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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:映画用心棒の女郎はダンスしますが)

映画用心棒の女郎はダンスしますが

このQ&Aのポイント
  • 映画『用心棒』の女郎がダンスをするシーンについて、娯楽映画であることを確認させる演出であり、置き屋についての疑問や舞妓との関係、親分の本陣など、映画の世界観について知りたい。
  • 映画『用心棒』に登場する女郎がダンスをする場面について、娯楽映画の要素としての演出が確認される。また、置き屋や舞妓の生活、親分の本陣などの映画の設定についても詳しく知りたい。
  • 映画『用心棒』の女郎がダンスするシーンについて、娯楽映画であることを示す演出として重要な要素であり、置き屋や舞妓の生活、親分の本陣など、映画の世界観を理解するために知識を得たい。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#198951
noname#198951
回答No.1

女郎は遊郭にいて主に身を売る女性であって、舞妓や芸妓のようなちゃんとした踊りを見せるのとは別です。 女郎は置屋に住んで居ますが、舞妓や芸妓は置屋に住んでいない事も多いです。 (舞妓の間は、勉強期間中なので置屋に住み込みのこともありますが) 遊郭の場合、ほとんどが二階建てで1階で話がまとまれば2階の部屋に通されてそこで楽しむようです。 女郎に何かあればすぐにかけつけられるように、営業中は2階の奥の部屋で親分などが待機してることもあったようです。 昔の旅館などで2階が宿で1階が主人や女将が住んでるのは、宿賃を踏み倒して逃げないためというのもあるようです。 宿泊費を踏み倒すために2階から飛び降りて怪我をするのは割に合わないし、1階から出て行こうにも主人のいる部屋の前を通らないと出ていけなかったり、営業時間外は出入り口に鍵がかけられてたというのもあったようです。

customar
質問者

お礼

親分の方は旅籠だったわけか。 置き屋というか、飯盛りでもある女郎だったわけか。他の旅籠に派遣したりするかしないか知りませんが。 跡目争いに打って出た丑寅親分の方は商売してないわな。名主が所有する旅籠を一軒貸してもらったのでしょうかね。そういやあ子分が博打打ってたから対照的に手っ取り早やく賭博業なんですかね。賭博は二階。 なるほど遊郭は二階建てだったんですか。置き屋は二階建てという事ですかね。遊郭という言葉はあいまいで問題がありますよね。置き屋とは何かを考える上では特に。 映画では女郎が踊るんですよ。 元芸者の遣り手ババアが舞妓に仕込んでいるという設定なんでしょうか。 あの宿場の置き屋があそこだからあの娘たちは田舎式の舞妓ですよね?? そうすると舞妓の置き屋である旅籠がヤクザの本陣だという事になります。

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  • eroero1919
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回答No.6

