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早く書かせる教育は子供の何を伸ばす?
公立小6年生娘の親です。娘の学校では、クラス全員の子供に対して4年生の頃からノートに書くときは、綺麗に書かなくてもいいから早く書きなさいと常に言っていますし、それが学校のルールだとも言っています。これは全国どの学校でもそうなんでしょうか?また文部科学省の指導にでも盛り込まれている事項なのでしょうか?私は、理解しがたいところがあるので、本当のところがどうなのか教えて下さい。
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小学校では、通常はていねいに書く指導を行うと思います。 ノートというよりも、「字」の書き方を定着させるという目的が大きいのだと思います。 本当に学校全体で同じようにノートを急がせているとしたら、ちょっと珍しいのではないでしょうか。 学年が上がり、中学校・高校となると、御指摘のように、「自分にだけ分かるように速く書く」という技術も求められると思いますが、これは、どちらかというと「受験学力」に入ると思います。 文部科学省でそのような指導を奨励したことはありません。 小学校の指導が身についたために、ノートをきれいに書こうとするあまり、かなり時間がかかってしまう生徒は中学校でも見られます。 教科担任としては、授業を効率よく進めたいという気持ちも手伝って、「速記」を呼びかける場合はあるでしょう。 それにしても、「ていねいに書く」という価値を否定することになりかねないので、統一的に「速く書く」指導をすることは少ないと思います。
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- makoto_nifty
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こんにちは。直接的な答えではないかもしれませんが、私の意見です。 1.文科省(お役人)の教育方針がベストではありません。 →世の中には、有名ではないけれど、とても有益な教育方針、教育方法があります。賛否両論があるとは思いますが「シュタイナー理論」や「マインドマップ」など。シュタイナーは私が知った時点で既に私自身大人でしたので体験してませんが、マインドマップは仕事でも重宝してます。また速読や速超なども良いようです(私の友人は生まれつき速読が出来たようで、新聞1面を約10秒で読んで意味を理解できます) 2.学校の独自性 →ご指摘の公立小学校ですが、そこまで指導できるのですから、きっと自信があって全校一丸となった教育が実践できているのだと思います。とてもうらやましい学校です。通常私学では出来ますが、公立の場合、校長以下教員のほとんどは教育委員会を気にしながら教育しているのが実情。そんな中でそこまで自信がもてるのですから、効果のほどは他のかたのコメントにお任せしますが、学校自体は、とても正常に機能していると思います。 3.所感 →私が小学生の頃は色んな先生が居ましたが、最近は金太郎飴みたいな先生が多いみたいですね。生物学出身の私が言うのも変ですが、そもそも生物とは多様性を重んじるべきであり、それは人間も同じこと。画一的な教育では生徒の個性はおろか、多くの才能を見出し伸ばすことは不可能です。 4.結論 →ご自身の知識と感性で判断してみてください。私が感じた限りでは、内容はともかく、正常に機能した面白い(昨今の公立学校には少ない)学校だと思いますよ。
お礼
ありがとうございます。おっしゃるとおり多様性大事ですので、私は、一律に早く書かせるのが良いとは思えません。
- JET-LUCK
- ベストアンサー率46% (35/76)
私の考えです。 速く書かせることは、先生が黒板には書かないこと、つまり先生が言ったことで大事だと思ったこともノートに書きなさいよってことじゃないですか。これって、小学生のうちは特に大切じゃないと思いますが、中学→高校→大学と学年が上がっていくごとに大切になっていきますよ。それに、慣れないと難しいので、小学生のころからやることはいいことだと思いますよ。今私は大学生ですが、大学の先生は、まともに板書をしないので、先生が言ったことで大切だと思ったことをいかに書き取るかが大切です。 >これは全国どの学校でもそうなんでしょうか? 私が卒業した小学校では、そのようなことは言われませんでしたよ。
お礼
ありがとうございます。参考にします。
- dulatour
- ベストアンサー率20% (327/1580)
私の個人的な考えです。 速読は小学校高学年から必要です。それは、視点の移動を早くすることの訓練になるからです。ただ、難しい内容をしっかりと理解するには「速読」ではできません。内容の概略を掴む「速読」と「熟読」を使い分けるように出来るのが小学校の高学年からでしょう。 翻って、書くことに関して言えば、小学校では、常用漢字の基本的な部分を修得する必要があります。まず漢字をしっかりと書くことが出来る能力を養うべきです。そうしないと、一生、漢字を楷書で書けないような人間になってしまいます。漢字の書き取りに関して、別に、真剣に取り組んでいるのならばよいですが、ノートを速く取るということは、中学や高校になってからでも良いと思います。 なぜ、速く書かなければいけないのかをきちんと質した方がよいですね。
補足
