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数寄は好きですか?
- 数寄屋造りとは、金持ちの道楽から庶民に広がった建築スタイルです。
- 数寄屋造りは公家や武士が独占していたものを少数の金持ち町人が始めたもので、大工や庭師、茶道、俳諧などにも影響を与えました。
- 数寄屋造りは金と暇がないと作れないスタイルであるため、庶民的なイメージは適切ではありません。
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感覚でお答えしてみましょう。 数寄は 「細い」 書院は 「太い」 数寄は樹木でいえば、赤松やモミジでしょう。 書院は黒松や梅でしょう。 日本の樹木の中でも、赤松は一番だと思っています。 その優雅さ、上品さ、大らかさは格別です。 モミジともども、伸びやかな上品さがあります。 かたや、黒松は剛直で力強い感じがします。 梅もそうですが、特に白梅は、そこに清楚な感じが加わった上品さがあります。 この固く詰まったように見える、いわば「ため」の感覚も日本的なものです。 赤松と黒松の違い モミジと梅の違い これらは、侘びと寂びの違いのようでもありますね・・ 修学院離宮の一番の眺めは、もちろん、上の茶屋からの雄大な借景だと思いますが 歩いてみると、赤松やモミジが中心となった景色が多く ゆったりとした解放感があります。 (まあ、天皇の庭ですからね・・) 昔、私が行った時には、中の茶屋から続く、松の並木道にある赤松の手入れを庭師さんが大勢してやっていました。 いったい、どれほど手間やお金がかかるんだろう・・ などと思いましたが お金は関係ないんでしょうね・・ ここはお金とは無縁の世界・・そんな感じがしたものです。 桂離宮は、どことなく神経質な感じがします。 樹木や石の配置、組み合わせや、建物や垣根などの工作物のどれを取っても、細やかな神経が感じられます。 タウトが泣きそうだ、と言ったように、ここには人目を惹く、日本の山水の美しさの傑作があるのでしょう。 でも・・疲れる・・ 桂は井上靖さん、修学院は大仏次郎さんの随筆を読むと、そんな感覚がやはり伝わってきます。 数寄の世界は 私達一般からみれば、夢の世界です。 悪くはないが、とうてい身にそぐわない・・ そんな感じです。 もっとも・・ ちょっとゴツゴツした感じが好きな私には合っていないのかもしれませんが・・ あまり上品すぎず、すこし不細工なくらいの方がいい 名園でない、庶民の庭のほうが、いいと思える時もありますし・・ あとは、自然が一番かな・・とも思います。
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- 雪中庵(@psytex)
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おっしゃられているように、語源的に「数奇」は、「好き」 から来ています。 日本の伝統家屋は、詳しくルール(「木割り」という)の 定められた、自由度の少ないものだったところ、トップの 権力者以外の人も、多少の財力や権力を得るようになり、 その余裕を、独自のデザイン的な工夫にかけたのです。 「数寄者」を考えれば分ります。 それまでは「文武両道」といったように、実用的な才能を 伸ばすのが正道であったところ、今なら「ヲタク」のように、 趣味の世界=独自の価値に没頭する一群が現れたの です(それでも生きられる時代になった)。
お礼
確かに江戸時代に武士なのに剣術はからきしダメで、 踊りとか謡曲とか風流とかで殿様に取り入ったのがいましたね。 これも文化ですね。 どうもありがとうございました。
>数寄は好きですか? 好きですw。 いずれにしても文化というものは遊びがはいって豊かになっていくものですから、やっぱり余裕というか、金と暇が大いに関係してくるのでしょう。おこぼれですよ。西洋でもモーツアルトだってフェルメールだって当時の俗物の金持ちパトロンが居たからそのおこぼれであれだけの好きなものが比較的自由な精神で作れたのだと思います。日本でも事情はあまり変わらなかったのではないでしょうか。数奇じゃない数寄は好きと同じ様な意味らしいですね。
お礼
実はスキが数奇と数寄が出てくるのでどちらだか解りませんでした。 言われてみるとごもっともです。パトロンですね。 パトロンがいないと才能が埋もれしまう。越後屋がいないと。 どうもありがとうございました。
お礼
私もですね、修学院の方が好きです、タウトと逆ですが。 もちろん観光気分ですけど。 自然界のパーツを凝縮して巧妙に再構成する訳ですがこんな不自然なものはありません。 (いい悪いは別として)、桂はそんな感じがします。 どうもありがとうございました。