#3です。 つい先日、ドラマで「半沢直樹」が大人気になりましたよね。あのドラマは銀行の内部事情をある意味リアルに描いてそのリアリティが人気の一因になりましたが、しかし日本人サラリーマンで上司に土下座をさせる部下なんて誰一人としていないし、あってはならないことでもあります。でもそれに文句をいってもしょうがないでしょ?あれはサラリーマン時代劇です。理不尽な上司を土下座させたらどれだけ気分がスッとするかというサラリーマンの気持ちを代弁しているからあれだけ大ヒットしたわけです。 用心棒で出てくる新田の卯之助はリボルバー拳銃を持っています。あの当時にいくらやくざでもあんなものを持っていたら大騒ぎだし、卯之助は拳銃をぶっ放して半鐘に当てて「凄腕である」という演出をしていますが、あの弾丸はどこから買い入れて補充してるんだとか、拳銃相手にいくら腕の立つ剣士とはいえ桑畑三十郎が刀で刃向うだなんて荒唐無稽だとか、言い出したらキリがないです。 また、現代でも性風俗に関することはかなりグレーゾーンがあります。売春は禁止されているのにソープランドでは売春がおおっぴらに行われているとか、韓流デリヘルはHPにも本番行為禁止とありながら実態は本番行為がされているとか、アダルトビデオで行われていることは売春ではないのかとかいろいろあります。それをいやあれは恋愛感情によるものだから売春ではないとか、モザイクで隠されているから売春はないことになっているとかそういうどう考えても苦しまぎれでしかないような解釈で割と堂々と存在しています。 ましてや江戸時代ときたらさらにそのへんが曖昧です。吉原のようなお上公認の地域があり、品川宿や新宿宿のような非公認の地域がありました。前者が売春防止法以前は「赤線」と呼ばれ後者が「青線」と呼ばれていました。非公認だから本来は存在しちゃいけないのだけれど、実際には存在しているわけです。その名残で、今でも新宿二丁目にある交番の真後ろにソープランドがあります。 元が曖昧な世界の話しにさらにエンタテイメント映画が絡んでいるんだから、ややこしくてよく分からないのは当たり前です。そこに説明を求めても結局は曖昧になるのはしょうがないですよ。元が曖昧なんだから。 質問者さんの疑問は、200年後の人が「平成時代にソープランドというものがあると知ったのですが、当時は売春は禁止されていましたよね?ソープランドは売春ではなかったのでしょうか?」というようなものなんですよ。そこにズバッとした説明を求めてもズバッと回答できません。それで「研究者の怠慢」といったところでどうしようもないですよ。 もっと細かくお知りになりたいなら、江戸風俗に関する本を何冊か読むとおぼろげながら当時の常識というか線引きみたいなのが見えてきます。江戸市内と地方ではまたいろいろ違います。行政区分が違いますからね。特に地方の場合は資料が残されていない場合も多いので、「じいちゃんやばあちゃんから昔はこうだったと聞いている」という口伝しか残っていない場合もありますから、その実態の把握というのはなかなか難しいですよ。

customar
質問者

お礼

貴方は置屋=芸者紹介所にされていませんよね。歴史家たちもそういう記述をしていると思います。 用語は女郎小屋的な店は置屋として話を進めていいかの段階をまず再確認しています。 置屋の二階でしたのかなどなどと質疑応答が始まるわけです。それが始まらない。 私は店のシステムを聞いているような格好ですね。

