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神の手の条件

神の手 ゴッドハンドは実在する。 外科手術の名医、ものづくりの熟練工など 神の手の条件とは? また、神の手はいかにして生まれるのか?

みんなの回答

  • edie
  • ベストアンサー率31% (156/502)
回答No.8

それは表現するならという前提の話で、人の手によって行われることには変わりないのです。 失敗や過ちを犯してもなおあきらめない強い心、あくなき探究心で物事を追求していく姿勢が神の手を形作っている元ではないかと推測します。 神の手といわれる人たちも、本質的な部分では僕らと同じ人間。 失敗や過ちを犯すことだってあります。 しかしながら大きな過ちを犯してもなお、いや犯したからこそなおさらそれを直そうとする姿勢が人を成長させる元だと思います。 神の手、いわゆるゴッドハンドとは過ちを反省し直していった人たちのことを指すと思います。 また、挫折してもそこからはい上がり努力を積み重ね、精進を惜しまなかった人たちのことも含んでいるのではないかという気もしますね。

noname#189751
質問者

お礼

ありがとうございます。 格別異論はありません。 お答えを読んで、思い浮かんだのは「青の洞門」の話です。 償いと精進は違うかもしれませんが 償いの手もまた、神の手と呼ぶにふさわしい気がします。

noname#189751
質問者

補足

一応、思いつく範囲の事を書いてみることにします。 皆さんの参考になればと思います。 まず、「神の手」とは何か 一般的な広義の解釈として 「神のごとき働きの手」 となると思います。 そして、この解釈・見方は大きく分けて二通りあると思います。 一つは 超人的な技を行う手、神業の手、というものです。 もう一つは 神のごとき心の手、純粋な人間性を宿した(働きの)手、というものです。 前者は、たゆまざる努力、修練によって成し遂げられた、ある程度の安定感をもったものです。 後者は、何らかの機縁によって心が目覚めた状態を指すものであり、変化しやすいものです。 以上の広義の解釈から、狭義の解釈を選択した場合には 「純粋な人間性を宿した手」 となるように思います。 この事は、純粋な人間性こそが神である、神と呼ぶにふさわしい・・という一般観念の証明でもあるように思います。 人を離れた神は無い・・という人間中心の宗教的観念でもあるのですが そうした見方は、深い宗教的見地からすれば、超越者の一面を捉えただけに過ぎないもの・・と一蹴される可能性があります。 それでも・・ 現実から神を見る、神のごときものを知る、という点において意味があるようにも思います。 大雑把な感想ですが・・ 神の手と呼ばれる理由、条件とは、上記の中に含まれている事になると思います。 神の手 神のごとき手 とは以上です。 最後に、一歩踏み出して・・ 神そのものの手 というものを試しに記してみたいと思います。 深い宗教的な意味合いをもった言葉であり さまざまな聖典に記されているとは思いますが その中でも私にとって印象に残っている言葉です。  衆生被困厄  無量苦逼身  観音妙智力  能救世間苦 (具足神通力) (廣修智方便)   能救世間苦・・というところが重い・・ 必ず・・という響きがそこにはあるように思います。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.7

about72様、こんばんは。 「地位が、人を作る」とか。 求められるもの、必要とされるものに、応えようという、 応えなければならないという、 そうして、「カミノテ」と言われるものは、生まれるでしょうか。

noname#189751
質問者

お礼

誰しも 「求められし時」という時があるのではないでしょうか 人それぞれの立場においての「求められし時」は必ずあると思います。 欲も、もちろんありますが 普段はその事を最優先に人は動いていると思います。 その中で動く手は、普通の手に見える この場合、ごく普通の手のように見えるのだけれども 成すべき事を成している・・ という実利の手は、何でもない手のように見えると思いますが 見方によっては、素晴らしい働きをもつ手に見えると思います。 ただ、その時には気が付かない・・ 人間って、そういうものではないでしょうか 美しい自分になれても、美しいとは気付かない 神の手を与えられても、神の手だとは気付かない 振り返って 自分によくやれたな・・出来たな・・ と思う時に少しだけ気付く そんなものではないでしょうか。 >「地位が、人を作る」 のではなく、「立場が、人を作る」のだと思います。 人それぞれが、今置かれている立場において動く、働く 欲を超えた心といいますか 必要とされる意識に与えようとする心が働いて生まれるのが・・神の手だと思います。 確かに 地位、名誉、損得という欲に捉われた心は、誰でも常に働いていると思います。 悪くいえば、汚れた心は常に働き続けている・・ それでも 神のごとき心は無くならない、無くなることもない 無理に美しい心があると言い聞かせなくても、誰の胸にも、ちゃんとある・・のでしょう。 仕事の手も、或いは、急な人助けの手も みんな神の手かもしれない そんなふうに思います。

