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大切な人の死を受け入れたい

現在大学生一年生の女です。 六年前に亡くなった人を思い出して未だに泣いてしまいます。 メソメソするのはよくないと思っているのですが写真を見たり、その人を思い出すと泣いてしまいます。 酷いときにはには名前を聞くだけで泣いてしまったりもします。(自分で名前を口に出すと泣きそうになります) 家族や親せきではなく、父の恋人(三年間共に暮らしていた人)でしたが、私の事を愛してくれた人でした。 父も新しい恋人と再婚し、弟も受け入れているようで私一人がメソメソしています。 解決の方法が分かりません。 彼女のことは忘れたくもありません。 精神的に弱いのが原因だとは思います。 六年間もメソメソするなんておかしいとは思っています メソメソするのもやめたいです。 どうしたら彼女の死を受け入れられると思いますか? 自分はこうしたなどの意見があれば教えていただきたいです。

みんなの回答

noname#187256
noname#187256
回答No.5

大切な人の死が無くなった 現在、20代後半だったかそれすらも適当な女です。 3~5歳くらいに事故で亡くなった可愛がってくれていた遠縁の親せきを思い出します。 高校くらいに自死した同級生を思い出します。 成人してすぐ辺りに、事故で亡くなった親せきのご友人を思い出します。 成人してだいぶたった辺りに、母を亡くした親せきを思い出します。 20代前半辺りに寿命(だと思われる)で逝った祖父を思い出します。 私の場合は、泣かないようなのですが自分でも気づいていないうちに深いトラウマになっている事に気づきました(夜見る夢の内容とか、やたら山で事故の夢ばかり見てどういう事だろう、と思っていたら3~5歳くらいですし私も覚えてないような昔に亡くなった遠縁の親せきの死因でした) 今年に1番好きな相手が居ましたが、何の前触れもなく亡くなりました。 前触れがあって亡くなったのは、病院側から「調子がよくないので覚悟してください」と言われた祖父くらいでしょうか。 写真が残ってるのですが、全く涙が出てこない。 思い出が無くなった。 存在していた事が無くなった(ように私と親戚は感じる) どういう事なのか不明で、混乱しましたが 結果として、私が1番好きな相手は今年に亡くなった。写真は残ってるが、その相手を思い出そうとすると思い出がなくなっているようです。 1番酷かったときは、他人の死やペットの事故などを嬉々としながら語れる輩がパート先に居た事でしょうか。その本人の前だけならともかく、周囲に5人辺り人が居たので私は大泣きしてその場に居た人は、全員引いてかたまりました。 接点のある無しではなく、私は他者の死がトラウマになるようです。母を亡くした親せきと祖父くらいしか名前を思い出せない程度の浅い付き合いでした。向こうも多分こちらを覚えてません。 「てっちゃん」 手が妙に長いからついたあだ名なんですが、周囲の人はみんなそう呼んでました。 今文字として入力してみたんですが、1番好きな相手と書いた癖に何も感じていません。何故なのだろうか? 私の場合は理由がわかりませんし、相手は亡くなったので永遠に分からないです。 質問者様の場合は、理由は分かる時が来るかもしれないと感じております。 ここから下、いくつか気になったのですが、私が気になっただけで答える必要はないです。 ・六年前に亡くなった人を思い泣く。 ・メソメソしてしまう傾向にある。 ・酷い時(酷い時とは、どういう時なのだろうか)は他者が発した名前を聞いただけで泣く。 ・思い出しても泣く。 ・限りなくお義母さん?に近い方で、質問者様を愛してくれていた。 >父も新しい恋人と再婚し、弟も受け入れているようで私一人がメソメソしています。 この悲しみを、事情を知っている父や弟と共有出来ないので余計にお辛いのでは。 特に新しい恋人と再婚されたそうで、話題に出来ないかしにくいようなので。 >解決の方法が分かりません。 私が回答者として出来そうなのは、こういう考え方や受け止め方があるから考え方を変えてみては、程度で全く貴女の大切な方が亡くなった事は絶対に変える事が出来ません。 解決の方法は、亡くなったことをゆっくりと受け止めていくこと、かもしれませんし。 いっその事忘れるのも手かもしれませんし。 理解者になってくれそう(父/弟)と2人きりの時に、悲しくてたまらないと打ち明けるのもいいのかもしれません。 >彼女のことは忘れたくもありません。 忘れるのも手かも、と書いた後なのですが質問者様の気持ちが大事なので、忘れないのも手かもしれませんと回答を変えてみます。 >精神的に弱いのが原因だとは思います。 大切な人が亡くなって、弱くならない方を私の周囲で見たことがないのですが・・・。 >六年間もメソメソするなんておかしいとは思っています 同級生の自死は15年以上くらい前のような気がします。 私が他人が自死したのは、彼女が初めてなのでトラウマになっているのはおかしいのでしょうか。 >どうしたら彼女の死を受け入れられると思いますか? >自分はこうしたなどの意見があれば教えていただきたいです。 貴女様は、なにか作品とか創ったりするのは好きですかね(これも答えなくていいです)私の知り合いは創ることが好きな方が多いのですが・・・。私は人物の設定を作って、数作品くらい作ったあとに妙なことに気づきました。  主人公が高確率で女性に自死されて、おかしくなっている 作ったあとなんで話は完結してます。つくりものなんで、女性をよみがえらせる展開にすりゃいいのにと思ったものの、1度も女性がうまれかわったり、そういう展開にもしてないです。 気づいたのはほんの最近ですし、至るところに自死した子のざんがい(?)が残っているとは驚きました。その子はひっこししたのですが、家族は近くに居ると父から聞いたのですが 「あなたのお子さんは、私の作品の中で生きている」 と言えるほど親しくもないうえ、亡くなった歳にその子の母の悲しみ方が尋常でなかったので(多分、お母様も理由がわからないのに自死という道を取られたのだと思いますが、その辺りも知りません・・・)この気持ちもどうする事も出来ませんでした。 受け入れられるかは個人差があるらしく、同じ件でも母は別にさほど気に止めてないのに父はいまだに引きずっています。父は男なので泣くことも許されない家庭で育ったらしいので、泣いたりしているのを見たことがないですが後悔ばかりしているようです。 遠縁の親せき→どうなったか不明です 同級生→書いた通りご家族はひっこしはしたものの近所におられるが不明です 親せきのご友人→親せきの方のショックが凄かったですが、家族の支えもあり立ち直れています 母を亡くした親せき→割と最近、結婚出来たみたいです。幸せになっていると信じたいです 祖父→父の口癖になっているので本人はやりきれないようです。性格的なものなので、誰にも支えを求めません 私→「     」

