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極刑を望む事件の被害者遺族の心理に付いて教えて下さい。
こちらの質問は検察とは別に、被害者側が何故極刑を願うかです。 被害者の家族たちは殺された事を否定したいと思います。 殺された事が悲しいかの訴え。 本当は殺されたくないっていいたいんじゃないですか? それならやってる事と言ってる事が反対です。 傷つけたり殺す事が悲しいと思っているかのなら、何で殺したいと思うのですか? とても矛盾していると思います。 殺すとか殺されるとかそういう部分から逃げたいとは思わないのでしょうか? 誰も死なないに越した事はないのに。 被害者も犯人も自分も。 殺し殺される事が悲しいと思ってやっているのなら矛盾です。 それならどういう感情がそうしたいと思わせるのでしょう?
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No.8です。ここからが本題です。 殺人者の気持ちが一般の人には中々理解できないように、被害者遺族の気持ちも当事者でなければ解らないこともあります。 殺人犯の気持ちは、本当は分かってはいけないのではないかと私は思います。 本当に分かってしまうということは、自分自身もいつ犯罪を犯してもおかしくない精神を持っていることになってしまうからです。 殺人を肯定することは、殺人を許すことになってしまいます。 殺人を許しても良いのは正当防衛だけです。 遺族にとって殺人者が死刑になるのは正当防衛と同じ事です。 被害者遺族は、殺人が行われたその瞬間には居合わせていなかったケースが殆どだと思います。 遺族は、その場に居合わせたのなら、きっと命がけで家族を守ったことでしょう。 それこそ、犯人と刺し違えてでも守りたかったに違いありません。 私には、子供が二人いますが、やはり通り魔のような、無差別殺人を犯すような人がいたら、刺し違えてでも闘いたいと思います。 大切な命は自分の手で守りたいからです。 もし、犯人の凶行から逃れて、自分だけは助かりたいと思ったばっかりに、目の前で子供が殺されてしまったら、その様な自分を呪うと思います。 それこそ、気が狂いそうなぐらい、命続く限り自分を呪い続けると思います。 世の中の親は自分が犯人に殺されてでも、子供を守れるのならそれで良いと思う人が殆どだと思います。 そして、もしも自分が犯人と闘って、犯人が逆に死んでしまったとします。 やはりそれはそれで辛いのです。 守りたい人がいると言うことは、人に手を掛けるなどと言う凶悪な感情を普段持っていないということです。 そんな自分が、人を殺してしまうと言うことは、とても辛く苦しいことだと思います。死んでしまいたくなる人もきっといると思います。 でも、死を選択しなかったからと言って、その人が不道徳なわけでも、弱いわけでもありません。大切な人のために、その命を守るために生きるのです。 自分が人を殺してしまったという罪の意識を抱えながら。 遺族になってしまった人達は、好んで殺人を犯すような人達とは違います。 殺人はこの世で一番重い罪です。 何故なら死んでしまったら、その人が蘇らないだけではなく、その人の家族や親しい人達の心に深い傷跡を残すからです。 遺族は、その事はちゃんと分かる人達だと私は思います。 犯行に巻き込まれて直ぐは、復讐心で一杯で、普段の自分とは違うから犯人や縁者のことは思いやれないかもしれません。 しかし、時がったって、平穏な気持ちを取り戻せたとき、殺人犯が死罪になったことで、その犯人の遺族や縁者のことを思うと胸が痛むと思います。 あなたは、死罪を望む遺族が犯人と同じ土俵に上がっていると言いましたが、私は違うと思います。 突然の凶行で倒れた被害者は、何も言い残すことは出来ませんでした。 でも、犯人は違います。 意見陳述もあれば、何かを書き残すことも出来ます。 世の中に自分の意見を発することが出来ます。 死ぬ前に、あなたのような人に憐れんで貰うことも出来ます。 突然命を絶たれてしまった人は、死ぬ前に何も用意も出来なければ、何故自分が死ななければいけないのか考える時間もなかった。 自分の死の意味を考える時間すらなかった。 でも、犯人は違います。 必死で生きることを模索する期間を与えられている分、自分の人生を少しでも意義のあるものに出来る機会は残されているのですから。 時間は元に戻せません。 もし犯行が行われたときに戻れるのならば、遺族は犯人と刺し違えてでも闘ったであろうと私は先ほど書きました。 死罪とは、遺族にとっては正当防衛です。 時間が戻せないから、その代わりに死罪というものがあるのだと私は考えています。 