noname#224207
noname#224207
回答No.5

NO2です 補足を頂戴しましたので、補足説明をさせて頂きます。 >遊郭という区域にある、その店はなんと呼ぶのですか。置き屋でしていたんですか。 単に店です。見世とも書きました。(吉原にある見世で充分事は足りました) 当時の人達は、店の屋号(店の名前)で呼んでいました。 江戸の吉原遊郭は、周りを掘りと塀で囲まれた一つの巨大な町でしたが、一軒一軒が独立した建物ではなく、区画毎に壁を隔て延々と棟が繋がっていました。 江戸の町屋は一般にこのような構造です。一軒一軒別建てにして間を開けるような無駄はしませんでした。 「うだつ」という言葉を御存知でしょうか。いわゆる防火壁が隣との境の軒先まで張り出したものを言います。 「うだつが上がらない」という言葉は、このような防火壁を敷設できるだけの店で商いができるような才覚能力がない奴という意味です。 但し、時代劇にでてくる熊さん八っさんが住んでいた長屋とは違います。 置屋は再三ご説明しています通り、芸者の斡旋所です。売春は行っていません。 売春婦を置けば女郎屋(売春提供業)となってしまいます。 芸者というのは、お考えのように低級な商売ではありません。 徹底的に芸事を訓練教育された職業です。 飲酒をともなう宴席を主な仕事場としていただけです。 仕事柄華やかな恰好をしますが、身を売る娼婦ではないと自負していました。 ただし、当然のことながら、個々の客との関係で売春に及ぶ人もいました。 宿場町のような規模の小さい町で、独立した商売として成り立つのは非常に難しい職業です。 現代の感覚のまま、古い時代の言葉を解釈すると誤解を生みますので注意して下さい。 街道筋の宿場町では、遊郭という特別な地域を設けるほど、需要(お客)はありませんでした。 多少大きな宿場でも、売春を専らの目的とする建築物はありましたが、特定の地域を形成されることはありませんでした。 この建物を遊郭あるいは廓と呼んでいましたが、官許のものではありませんので厳密には遊郭ではありません。 言うなれば女郎屋です。 宿場町というのは、街道筋から一歩離れると田畑でした。そう言う意味では非常に細長い町ということになります。 城下町に隣接していたり参拝客の多い神社仏閣を中心とした門前町にでも隣接していない限りは、現在のような都市を形成していませんでした。 江戸の街での情景をそのまま、宿場町には適用できません。 >「入る前に」選んだというのは店内に入る前に店先で選んだという事ですか。その店とは別の場所で待つのですか。 遊郭のような官許の地域にある場合は、道路にに面した店先に格子を嵌め込んだ部屋があり。そこに娼婦がずらりと並んで座っていました。 客は、それを道路から見て物色して決めました。 宿場町ではこのようなシステムは全くとられていません。 理由は、官許の遊郭以外での売春は禁止ですから、吉原と同じようなシステムは取れません。 宿場町では出たとこ勝負です。土地の馴染み客であれば当然指名はしたでしょう。 そもそも、飲食を伴う遊び場でつかわれている用語の定義を一々決めてもなんの意味も有りません。 その時代その時代その土地その土地の風習次第です 公式な法令に基づいた社会制度でもない限り、厳密な定義は無理です 現在でも、スナック、バー、スタンドバー、クラブの厳密な区分がありますか? 映画や時代小説で使われる言葉や情景描写はあくまでも作家の創作です。 時代考証家が、その時代であれば、違和感が無いと判断すればOKです。 大学の研究発表とは違います。 高校生に一々風俗習慣の地域性まで教える時間も必要もありません。 高校生までに必要な歴史に関する知識は、あくまでも正史に基づいたものです。 個人的な趣味や教養として知りたければ、書籍は幾らでも販売されています。

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質問者

お礼

Wikipedia で「揚屋」を見てください。 娼家という言葉も見られます。 格の低い女郎は置き屋にいるんじゃないの? どこで選んでどこでするんですか。 正史とか趣味とかではなく言葉です。具体性の説明です。 置き屋の店先で選んで置き屋に上がってするのが間違いなら正解を教えてください。 創作の勝手ではなく学者が研究している対象であり高校の教科書にないだけで日本の歴史の教科書には記載されていますよ。それでもあいまいだから質問しています。あいまいでいいならこの分野の研究者学者は何をしてんですか。