私も、そう思うのですが、何度質問しても高学年になると情報量が多くなるためという回答で、家では学校のルールがわかっていないという回答でした。
- ponpon--
- ベストアンサー率26% (21/79)
>これは全国どの学校でもそうなんでしょうか? いいえ、ちがうでしょう。担任の先生によってはそういう人もいるでしょうが、 学校全体でそうやっているのは珍しいように思います。 >また文部科学省の指導にでも盛り込まれている事項なのでしょうか? そんなこまかいことまで文部科学省は指導しないのでは。 >私は、理解しがたいところがあるので、本当のところがどうなのか教えて下さい。 いやぁ~、それは学校に聞かなくては分からないでしょう。 いくら高学年とは言っても子どもですから、先生の話の趣旨を理解できていないこともありますからねぇ。 分からないことがあったときは、担任の先生にお手紙でも書いてみるのが 一番いいのではないのでしょうか。 ちなみに、一時期大流行だった100マス計算は数字がきたなくてもいいから、速く書く事のみを重要視していたのでは。 また、ノート記録は、「早く」「丁寧に」の相反するような 2つの条件を満たすことが勉強をできるようになるコツだと思います。
お礼
ありがとうございます。参考にしたいと思います。
- shigure136
- ベストアンサー率37% (278/744)
ノートが何の為にあるのかを理解すれば答えは簡単に出てきます。 ノートは、一つには字の練習、計算の練習などの為にあり、一つは授業などの内容を書き留めるメモの為にあるのです。 字を練習する目的にノートを使う場合は、きちんと、ゆっくり、丁寧に、時間をかけて書かなければなりません。 しかし、次第に高学年になってくると、先生の話した内容を即座に書きとめながら、先生の話を聞きながら重要事項を把握し、復習のときに読みかえすメモ帳としての役割がノートに求められてくるのではないでしょうか。この時にもきれいに、丁寧にを優先させていたのでは、メモは先生の話に追いついていけません。 そのノートに何を求めているのかで、ノートの取り方は変ってきます。そして次第に自分のノートのとり方が考案されていくのです。 自分にしか読めない字で取ったノートでも、自分が後から読み返しても理解できるものであれば良いのではないでしょうか。ノートはあくまでも自分のものであって、他人の目を意識して作る作品ではないのですから。 どうしてもきれいな字のノートが必要であれば、その自分にしか判らないような文字で書かれたノートを、もう一度まとめながら、きれいな字で清書してゆけば良いのですから。 ちなみに、きれいな字で、丁寧に書かなければ先生に怒られるという内容の質問が書かれているものが二つあります。ご参考までに質問NO.を記載しておきます。世の中は様々ですね。 QNo.2952806 QNo.2950409
お礼
ありがとうございます。私の小学校・中学校時代は、先生に「早く書け」と言われた事はありませんが、高校になってから自分が必要な時にノートの取り方を工夫してやったものですので。
- juntoimai
- ベストアンサー率4% (1/23)
高校生の私が言いますが、それは結構大切です。 私の体験から言いますと、高校ではノートをすごい量消費します。ということは当然書く量も多くなりますよね。小学生では黒板に先生がゆっくり書いてくれてしかも書き終わるまで待ってくれると思いますが、高校では通用しません。また特に遅いと困るのが英語です。その中でもリスニングは一分一秒の戦いです。長文のリスニングはメモを取って解答していきます。そこで丁寧に取っている暇はありません。というか早く書いても間に合わない場合もあります。 じゃあまだ小学生だからいいではないかと言いたいところですが、いきなり早く書くと字が汚くなります。高校の数学はややこしい問題が多いので汚く書くとミスをする場合があります。やり方は知っているのに、ミスで減点はもったいないですよね。大学入試、センター試験の1点は大きいですし。 というわけでその学校の方針に従ったほうが慣れとか後々のことも考えいいと思います。 ちなみに私の学校ではルールではないですが先生がよく言います。
お礼
ありがとうございました。参考にさせて頂きます。
- toshipee
- ベストアンサー率10% (725/7148)
決まっていることではないと思います。高校で教えていての経験則ですが、学力が低いことの共通に思える事項として、ノートを写す速度が極端に遅いことが確かに思い当たります。その理由は「私は」「昨日」「○○した」などと文節で切ってしか書けないと言うこと。下手すれば、一漢字ごとに目を移しています。「私は、昨日○○した。」と長い文章として覚えられないようです。教科書の文章を写したり、黒板に書かれたことを写すとき、早く書くことを徹底しようと思えば、必然的に目を移す回数を減らせばいいことに気づくはずです。そこを言っておられるのだと思いのます。
お礼
ありがとうございます。あなたのように必然的に目を移す回数を減らすように出来ればいいのですが、気がついてそういう事が出来る能力のある人ならいいのかもしれませんが。
お礼
ありがとうございます。悩んでいた事がすっきりしました。
補足
担任の先生の指導について校長先生に手紙を書いた時は、少し改善が見られたのですが、校長先生が変わったら元に戻ったようで、今後、どのようにしたら良いかと悩んでおります。なにかいい方法をご存知でしたら、教えて下さい。