犯人に死罪が適用されないのなら、遺族にとってはそれは自分が犯行現場から、家族を見捨てて逃げたのと同じ事になってしまうのです。 それは、気が狂うほど自分を呪うことにもなるのです。 犯人だけではなく、自分を呪わなければいけなくなってしまうのです。 犯人が死罪になっても、やはり、被害者は犯人に対して何も罪の意識を持たないなどと言うことはないと思います。 本当に時間が戻せるのなら、犯人が幼い頃に出会って、何とか犯行を行わない人になるよう手助けをしたいと考える人もきっといると思います。 でも、その様なことは不可能です。 死罪になると言うことは、それだけ罪が重いのです。 生育歴を考慮してもです。 人間は誰でも生きる権利を持っているけれど、責任を取ることも義務なのです。 貰うだけではいけないのです。自分がその時出来る精一杯をお返ししなければいけないのです。 その能力がないと判断された人が、自分の命で罪を償うのです。 等しく公平と言うことは出来ません。 能力に個人差があるのと同じです。同じ境遇でも同じ人格にはなりませんよね。 能力が違い、出会う人が違い、人生が違う以上、仕方のない面もあります。 不公平を少しでも無くすために刑法があるのです。
そもそも、あなたがこの質問に決着が付いていると思っているのなら、これを読むことも有り得ませんが、削除されることを覚悟の上で、敢えて書きます。 質問者さんは、先日これと良く似た質問文を投稿しましたね。 あのときは沢山の回答がつきました。 そして、私も回答を寄せました。 あなたが被害者遺族の気持ちを、本気で知りたいのだと思ったからです。 あの質問を書くとき、あなたは真剣に書いたのだと私は思っていました。 だから、回答を真剣に書きました。 私は、あなたが広い視野に立って、色んな人の立場を思いやれる人になって欲しいと思ったからです。 あんなに重い質問を書くのならば、少なくとも削除されるような事をするのは、控えて欲しかったと思います。 あの質問はここのサイトで禁じられている、「マルチポスト」や「分割質問・締め切らずに関連質問」に当たります。 これは、思想とか感性とか関係ないので、読めば誰にでも分かることですよね。 運営側が判断したのは、他の理由ですが、これはあなたも知っていますね。 あなたは、ルールを守っているともあの時書いていました。 ならば、この質問は締め切るべきでしたね。 ついうっかり、と言うことは誰にでもありますが、少なくとも回答者にルールを問われたときに、この質問を書いていたことを思い出して欲しかったと思います。 消される質問とも知らずに、真剣に回答した人達の気持ちも考えて欲しかったと思います。 例え消されても、少しでもあなたの視野を広げることが出来たならと思い、削除通知が来た後に急いで投稿していた方もいましたね。 あなたのことが心配だったのだと思います。 何故、心配したのか分かりますか? 色んな人がいて、色んな立場の人がいます。 人生を重ねないと分からないこともあります。 分からないからと、大切な人を亡くして苦しんでいる人をバッサリと傷つけるような事を書き連ねるのは如何なものでしょう? 不用意に人を追い詰めるような言葉は、自分に返ってくることもあるのですよ。 その事を心配なさったのではないでしょうか。
- oobankoban
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傷付けられたり、殺されたりすることは辛く悲しい。 だから普通の人は、決して人を傷つけたり殺したりしません。 人が傷ついたり殺されたりすることを望みません。 ここに矛盾はありません。 しかし、人を傷つけたり殺したりしたのは普通の人ではありません。 人を傷つけたり殺したり出来る人です。 傷付けられたり殺されたりすることは、怖くて辛くて悲しくて、周囲の人にも大きな悲しみを与えてしまうことが解らないやつです。 犯人が死ぬことを願うのは、殺されたり傷つけられたりする悲しみや恐怖や辛さを犯人に解らせたい。解って欲しいからです。 殺されたり傷つけられたりする人がさらに増えないようにするためでもあります。 犯人は、人を傷つけたり殺したりすることをやりたいしたい人なのですから。 質問者様の理論では、味噌も糞も一緒です。
- oobankoban