noname#224207
noname#224207
回答No.4

NO2です わざわざお礼を記入して頂きありがとうございます。 置屋という稼業にご興味がおありのようですので、お礼ついでに説明を加えさせて下さい。 遊郭、置屋、芸者 花魁などという言葉の区別は需要(お客)の多い江戸や大坂などの大都市で発達した分業体制です。 宿場町のような需要(お客)の余り見込めない町では、一々分業していたのではおまんまの食い上げになってしまいます。 分業が未発達な状態では、サービスを提供する側の女性にしても、色々芸事がこなせた方が商売上有利です。 現在でも、温泉地の旅館では、出張ホステスとかなんとか言う名称で、頼むとお姉さん方がやって来て、お酌をはじめとして色々なサービスを提供してくれますよね。 中には本格的に三味線の伴奏で踊りを披露してくれる人もいますよね。 江戸の昔の宿場町も大した違いはありません。 飯盛旅籠と呼ばれる大手の宿屋では、一式揃えてあるということです。 一々置屋などとあらためて別商売にするだけの需要がありません。 ということで、相方の女性を選ぶのに一々出かけて行く必要はありませんでした。 大都市では、遊郭に専門の娼婦がいて、入る前に選びました。 この場合には、飲食の際の余興として芸者を置屋から呼んでやってもらいました。 一般には、セットのようになっていて自動的に芸者が現れて芸を披露していました。 お金に不自由しない人であれば、呼ぶ芸者を指名していました。 遊郭では芸者との夜のサービスは厳禁です。 顔なじみになって後日別途というのはありました。 このようなややこしいことをお客の少ない宿場町でやっていたら商売になりませんから、このような制度は発達しませんでした。 置屋を許すも許さないも、そもそもが、こういうことを取り締まる法律がありません。 官許の遊郭以外での売春は禁止する。という極めてシンプルなものだけです。 この手の議論に使われる用語が、江戸の街の制度習慣に基づいて説明されることから、それをそのまま宿場町に適用しようとすると訳が解らなくなりますので注意して下さい。 商用などの堅気の旅人はこの手の宿屋は避けて、ごく普通の宿屋に留まりました。安く上げようとするならば木賃宿という、食事なしの素泊まり専門の宿もありました。食事は外で食べるか、自炊をします。木賃というのは、この際の薪代の意味です。 実際は、適当にお金を払って囲炉裏端でお客が三々五々鍋をつついていたようです。この鍋も何でも入っているいわば雑炊です。 ヤクザも縄張りの広い大親分であれば、自宅と稼業は分けてやっていました。この際の稼業は博打の元締めすなわち親を専らとしていました。 私娼を使った商売は、自らは手をださずに、売り上げの何割かをピンハネしていました。 地元のごろつきの親玉程度の連中であれば、自宅で表向きの稼業をやっていました。 この辺の区分は極めて曖昧模糊としています。 大学の先生も民俗史や江戸文学などが御専門の方々は詳しく御存知ですが、高等学校の教科書には余り載りません。 誤解なきよう願います。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

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質問者

補足

遊郭というのは区域ですよね。 遊郭という区域にある、その店はなんと呼ぶのですか。置き屋でしていたんですか。 「入る前に」選んだというのは店内に入る前に店先で選んだという事ですか。その店とは別の場所で待つのですか。それら一つ一つの店の呼称をはっきりさせたいのです。 自動的に芸者がつくというのは上の客ですよね、芸者もたかる仕組みですよね。下の客が多かったんですよね。 要するに大都市の遊郭で分業があっただけで、それを日本史全体にしないような話を歴史家がしなければなりませんね。 黒沢明は歴史家でもないのに冷静な事実認識を伝えたという事になりますね。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.3