noname#189751
質問者

補足

まだ至らない感じでいます。 条件という厳しい見方に整理がつきかねている・・ いろんな思いが浮かんではくるのですが その一つに 「人は神の子」という言葉があります なぜ、そう呼んだか・・ 「人は人の子」なのに なぜ、そう呼んだのか・・ 誰もが父と母から生まれ、育てられた 「父と母の子」に違いない 父と母の手は・・神の手 そんな感慨が浮かんできます・・。

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2724/5433)
回答No.6

条件等ありませんよ。 あえて言えば、マスコミ(記者)が言えばいいだけです。 個人では広まらないけれど、雑誌やテレビ等に載れば充分。 医者や大工などでも訴訟を抱えているものもいますから、その時点で神の手という称号と矛盾するでしょう。つまり神の手といわれる基準など存在しないと言うことです。

noname#189751
質問者

お礼

・・・ かなり辛辣なご意見ではありますね。 仰っている感じからすれば・・ 神の手を持つ・・と呼ばれる人が実際には、さほどでもなかった 或いは、もっとひどく、悪い欲に染まった面があった・・ という事もあるかもしれません。 そこで思うのは・・ 人の手は、どこまでも人の手で、神の手には成れぬもの という見方ができてしまう事です。 でもどうなんでしょうね・・? それだと 人間はどこまでも人間で、神はどこまでも神である という事なってしまう気がするんですが・・ 私は、神も人間も紙一重 人間が神になる、なれる事もあるんじゃないかと思うんですが 「神の手」という言葉を、「神が宿る手」と解釈すれば 人の手に神が宿れば、神の手になる・・ 人に神の心が宿れば、神の手が生まれる そんなふうに思います。 これは、技ではなく、心という面に限って見た場合の事になると思いますが・・ もっと深く見れば・・ 神の心とは、神のごとき心、だと思います。 神のごとき・・です。 誰も、神の心は分からない けれども 神のごとき心は誰にも分かる。 それは一般には、純粋な人間性と言われるもので 誰もが持っている、心の底に持っているとされている。 そういう純粋な心のままに動く手が 神の手ではないでしょうか・・。 悪人の手でさえ、時には、神の手になる事だってある・・と思うのですが・・。 付け加えれば・・ 超越者の内在とは信仰における命題だと思いますが その事を、人間性の探究という見方に転ずる事ができるならば、哲学的な命題として扱うことができるようにも思います。 ありがとうございました。

noname#189751
質問者

補足

神の手は誰も持っている 超人の手ではなくとも 神の心が目覚めるとき その手は神の手となる たとえ どれほど汚れようとも その手は美しい まだ見ぬ人に用意された 神の手 必ずという約束を果たす手 時を待たず ここに与えられし手が 神の手であると 信じよう 私の手が 神ならぬ手であっても 求められし時 神の手は与えられると

  • kurinal
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回答No.5

about72様、こんばんは。 面白いお話を伺いました。 そもそも「神の手」とは比喩で、。 「そのように表現したいほどの」、名医だ、名手だ、ということでしょう。 名医、必ずしも彼一人の業ならず、 名手も同じ。

noname#189751
質問者

お礼

ありがとうございます。 >そもそも「神の手」とは比喩で、。 当たっていると思います。 比喩には違いない。 超人的な技を神業といい その使い手を名手という でも 名手の手を、単に神の手とは呼びがたい気がします。 極端な例を挙げれば・・ マジシャンの技は神業的ですが、その手を 神の・・ とは言い難い感じがします。 イカサマの神業を行う手を、神の手とは言い難い やはり、人に確かな利益をもたらす、実利を与えるという面がなければ、神の手と呼ぶに相応しくないと思います。 技だけでは駄目で、心がなければいけない そんな気がします。 Mr.マリックさんがいつかこんな事を言っていました。 「私のマジックは、お雑煮です・・」 イリュージョンのような派手なパフォーマンスは無い 小手先の楽しいマジックですよ という意味だと思うのですが それだけではない イカサマはイカサマに過ぎない 楽しいイカサマなんですよ という意味が含まれていたと思います。 ご自分がしている事を悟っていたと思います。 人の手が心しだいで、時には、神の手になったり、或いは人間以下の手にもなってしまう・・ そんなふうにも思います。

