える必要があるから、殺人即死刑、という制度であれば、質問者氏が正しいと思いますが、そのような制度にはなっていません。 しかし、相応の罰として死刑に値する事件は、少し世の中を眺めれば時々あります。例えば北九州監禁殺人事件は、その一つです。制度として死刑を廃止するということは、強制労働が原則として禁止されている現在の日本では、罪に比べて罰が軽すぎる、という結果を招くと思います。 > ではあのたの周りにいる憎たらしい人、あるいはすごく嫌いなひと、あんまり関わりたくない人が殺されたらどうしますか?> それでも死刑を望むのですか? 人ではなく事件によって死刑が相応かどうかが決まるので、誰だろうと大して変わりません。 それこそ、人の命の重さは平等ですからね。
- tk-kubota
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>死刑も殺人となんら変わりないですよね? >そもそも死刑にしたってなにも変わらないと思います。 正にそのとおりと思います。 私も、死刑制度は絶対に廃止すべきと思いますす。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
死刑が国家による殺人で許されないと いうのなら、罰金はどうでしょう。 国家による強盗ですね。 懲役や禁固はどうでしょう。 これも、国家による拉致監禁です。 死刑が殺人で許されないとするなら、罰金も 懲役も許されない、ということになるのですか。 するとそもそも刑事罰は総て許されない、と いうことになりますね。 罰金や懲役は許されるとするのなら、その根拠を 示さないと、納得しないでしょう。 それに、死刑に威嚇力がない、とどうして断言 できるのですか。 威嚇力はある、とする意見も強いです。 殺人には衝動的なものもありますが、計算尽くで 理性的な殺人も多いですよ。 保険金殺人などはその典型です。 こういう犯罪者にも死刑は威嚇力がないと 断言できるのですか。
補足
罰金もいいかもしれないですね。 死刑ってのは間接的殺人にすぎないですから。 いつも思うことがあるんですけど、死刑賛成の人は差別をしている人だと思うんです。 人の命の重さはみな違うとおもってるからそうゆうことが言えるんです。 あなたはどう思いますか? 殺人者の命は軽くて、被害者の命の方が重いと思いますか? それから最近の殺人者ってテレビの前にどうどうと顔を見せたり、死にたいから人を殺して死刑になりたかったって言う人結構多いですよね。 だからそんなに抑止力もないと思います。 計画を立てて行う殺人も抑止力はあんまりないと思います。 そもそも殺人を犯す時ってそういう法律のこと考えないと思いますよ。 死刑になるってこと考えないと思います。
- duraphat
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人が皆平等で、人を殺すことがいかなる理由でもいけないことなら、殺された人はどうなるというのか、何の罪もないものが一方的に人権を侵害された上に生命を奪われ、一方でその加害者が人権尊重され、国民の血税で生かされ続けられるのか、馬鹿も休み休み言え。平和呆けした偽善者。
補足
平和呆けした偽善者ってそれはあなたじゃないですか? なぜ偽善者だってわかるのですか? 言ってることすべて間違ってますか? そもそも法律だって人間が作ったものですよ? 人間ってのは間違いの塊だらけです。 ですので法律だって正しいとは言えませんよ。 じゃあ質問ですが、もし私が殺されたとする それでも殺人者に死刑を求めますか? どうなんですか? もしそれで別にどっちでもいいしとか思うなら、それは差別ですよね。 それとあなた死刑賛成なら殺人も賛成していることになりますよ。 戦争も賛成の悪い方ですね。 なぜ人ってそのように自分が間違っていることに気づけないみにくい動物なんでしょうね。 おそらく知恵があるからでしょうね。 もっと知恵をなくして考えてみてください。 あなたは狭い視野しかみていないからそう言えるんです。
- duraphat
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全く話にならん大馬鹿ものみたいだな。つける薬もないとはまさにこのこと。
補足
なんで大馬鹿なんですか? じゃあ死刑は正しいんですか? 正当なことですか? 戦争も賛成ですか? 大馬鹿に思った理由を言ってください。 それなのに大馬鹿っていうのは許せないですね。 だいたい大馬鹿って言う人が大馬鹿なんですけどね・・・
- kijineko96
