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住職さんに手紙を書く場合
家族のお墓があり、毎年の供養をお願いしている、日蓮宗のお寺の住職さんに、年に一度、手紙(最近はイーメイル)を書く機会があり、その折に、 ○○寺 ○○(住職さんの姓)和尚様、 と言う風に、書き始めるのですが、おかしくはないでしょうか。 違和感を感じます。 何か、もっと適切な言い方がありましたら、お教えいただけませんか。 何卒、よろしくお願いいたします。
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こんにちは。 私はこの質問には口を挟むつもりはありませんでしたが、 どなたの回答もないようです・・・。 国語の質問としては馴染まないのでしょうね。 正解もありませんし、表現のことでしょうから・・・。 Ciaopolpoさんはどこに違和感を感じるのでしょうね? 話言葉と書言葉としての「和尚」ですか? 手紙文には約束事があります。 拝啓なら敬具、あるいは前略なら草々、会社なら御中、御社でしょうか。 「和尚」は「一休さん」、あるいは「しょうじょう寺」を例に挙げるまでもなく、 日本人には親しみと敬愛をこめた言葉です。 例えば例文としてこうしてみましょう。 OO寺住職 OO OO様、何処からも苦情は出ませんでしょうね・・・ でも、これではCiaopolpoさんはつまらないのでしょう? 私もそうです・・・ 和尚さんと言う暖かい響きがありますものね。 和尚様で良いのではありませんか? 私はCiaopolpoさんらしいと思い感心しましたけど・・・。 要は大切なことはCiaopolpoさんの感じることではなく、 それを受ける住職なりお和尚さんなのかなと思います。 私は二ッコリ、微笑むような気がしますがどうでしょう? 8月に両親の墓掃除を思い立ちお寺さんへお邪魔しました。 私は親しみと敬意をこめて和尚さんと言います・・・ 回答になりましたか?
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NO.4です。再度の失礼ですみません。 後で見直しましたら、肝心の表現が曖昧で…ご回答にもなっていないと…大変すみません。 ご質問のご回答とは求められる点でさらに違うかもしれませんが、私なりの文章のやり取りです。礼節や国語的にわきまえていないかもしれませんが… ○○宗 ○○寺 ○○代住職 ○○○○殿 ○○(和尚様の名前)和尚さまへ。 前略 先日のお墓参りの際は、○○和尚さまと…(ここで和尚様の心配な事や気苦労はいかがでしょうか?無事事が収まれば…のお話) そして本題… と言う感じでです。 本来、堅く確実なのは全て『住職』であり、『和尚』はより親しみやすい表現ですよね。私もこの点は認識(あっているかな)ありますが、もう副住職時代含め10年以上お付き合いしてるので…和尚さまも私を『○○(下の名前)くん』と呼んで下さるのもあり、これでも大丈夫かな?と思っています。でもこうした文面の表現はここ2年程です。和尚さまのご返事もいつも○○くんです。 ただね…何で『○○代住職』まで付けているか…これはちょっと理由があるのです。先代の和尚様と今の和尚様、私の場合はお二人親子なのですが、先代がとても人徳があり万人に慕われた方、一方現和尚様は若く(といっても50代ですが)引き継ぎをしてまだそう年月が無い…これからの人です。更に浅ましいですが檀家でも過去との比較が否応なしにある…この手の心情的世界はときどきあると思います。なので、敢えて今お寺を守るご住職としての威厳と尊敬をこめて、これで良いかな?と思いながら、始まりはこうした自己流になっています。 あまり『国語』としてのご回答にもなっていないかもしれませんが…失礼しました m(__)m
お礼
たびたびのご回答、ありがとうございます。 そうですね。本来、一番無難なのは”住職”であろう、と私も考えました。皆さんのご意見を参考にして、これからも、お寺さんと良い関係を続けてゆければ。。。と、考えています。 もうひとつのご回答へのお礼に、私のガラス器への執着についてお話したのですが、どういうきっかけだったかなぁ、と思い返しまして、ひとつの和歌に行き着きました。大正時代、岩田ガラスの三越での展覧会に与謝野晶子が推薦文の代わりとして歌ったものだそうです。 ”絞り手の は(王偏に皮)璃の高杯いはばこれ 天女の指のうすべにのあと” 言葉を選びに選んで、練りに練った苦心のあとが見えますが、麗しいことこの上ないです。私は、しばらくポーッとしてしまいました。こちらで質問・回答・お礼をしていると、忘れていたことを思い出します。”昔の人の香り”を思い出すようです。 uniwankoさんの、もの遊び、ものいじりのきっかけも、どこかで教えていただける機会があるといいですね。 ご回答、ありがとうございました。
Ciaopolpo さん。失礼します。よろしくお願いします。 >住職さんに手紙を書く場合… 私は、20代で両親とも亡くなり実家も処分していますので、菩提樹の地には機会が無ければ行かない状況です(とはいっても彼岸やお盆は出来る限り行ってます) どうしても、日常のお参りや、檀家の事などでいろいろあることから、和尚様とは個人的に会話してきました。親が亡くなったときの先代和尚様、現在の和尚様共々です。内々で私的な相談事もお互い交わしてきましたので多分他の檀家さんより深い部分もあります。国語2の低レベルの私ですが、自筆は不可(字が汚すぎて申し訳ない)でもごあいさつ程度のメールや手紙のやり取りは今も続いています。 >○○寺 ○○(住職さんの姓)和尚様… 私も深く考えず、同様の書き始めです(もう少し堅いかも)。ある意味、ビジネスライクの定例文?とも感じられてるのでは? 私自身は、定例的?