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「諦観」の意味
それを調べたら 本質をはっきり見きわめること。また、あきらめ悟るの意でも用いられる。 と、ありましたが、この二つは同じ意味なのでしょうか? あきらめて悟ると言うのは、なんだか後ろ向きなイメージがあり、物事から逃げ出した結果・・・と、いうイメージが強いのですが、そうなると、物事を深く知り悟る、という意味の諦観とは全く違うニュアンスのものとなってしまう気がするのですが、どうなのでしょうか?
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参考意見です。 諦観の二つの意味が繋がらず疑問に思われたということですが、仏教用語であることを鑑みた上で解釈する必要があると思います。 【諦観】1)http://dictionary.goo.ne.jp/srch/jn/%E8%AB%A6%E8%A6%B3/m0u/ 2)http://www.weblio.jp/content/%E8%AB%A6%E8%A6%B3 参考リンクを読めば、諦観には、ただ「諦め悟ること」だけではなく、「超然とする」というニュアンスが含まれているということが解ります。 なお、超然には「物事にこだわらないで平然としている様子・世俗に関与しないさま」という意味がありますので、諦観とは「世俗に囚われず執着や迷いのないこと」、すなわち、「妄執から解き放たれること」と言えると思います。 そう考えると、「妄執から解き放たれること」とは、「諦め悟ること」でもあるし、「物事の本質をはっきり見きわめること」と言えます。 【妄執】3)http://www.weblio.jp/content/%E5%A6%84%E5%9F%B7 4)http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/218545/m0u/%E5%A6%84%E5%9F%B7/ 平たく言ってしまうと、諦観には「二兎を追う者は一兎をも得ず」に通じるものがあると思います。本当に大切なことは何なのかをじっと見つめ考えるとき、それは何かを諦めることでもあります。 人は万能ではないし、チャンスも生も限りがあります。 限りある生を無駄にしないこと、それは何が本当に大切なのかを知るということでもあり、それを見極めることを「諦観」と言うのだと思います。 諦観には「諦め」という文字が入っていますが、これは後ろ向きに生きよということではなくて、「妄執に対しての戒めであり、悟りを指している」のだと思います。
- princelilac
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小人の自説です。参考にはならないかも知れませんが…。 例えば「死」は悲しいものであり、避けようとするのが普通です。日頃は話題にすることも避けがちです。しかし決して避けることのできない宿命でもあります。そして肉親などの死に接し、悲しみを乗り越えた後などは、別の感情が生まれてくるものです。 「永久に生き続けることの方が不自然である」とか、「最期まで頑張って生き抜いたことは確かである」「失敗もしたし、時には悪いこともした。でもそれを全部ひっくるめて人間的だった。」みたいな感覚です。一生懸命に治療をしてくれたお医者さんに対しては感謝の気持ちすら湧いてきます。 人智の及ばない世界があることを悟り(観)、それを静かな心で受け止める(諦)心境だと思います。生き地獄のような悲劇でも、もしかしたら宇宙の仕組みの一つであるのかも知れません。
- cxe28284
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諦観 辞書では1、入念に見ること諦視。2、仏教用語 3あきらめることと、でました。 人生を諦観する。(あきらめ) 諦める、諦め、も同じ字ですね。 物事をはっきり見定めてみると希望より失望して潔く諦めることの方は多い?
- ducakoro
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すっごい美人な女がいて、 おれに口説けるかどうか、ちょっかいを出す前によくかんがえる 相手がどれだけきれいかを見定め、そして鏡にうつる自分と比較する あ、これは無理だwwwwwと悟る これが諦観である
お礼
それは努力不足の言い訳では無くてですか・・・?
お礼
感じに 諦 と入っていますが実際には 明らめる 物事を明らかにするという意味の 諦 らしいです そう指摘いただきました 回答ありがとうございました