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>なぜなら、死刑=殺人っていう認識があるからです。 いかなる理由でも人を殺すことはいけません。 ですから、死刑もいけないと思います。 ですから、罪を与えるならば終身刑という制度を取り入れるべきだと思いました。 死刑=殺人と考えるのですか?だからいかなる理由でも死刑はいけないと? あなたの考えを借りるなら終身刑=刑務所に永久監禁ということになるかな。刑務所に永久監禁はどういう理由で良しとしているのでしょうか?これならばよいというその根拠は? 死刑=殺人で死刑に抑止効果が全然ないのだから死刑は駄目という主張されてますね。 終身刑には抑止力はあるのですか? >遺族の方には申し訳ありませんが、感情的になりすぎて我を見失っていると思うのです。 大切な人が殺されるんです。遺族の人は感情的にもなりますし我を見失うほど泣くのです。そして、大概の人は怒り復讐したいと思うのです。でも、復讐はできません。 刑法に死刑がある理由は犯罪抑止力のためだけにあるのではなくてこういう被害者の応報的感情を満たす一面もあるという点を見逃してないですか? もう少し死刑制度について勉強して、もう一度意見をまとめられる方がよいかと。 今のままでは死刑賛成論者からすればつっこみどころ満載ですし、反対論者の中からも廃止という点では賛同できてもそこに至る考え方の部分で賛同できないと言われそうです。
補足
終身刑にも抑止力なんてものはありませんよ。 ではなぜするのかというとやはり殺人は悪いことですのでなんらかの罰を与えなければならないからです。 ですから終身刑の方がまだましといっているのです。 ほんとうならば殺人でもそのひとにいつかは更生の余地を与えてもいいんではないかとも思います。 確かに復讐は遺族の方は直接はできません。ですが死刑にしろという訴えは間接的に人を殺すことになります。 そして間接的に人を殺すのと直接的に人を殺すのはほとんど差異はないとおもいます。同じようなことです。 感情的な精神的なことに対して満たす一面があるとしても死刑はいけないと言っているのです。 どんな理由であれ死刑=殺人ですからいけないと思います。 死刑賛成の人って人間を差別しているような人ではないでしょうか? だいいち死刑賛成っておかしくないですか? 殺人OKっていってるのと何ら変わりないですよ。 なぜみなそうやって自分の知識でもって考えようとするのでしょうか? 一回死刑に関する知識を全部すてて、すべてを疑ってみることも大事なのではないでしょうか? これは本当に正しいのかと。 今の現代には昔デカルトがやった方法的懐疑という手法が重要な世の中ではないかと思います。
- Shin1994
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目には目を的な感じでしょうね。人を殺した奴は、殺された物の悲しみを知るため自らも死ねと…まあ、死んだら悲しみを知るもくそもないのですがね。 僕も死刑には反対です。考え方は質問者様と大差ありません。死刑だって国家権力を借りた殺人行為ですからね。死刑執行人の精神的負担も相当なものです。人格が崩壊する人もいるとか… 死刑が間違っている事に気がついた国はすでに廃止を始めています。廃止国と準廃止国(10年以上死刑を執行していない国)を合わせれば、過半数に達します。世界的な風潮は、死刑廃止の方向に動いています。我が国も、この流れに乗る必要があるでしょう。 被害者遺族の気持ちはわからんでもないですが、個人的には「そこまでせんでも…」という感じです。仮に僕が身内を殺されても、死刑は望みません。関節的に自分が殺した事になりますからね。人を殺すという事は、大なり小なり理由があります。最近は無差別殺人が発生する事がありますが、それは例外的です。普通の殺人は、理由があります。 その理由を聞き取り、よく話し合えばこちら側にも非があったという事がわかるかもしれません。それを頭ごなしに否定して死を持って償わせるのは、高度な知能を持つ人間として如何なものかと思うわけです。 我々は、理性を持ってます。理性を持って冷静に対応すれば、目には目をの死刑の矛盾が見えてくるでしょう。 感情と本能に身を任せ、たんたんと死刑を唱える遺族の方は、さぞ単細胞な方々でしょうね。
- duraphat
- ベストアンサー率46% (121/262)