な始まりですが、ある意味、どんなに馴れ合いあれど礼節の部分とも感じているためか違和感とまではいかないです。まして、お寺というお世話になる宗教団体、そしてそのお寺を引き継いでいる方なのですから。個人的なお話でも、よっぽどでなければ定例的な始まりとも思います。一方、公私ともとても深い繋がりで心許されるご関係でしたら、親しみを込めて『○○和尚さま』等の始まりでも良いのかもしれませんね。(^_^) Ciaopolpo さんは、書き出しも定例だけでない温かみのある心のお手紙にしたいのでしょうね。だからそこまで思慮されるのでしょう。ご質問から逆にちょっと自分が考える?本末転倒にもなりました(^_^;) 的外れですみません…ちょうど、極最近所要で和尚様にメール文を送ったこともあって…ちゃんとしたご回答でなくてすみません。失礼しました m(__)m PS…余談ですが、以前ご回答でありました私の写真の時計…1930年代のアールデコ様式の旅行用時計です。材質が全部スターリングシルバーでエナメル彩。女性の掌にも収まります。本体をたたむと小さな立方体(約46.5mm×33.5mm×8.5mm)。当時時計メーカー数社・タイアップ各ブランド(ダンヒル・ティファニー・エルメス等)から様々な形状であります。材質も金無垢・シルバー・真鍮(めっき)等。アラーム付モデルもネ。懐中時計とは違うこの時期の流行でもありました。
お礼
懐中時計の詳しいご説明、ありがとうございます。 アンティークと言いますと、私は、ガラス器に惹かれてしまって、アール・デコの一時代前、アール・ヌーボー期に活躍した、エミール・ガレのトンボ模様の花瓶を、骨董屋さんに行くたびに、欲しい、欲しい、と思っていますが、お値段と私の気持ちの高まりの折り合いがつきません。(私の気持ちの十倍の値がついています。)仕方がないので、ステューベンやボヘミアン・クリスタルにガラス絵の具で彩色して気持ちを紛らわせています。 ですから、骨董を実際に手に入れているお方を見ると、大変うらやましいわけです。欲しいものを手に入れるだけの、執心ぶり、と言うか、そこまで惚れることのできる芯の熱さ、というか。とにかく、熱気を感じます。私のように、常に計算をしてしまう人には、なかなか、超えられない一線を越えられる、と言うか。。。まぁ、そんな感じです。 住職さんへの宛名につきましては、やはり、事務的にしておいたほうが、無難ではないか、と、考えております。小さいときからの知り合いなので、あまりお堅いのは気恥ずかしいのですが、お互いにもう、大人ですから、しっかりとした分別を持たなくては。 親族一同の回向をお願いしている、親密な方ですが、書信、と言うことで、堅いに越したことはないかな~、と言う風に気持ちが傾いています。 ご回答、ありがとうございました。
- Nebusoku3
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○○寺 ご住職 ○○様、 あるいは ○○寺 住職 ○○様、 ○○寺 和尚 ○○様、 では如何でしょうか?
お礼
他の方へのお礼にも書きましたが、コンピューターの発達で手軽にイーメイルが送れるようになって、それは便利なのですが、反面、どの程度、ご挨拶や名称などを簡略化してゆくか、そのあたりにまだ抵抗感があるのは、年のせいだと思います。 二番目にあげてくださった、○○寺 住職 ○○様 が一番無難なセンで、違和感がないように感じます。納得の回答です。 次は、これでいってみよう、と思いました。 お忙しいところ、ご回答をありがとうございました。
和尚に様をつけるのはおかしい。 このサイトは曰くがあり宗教カテはないが哲学カテがその代りを果たす。
お礼
哲学カテには、恐れ多くて、この質問は、ようできません。 そんな度胸はありませんです。 何か、良い考えがありましたら、こちらで教えていただけると幸いです。 ご回答、ありがとうございました。
お礼
お忙しいところ、私のちょっとした疑問にお付き合いくださいまして、ありがとうございます。 面談では、先代、先々代への呼びかけは、迷わず、”ご住職”でした。手紙をお出しするような機会もありませんでしたし。お二人とも、近づきがたい雰囲気がありました。 しかしながら、現職は、私が十代の頃、まだ小学生で、本堂の廊下をはだしで駆け回って、叱られたりした、腕白坊主の面影が残っています。そんなところから、つい、気安い呼び方を選んでしまっているような気がいたしました。 私の気持ちにはぴったりくる呼びかけなのですが、世間一般では、失礼に当たるのではないか、と、突然、気になり始めました。 ウフフ、一休さん。。。証城寺の狸囃子。。。子狸のイメージがありますね。ご本人に教えてあげたら、どうでしょうか。 そういえば、北海道に短い旅行をなさった、とおっしゃっていたのを思い出します。ご両親のお墓参りをなさいましたか。お掃除をすると、お墓に眠っている人たちが大喜びするらしいですね。 夫は合理的な人なので、お骨をアメリカに空輸して、自分の家族の眠る墓地に再埋葬したら、後々の面倒がなくなる、という意見でしたが、やはり、お線香の香りやお経を読む声がするところに葬られているのが、安らかであろうとかんがえました。 その結果、毎年一度、お布施をお届けするのですが、これも銀行振り込みになってしまい、心苦しいことです。手紙もイーメイルになってしまいました。とにかく全て、簡便化してしまっているのです。 例えば、何か贈り物をしたときに、八十歳を過ぎた叔母からは、まだ、美しい筆文字でお礼状が届きます。叔母の方からお返しものが来たときに、私は、いとこにイーメイルでお礼をします。そんなことも、少し気になっている、今日この頃なのです。 身内の事情を、こまごまと、開陳いたしまして、申し訳ありません。どこかで、アメリカ風に合理化しすぎた自分のやり方を、後ろめたく思っている、と言うことができますね。 ご回答に現れた、お優しいお気持ち、どうもありがとうございました。