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校舎がコンクリートに変わった頃
いろいろな地方の人と話していると、学校の校舎がコンクリートに建て変わったのは、1970年前後の狭い範囲に集中しているようです。全国的に建て変えたのは、何かのきっかけがあったのでしょうか。文部省の通達とか。。それとも単に高度成長の副産物なのでしょうか。
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戦後のベビーブームのころの子供が、小中学校に通ったのはもっと前です。最大のピークは1948年 (昭和23年) で、その前後3年間に生まれた子は、1955年 (昭和30年) から1965年 (昭和40年) にかけて小中学校に通いました。 1970年 (昭和45年) 前後といえば、第2次べービーブームとの端境期に入り始めたころです。鉄筋化が促進された要因として、 (1) 戦前から終戦直後に建てられた木造校舎が耐用年数に達した。 (2) 教室が余り始め、校舎、敷地の活用策が考えられ始めるようになった。 (3) 児童生徒の体格が向上し、グラウンドを広げたり、プールを造ったりするため、校舎を複層化する必要に迫られた。 (4) 戦前から続く小規模校の統廃合が促進され始めた。 (5) 高度経済成長期に入り、公共工事が推進された。 などが考えられると思います。
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2番です。 お礼ありがとうございます。 地方によって違うのですね。 私は昭和42年に小学校に入学しましたが鉄筋校舎と木造校舎があって、1年間だけ木造校舎でした。2年の時は、皆全学年鉄筋校舎でした。その後人数が増えた学年ももあったり教室が不足して、追加工事など行われました。 私の地方が早かったのですね。
その頃の小学生・中学生は昭和20年・30年代生まれで1学年の人数も多かったはずです。 1学年6~10クラスはあったと思います。 教室は当然不足します。 当時の体験者です。
お礼
解答をありがとうございます。 昭和20年代の前半の団塊の世代は大人数ですが、昭和45年頃はもう卒業していますね。 昭和30年代生まれは人口的に谷間で、団塊の世代の7割ほどしかいません。当時の体験者ですが、学校には空き教室もあり、意外にゆとりがありました。都市近郊や、工場地帯など人口急増地域では、また違うかも知れませんね。
- kotoko
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こんにちは。 「学校建物規格」ではもっと古くからのようです。 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/kokusai/002/toushin/020801cj.htm きっかけはこちらが参考になると思います。 http://www.maboroshi-ch.com/sun/sch_12.htm
お礼
参考になるサイトを教えていただき、ありがとうございます。 昭和38年には過半数の校舎が耐火構造になったのですね。
お礼
わかりやすい解答をありがとうございます。 (1)などまさにそうです。戦前の校舎や戦後の急造校舎が、ボロボロになっていました。 (2)(5)も、とても納得できます。衣食足りて→高度成長して→建物に目が向けられたのでしょう。 (3)のグラウンドはコンクリート化で高層化することが出来て、結果として広くできたとも言えますね。プールは、校舎の新築より何年か前にできた学校が多かったようですが。