mapleiroha
質問者

お礼

解答ありがとうございます。 解答者様もお辛い経験をたくさんなさっているのですね…。 前触れもなく亡くなったわけではないのでまだ私は考えがまとまりやすいと思いました。 分かりにくい文章で申し訳ありません。 「ひどい時」というのは全体的にうまくいかず落ち込んでいるときです。 解答者様のご解答の中にありました 「家族にうちあける」ということをしてみようと思います。 精神的に弱いと感じたりおかしいと感じるのは私の周りで似たような経験をしている人がいないからかもしれません。 ゆっくり解決していこうと思います。 解答ありがとうございました。

  • noyet
  • ベストアンサー率22% (15/68)
回答No.4

こんにちは、浪速のおっちゃんです。 思春期に大変辛い目に会いましたね。 大切な人を亡くして悲しむのは、精神的に弱いとはいいませんよ! 情が深すぎるので、気持ちの切り替えに時間がかかっているだけです。 おっちゃんは、学生時代は友人を交通事故で、3年前には仲のいい同僚を仕事の事故で亡くしました。 死を受け入れたり、忘れたりなんてしていません、逆に横にいる、自分の事を見てもらっているって思っています。「彼らの分まで」ではなく「彼らと一緒に」自分の人生を過ごそう。 なので、彼らに笑われない彼らが悲しまないように行動しようと心がけてます。

mapleiroha
質問者

お礼

解答ありがとうございます。 お優しい意見ありがとうございます。 忘れないように、天国の彼女に笑われないように、悲しませないように行動しようと思いました。 「一緒に」過ごすという考え方はしたことがなかったのでそのように考えることもしてみようと思います。 解答ありがとうございました。

  • yuna-
  • ベストアンサー率44% (214/480)
回答No.3

とても大事な人だったのですね。 お葬式や告別式、49日などには参加できたのでしょうか。 私も家族を亡くしたときに、とてもショックでかなり泣きました。 お葬式の時は、泣きすぎて立てなくなるほど泣きましたが、 そのときにお坊さんが話してくれたお話では、 お葬式や初七日、49日、1周忌とつづく何度も行われる法事は、 亡くなった人のためだけの物ではなく、生きている人が、亡くなった人への気持ちを 少しずつ整理していけるようにあるのだといっていました。 式を何度も繰り返し行うことで、亡くなった人が本当になくなったんだという現実を、 少しずつ自分の心にも受け入れられるように繰り返して行うのだそうです。 だから何回もやるんですといっていました。 亡くなったばかりのときは本当に悲しいけれど、法事のたびにみんなで故人の話をして、 最初はみんなで泣きながら話しても、1周忌、3周忌と続くうちに、 故人の話を少しずつ笑顔で話して偲べるようになれるようにするためにあるのだとという感じでした。 ご家族の方と、彼女の死後に彼女の話を沢山しましたか? あまり話をされなかったのかなぁと思います。 みんなで泣きながらでもいいので、あのときこうだったよねぇ。とか、 こんなことがあったよね。あのときこんな話をしたよね。とか、 亡くなった人を偲んで何度も何度も長時間お話されるといいですよ。 私は、弟たちと毎晩泣きながら故人の話をして、それによって少しずつ立ち直れたように思います。 こころのなかにあるものをずっと秘めていては、この先も辛いと思います。 新しい彼女さんが気をわるくするのが心配であれば、弟さんに事情を話して、 二人で故人を偲ぶお話を気が済むまで何度もするといいです。 どうして死んじゃったのかなとか、もっと一緒にいたかったとか、 ありがとうって言いたかったとか、沢山あふれてくるものをみんな言ってしまえばいいと思います。 そうすれば少しずつ心も晴れてくるのではないでしょうか。 少しずつ立ち直って、元気になってきたら、仏壇やお墓へ行って、 故人を思い出しながら心の中で話しかけて故人とお話してきてもいいと思います。 ただ、これはもう少し元気になってからのほうがいいです。 彼女のことを忘れる必要はないです。 忘れることと、引きずらないこと、吹っ切ることは同じではないからです。 立ち直っても、ふとした瞬間に思い出すこともあると思います。 それでいいんです。 そうしてたまに思い出して、故人を偲べばいいのです。