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《被害者の家族たちは殺された事を否定したいと思います。》 ↓ けれど、それは認めないわけにはいかない事実です。 殺された愛する者に、もう2度と触れることも話すことも時間を共有することも出来なくなってしまったのですから。 もちろん、殺されたくなんか無かったと言いたいです。 《傷つけたり殺す事が悲しいと思っているかのなら》 ↓ 思っていません。 普通の人なら傷付けるとか殺すなど思ったことがありません。 傷付けられたり、殺されたりすることが悲しいのです。 従って、殺した犯人に死刑になれと願うことは矛盾していません。
- nishikasai
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精神分裂的博愛主義者のようですな。 貴方のような社会の秩序を乱すのをなんとも思わないというか、博愛主義を治安の維持の上に置くタイプがこれ以上増えないことを望みます。幸い、日本はキリスト教があまり普及していない。良かった! キリスト教は博愛を説く。あれに染まるとあなたのような人が増えて日本の治安がカオスと化します。そして愛する者を奪われ、奪った凶悪な犯罪者は暖冷房つきの宿舎で健康的な生活を送り、老後は看守という介護者の介護のもとに懲役も免除され快適な老後を血税を使って全うするのです。一方、善良な弱者であるホームレスはダンボールハウスで野垂れ死にです。
"o(-_-;*) ウゥム…考えすぎて、シンプルな考えが解らなくなったのでしょうか?普通誰でも、殺されたくは有りません。なのに、殺されたのです。家族は、自分の家族殺や、大切な人が殺されれば、殺した相手を憎むでしょう。そして、同じ目にあわせてやりたいと思うはずです。それは、人殺しておいて、何くわぬ顔で人生を謳歌(おうか)してると考えるだけで、腸が煮えくり返る思いでしょう。そいつを、殺せば、自分も犯罪者だ。だけど、そいつを許せなくて、殺してやりたい。その狭間で苦しむ生活を強いられるのです。それに、耐えられなくて、自殺してしまう人も居るでしょう。つまり、相手は殺した相手だけを、傷つけたのでは有りません。家族の心も大きく傷つけたのです。それを考えれば、ただ殺すだけでは満足いかないでしょう。それが、死刑にならないなら、自分で殺してやりたいと考えるのが自然な心です。つまり、今の緩い法律が新たな犯罪者を生むのでしょう。人殺しした奴は、死刑にならないから、また、殺します。社会悪なのです。そして、こういうやつは、脅し文句でも殺すぞ!どうせ、殺しても、死刑なんかならへんしな!というでしょう。これの方が矛盾です。悪がはびこり、善が淘汰されていっては、社会正義がないのと同じです。矛盾をなくすには、殺した奴は死刑!これが自然です。ただし、正当防衛などでの、過剰防衛、これには、死刑は重過ぎると思いますが、1の悪いことに対して、2の罰があるのが、自然であると言えましょう。見つからなければ、1の被害受けたままになってたからです。このように、悪い事をすれば、損をする仕組みを作らないと犯罪は減らないと考えます。以上で、少しは遺族被害者の心理を少しは理解していただければと思います。
補足
でも人を殺したいなんて願ったら犯人と同じで犯人のした事否定出来ない気持ちにをなってしまうと思います。 それにいけない事を否定出来ていないのに子供たちに何と正しい事を教えていけばいいのか・・・。
- buck
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>被害者の家族たちは殺された事を否定したいと思います。 これは、質問者さんの考え、あるいは思い込みに過ぎません。 人の心のありようは、人それぞれです。 極刑を望む遺族がいるだろうし、そうでない遺族もいるでしょう。
- oobankoban
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たとえば、我が娘が殺されたとしたら、しかもそれがどう冷静に考えても理不尽な殺され方だったとしたら、悲しくて悲しくて悔しくて身をよじるような思いに苛まれ、その悲しみをもたらした犯人にはすごい憎しみを覚え、この世に存在していて欲しくないと思うでしょう。 同じ空気を吸うのも嫌だと思うでしょう。 命を奪ったのだ、命で償え!と思うでしょう。 もちろん死刑になったって気が済むわけではないけれど、無いより増しです。
- usami33
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貴方はもしかしたら天使? きっと、他人から何をされても許すのでしょうね! 殺すとか死刑の問題ではなく、許す許さないの問題ですよ。
補足
傷付けられたり、殺されたりすることが悲しいと思っているのに傷付けられたり、殺されたりしてる。 矛盾してるじゃないですか・・・。