拙劣極まりない論理であり、死刑と殺人を同義に捉える時点で無学低能、戯言としかいいようがない。宗教的には人が人を裁くことはできない、出来るとすれば神だけだということにでもなるのだろうが、現実には人が人を裁かねばならないし、また裁かざるを得ない。そのために人は法なるものを整備し、その法に則り人を裁いているだけのことである。 道徳的にせよ法的にせよ、してはならぬことをしたのであれば、それは罪は罪として償わなければならない。犯した罪に対する懲罰はあって然るべきである。基本的にはそれを償うに相当するものでなければならないと考えられている。法に基づく懲罰・制裁としてあるのが刑罰(死刑、懲役、禁錮、罰金、拘留、科料、没収死刑、刑罰)であり、究極が死刑、すなわち”命”である。あくまでもこれは法の下で行われるものであり、あなたがいうような”やられたらやり返す”なる無秩序で幼稚なものではない。殺人者は法の下に人によって裁かれ罰せられるのである。そして犯罪に対する究極刑として死刑があるのであり、それを選択するかどうかは法の下に裁定すれば良いだけのことであり、敢えて廃止する必要は何処にもない。そもそも殺人以上の罪でなければ死刑が求刑されること自体が無い。しかし裁判を行うにせよ、刑務所を維持するにせよ安からぬ費用がかかることさえ分からない訳ではあるまい。その裁判に多大な時間をかけ、人権の下に死刑囚でさえ、いつになったら執行されるのか分からぬその日まで冷暖房、食事つきで刑務所で保護される。国費という名の国民の血税を犯罪者の為に使って、だ。結局は回り回って善良な国民がその負担を負うことになる。唯一憂慮すべきことがあるとすれば”冤罪”の存在だが、冤罪の防止と死刑制度の廃止は別に論じられなければならない。 死刑反対派はよく犯罪者にも人権などということを言い出すが、そもそも殺人という人権侵害をしているというのに、よくもそんな戯言が言えるものだと閉口する。犯罪者にも人権があるのは法の認めるところであり異論はないが、そもそも始めに人権侵害している時点でフェアではないし、そもそも被害者の侵害された人権は一体どうしてくれるのだということだ。自分の家族が殺されても決して死刑にしないというのなら、あなたの身内が殺されたときにあなたがその法廷で訴えれば宜しい。抑止効果があるかどうかは廃止してみないと分からないというのであれば、死刑を廃止して終身刑が究極刑になることが犯罪抑止にどう影響するかも分からないのではないのか。死刑制度の廃止変更はあなたが軽視しているところの法改定なしには出来ないことだ。やって見て犯罪抑止効果が無くなった、下がったでは済まされない。再び法改定をしなければ再開も出来ぬ。自分の主張が正しいと思うのなら、こんなところで匿名の相談をするのではなく、身内を殺された遺族達に直接諭して回ってみれば宜しい。あなたの主張が偽善でなく、真理であるのなら容易に出来るはずだ。出来ないのであればただの”きれいごと”、偽善、それこそ戯言に過ぎない。
補足
拙劣極まりない論理であり、死刑と殺人を同義に捉える時点で無学低能といっていますが、それだから知識のある方はだめなんです。 それでは知識のある方が正しいとでも言うのですか? そうではありませんよね。 逆に世の中知識のある方の方が間違っている。 誤解したままの偽善者が多いと思うことが多々あります。 なぜそのように知識を重要視しようとするのですか? 別に人を裁くのがいけないといっているわけではありません。 裁かなければ世の中自由で多くの犯罪がおきてしまいますし。 ただ死刑は殺人と似たようなもの、また、戦争と似たようなものだと思うのです。 少し知識をなくしてすべてを疑ってみることも重要なのではないかと思います。 知識のある人はその知識だけに目が向いてしまい、広い見方ができくなっているように思います。 知識のある方はすぐにそんなの無理だ。できるわけないだろ。 もっと現実的に考えろとか言いますが、まずは現実的でないことも考える。 広い視野をみるとこも重要ではないかと思います。 知識というものによって頭が洗脳されているのではないでしょうか? なぜ死刑が戦争と同じようなことだって思わないか疑問に思います。 法律を考えないとすると、遺族の方は、死刑にしてくださいっていう気持ちは、その人を恨んでいるからですよね。 そして、その恨みによって死刑にしてほしいとゆう復讐の気持ちが戦争と同じようなことだと思うのです。 ちなみにやられたらやり返すってのは法律ではなく遺族の気持ちのことです。 法律ではやり返すのでなく罰することになるので。
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補足
弁護はしませんよ。 やはり罪は償ってもらわないといけないですからね。 ですが、死刑だけはだめということです。 もし、死刑判決がでたら、いくら家族が殺されても自分だったら頭さげてまで死刑はやめてくださいって言うでしょうね。 ちょっと聞きたいのですが、もし自分の家族が殺された。 そして、怒りなどの感情によって復讐のために殺人者をまた自分で殺したとする。それは殺人になりまか? 結局死刑と殺人は同じことですよね。 死刑ってのは自分で殺人者を殺すことと同じですから。