mapleiroha
質問者

お礼

解答ありがとうございます。 一周忌過ぎたあとから参加できる状況ではなくなってしまっていました。 丁度弟は気難しい年頃でその人の事を話すのを嫌がります。 でも、この気に頼んでみようと思います。 お墓参りにも今は家庭の事情で行けない状況ですがいつか行けたときには心のなかで話しかけてみようと思います。 時間をかけてみようと思います。 お優しい解答ありがとうございました。

  • chiychiy
  • ベストアンサー率60% (18536/30885)
回答No.2

こんにちは お辛いですね。 中学の時ですか?その方がなくなったのは? 多感な時期に受けた衝撃は心の奥底に沸々と残ってます。 きっと、その方は心から愛してくれ、きっと本当に心の支えに なってくれた人なのでしょうね。 彼女の存在は、もうないですが、彼女を思い出してあげることは出来ます。 それがいまなんだと思います。 泣きたいときは泣いてください。 我慢することはないです。 涙は少しずつ心を解きほぐしてくれます。 昨日の涙と今日の涙は感覚的に違うものだと思います。 その方が亡くなってしまった季節や、こういった慌ただしくも寂しい夕暮れは 人の気持ちをナイーブにさせます。 彼女が天国で心配しているとはいいません。 人の涙を救ってくれるのはひとでしかありません。 これから先、愛する人が(恋人とか)出来れば、また違う感情の元 別の涙が生まれます。 自分が幸せだったと、幸せだと実感した時に、 中学の時に育まれた愛おしい人の死を、「あの時は辛かった」と 思い出に変えてくれます。 時間を大切に使いながら、無理に忘れようとはせず、 少しずつ現実を見るようにしていくといいと思います。 人は悲しみの中だけでは生きていくことはできません。 周りを見れば、自分を支えてくれる人の気遣いもあるはずです。 一人ではないという心の重みを感じてみてくださいね。

mapleiroha
質問者

お礼

解答ありがとうございます。 中学一年生のときでした。 もう少し時間をかけてみようと思います。 いつか受け入れられるといいと思います。 解答者様の優しい文章に安心しました。 今はまだ泣いてしまうかもしれませんが少しずつ現実を見られるように頑張りたいです。 解答ありがとうございました

  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.1

>>どうしたら彼女の死を受け入れられると思いますか? 人の死については、どうしても「あの世」について語ることになります。そして、科学が進んだ遠い未来なら、科学的・論理的に「あの世」や「死」について語れるでしょうけど、科学が未発達の現代では、異次元の解析が十分ではないので、宗教的な言い方になってしまうと思います。 そして、宗教的な言い方をすれば、死んだ彼女の魂は、あの世で生きていると信じることでしょう。(ただし、もし彼女が自殺したのなら、魂はあの世に帰っていないと思いますが・・・) また、人それぞれ、生まれてくるときに、自分の人生設計をしてきます。中には、早くに亡くなる計画をたてる方もいます。その人にとっては天寿を全うしたことになります。 いずれにしても、誰しも100%死んでゆくのです。質問者さんも、私もあと数年、あるいは数十年すれば、必ず死にます。いや、もしかすると明日、2人とも死んでしまうかもしれません。人生ってこんなものだと思うことです。あの世に戻れば「あっという間の一生だったね」と誰しもが思うことでしょう。 仏教でもいいますが、執着をあまりもたないこと、生に執着しないことが大切です。 これを機会に仏教、キリスト教とか、禅など、宗教的なことを勉強されるといいと思います。

mapleiroha
質問者

お礼

解答ありがとうございます。 がんによる病死でした。 余命宣告をされてすぐになくなってしまいましたが彼女自身は準備をしていたようです。 彼女としては後悔がなかったのかもしれませんね…。 きっと彼女は天国で痛みも苦しみもなく暮らしていると考えられるようになりたいです。 ありがとうございました。