  • kurinal
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回答No.4

about72様、了解です。 「全部、揃わなかったら、ダメだった」 そういう条件は、あるでしょうね。

noname#189751
質問者

お礼

>「全部、揃わなかったら、ダメだった」 もう少し、外科手術の道具について触れておきます。 名医の使うセットの道具は、一般的な既成品のセットとは違うようです。 それは形状だけではない、その人だけが使う特殊なものが含まれているようです。 手の平に乗るぐらいの小さい鋏も見せてもらいましたが 切れすぎてもいけない、程良く切れて、切れ味が長持ちするのがいい・・という話も聞きました。 なんせ、人の体に直接触れる道具です。 最高度の神経がそこに加わって動くものです。 神の手の延長となる代物なのだと思います。 その小さな鋏一つにしても、あるべき条件が揃っている それは、名医という神の手先となる条件、なのだと思います。 その条件を満たすものを造る、という事も並大抵の事ではないと思います。 神の手の条件が 揃うのは確かに大変かもしれない・・

noname#189751
質問者

補足

思い入れ・・も少し書いておきます。 外科医の方には失礼になるかもしれませんが・・ 神になった、というつもりもなく、彼は手を動かす 限られた時間の中で、過ちのない作業を、一つずつ 目の前にあるのは 作品という自由に消せるものではなくて 消してはいけない命という代物 彼の使う道具は、彼だけのもの 彼だけが使いうる道具 命を託された者だけが使いうる道具 彼は神の手をもっている けれども 神になったつもりはない ただ人がそう呼ぶだけである 彼は 命を託された責任を果たす、という事のために自分がいると知っているだけである ・ ・ ・ ・ ・ この手は神の手ではない・・ そう思って見る手は、普通の手 指先に残っている 多くの命を預かり、救ってきた確かな記憶、を除いた他には・・

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.3

A様、こんにちは。 お言葉ではございますが、 条件や成り立ちをお尋ねになられました。 ですが、その前に、 「コレはあるのだ」と宣言されるのは、 思い入れの為せるワザでしょうか。

noname#189751
質問者

お礼

私の知っている、医療機器製造の会社の方から聞いた話ですが 一流の外科医は、手術に使う道具はすべて特注品であり、その人だけのものだそうです。 全部オーダーメイドの品ばかりだと言うのです。 実際に見せていただいた事がありましたが 素人の私には分からないものばかりでした。 オールステンレス製の、ごく小さなものから大きなものまでありました。 たぶんですが、かなりの高額な代物だったと思います。 そうした特殊な道具を使う方も凄いのですが・・ 造る方も、ちょっと違います。 製造工場の内部を見せていただいた事がありましたが 主だった金属加工はすべてコンピューター制御で、工場の中は静かでした。 製造過程の最後の仕上げだけは、人の手によらなければならないという事を聞きました。 そこには微妙な感触があるのでしょう。 人それぞれ違う特注品ともなれば、なおさらだと思います。 熟練工の手によらなければ、高度な注文に応じられないという面があるようです。 神の手が使う代物は、神の手によって造られる・・ そんなふうに思いました。

回答No.2

人間の脳には、まだまだ潜在的能力がある。 陸上競技の記録において、「xxの壁」と言われて なかなか破れないラインが、一度破られると ドドッと多くの人が超えられるように、脳によって ブレーキがかけられている部分がある。 我々の日常生活で考えられている「人の限界」は、 天才=自分の世界に没頭して抜きん出た業績を あげる人にとっては通過点に過ぎない、ていう。

noname#189751
質問者

お礼

ありがとうございます。 >自分の世界に没頭して抜きん出た業績を あげる人にとっては通過点に過ぎない 限りない進歩向上の過程が 一般人から見れば、神のごとくに見える のでしょうね。

noname#189751
質問者

補足

人の手が神の手と呼ばれるのには、それなりの理由があるはずです。 その理由を条件として捉えてみたいと思います。 また、その条件がどのようにして満たされ、神の手となっていったのか、その過程を知りたいと思います。 (参考雑感) 人の手は神の手 神の手は人の手 過ちの手は、過ちを知る手 過ちを知らぬ手は、いつしか過ちを知る手 過ちの無き手は、過ちを知る手から生まれる

回答No.1

おちんちんがかゆい。 この瞬間のためだけにゴッドハンドはある。

noname#189751
質問者

お礼

お疲れさま。