ずいぶんと、品行方正な方の回答ばかりで・笑。こういうのって、今も昔も本質的には変わらないんですよ。 映画そのものをずいぶん昔に一度見たきりなのでちょっと記憶が曖昧なのですが、確か序盤に相手のやくざが襲ってくるかもしれないとなって女の子たちが蔵に押し込められるシーンがありましたよね。女将が「お前たちには金がかかってるんだ!」とかなんとかいっていたと思います。 あの子たちは要するに売られてきた子たちです。借金のカタだったり、口減らしのためだったり、貧しい家の娘たちが売られて売春をさせられてるわけです。今でも東南アジアの貧しい村の娘が人買いに売られて都会で売春させられるってありますよね。また日本でも夫や親の借金を返すために風俗で働いたりアダルトビデオに出る子たちがいます。あれと同じです。いつの時代も、どこの国にもそういう現実があります。 現代でも、新幹線の駅などが発展するとそこにいわゆる歓楽街が生まれます。最近は大宮は新幹線の駅があるので出張族の遊び場としてキャバクラやら風俗やらが繁栄しているとか。男っつうのは、出張すると羽を伸ばしたくなるんですな・笑。 江戸時代は宿場町が現代の鉄道駅に該当します。ちょうど宿屋にゃ布団もありますし、ちょうどいいわけですね。ただ、現代もラブホテルもあればビジネスホテルもあるようにみんながみんな遊びたいわけではないですから、自ずと真面目な宿屋と不真面目な宿屋に別れていきます。また、現代でもピンサロなんかは形式上飲食店の体裁をとっているように、短い時間で楽しみたい人は飲食店の体裁の店に行くんです。これがまあ置屋ですね(念のため補足しますが、現代でも性風俗に関することは明確な線引きができませんので、細かいことを言い出したらキリがありません。異論は沢山あります)。 現代でも性風俗産業っていろいろありますね。代表的なのがソープランドですが、ソープランドひとつをとっても1回10万円くらいかかるような高級店から格安店まであります。その他にも、デリヘルやらピンサロやらあり、出会い系サイトなどを使った闇風俗(表向きは個人でやっていることにしているが、実際には管理されている)まであり、そのすべてを網羅するのはなかなか難しいですね。 それは江戸時代も同じで、吉原の太夫なんてのは叶姉妹みたいなものですかね(聞くところによると、叶姉妹はお金持ち専門の娼婦だとか)。んで、一般的な傾城がいて、大衆店みたいなちょんの間なんてのがあって、最下層には飯炊き女だとか夜鷹なんてのがあるわけです。夜鷹ってのは背中にゴザを背負ってましてね、交渉が成立すると物陰に行ってゴザを広げてちょっと楽しむという、まあ今でいうところの立ちんぼってやつですな。 その辺りの名残が残る数少ない場所で有名なのが大阪の飛田新地ですね。置屋の入口にお姉さんが座っていて、気に入った子がいたら店に入り、店番のおばちゃんにお金を払い、2階に上がってコトに及ぶというシステムです。便宜上、置屋は飲食店扱いだそうです。 日本には売春防止法という法律があって売春は禁止されているのですが、飛田新地とかソープランドとか、まあ現実的には色々あるわけです。 京都の舞妓さんにしても、一般庶民は彼女たちとお近づきになる機会がないので唄やら三味線やら踊りやらで優雅なご職業に思えますが、踊りや唄だって師匠に教われば月謝もかかるし、本場京都の和服なんていったら小物でも数万円、着物なんかはすぐ百万円以上になります。そんなの、ちょっとお金持ちの前で踊って歌ったギャラだけで維持できるわけがありません。それなりの「パトロン」がいないと生活できないわけですよ。 そこはあまりおおっぴらにしないのは、お金持ちと京都の粋ってやつなんでしょうね。野暮なことはいちいちいうなというわけです。 そのあたりが面白く描写されているのが、昔の「幕末太陽傳」です。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 今後ともよろしくお願いします。

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質問者

補足

皆さんの回答で全体が見えてきました。問題の原因は言葉ですね。藩という言葉は学校の授業やドラマの解説で覚えますが藩とは言っていませんというような錯乱問題は常にありますね。 置き屋ですが、エロさんのご指摘は、現代ではないのですか。法的立場に困ったら飲食業にするという。江戸時代的な置き屋は存在できませんから。店舗型のデリヘルじゃないの。芸者の置き屋はコンパニオン派遣業。 あの宿場の親分の本陣は公式にも実際的にも飲食店ではありませんよね。置き屋がヤクザの本陣になっている宿場だったのですかね。置き屋がヤクザの本陣になりますか。その確率です。宿場のヤクザの本陣は置き屋だったのかです。親分の妻が置き屋の遣り手ババアという設定ですよね。 宿場町だから二階屋が多くヤクザの事務所も二階屋が成立するという事ですかね。 二階から降りてくる丑寅親分の方は一階を子分が固めて二階が親分なんですかね。 置き屋的な親分の方では浪人は二階で歓待されていました。こちらの親分は一階に生活しているんですかね。 私としては二階から降りてくるのが映画的に絵になっても時代考証してもらいたわけです。 置き屋は何なんですか。遊郭は((女郎の)置き屋の集まりなんですか。置き屋と宿泊施設の地区。渋谷はデリヘルとラブホテルだから渋谷の方が遊郭ですかね。吉原のソープは吉原の遊郭にならないでしょう。遊郭が置き屋と宿泊施設ならば。一体型施設じゃなかったのでしょ。つまり現代が江戸時代に近く、戦前や赤線やトルコやソープは江戸時代の遊郭を偲ぶ施設じゃないとされるべきですね。単に本番の有無を伝統文化としている馬鹿の話になるでしょ。 京都の粋じゃないですよ。京都は街全体が汚れているという事です。パチンコ屋の放置が粋ですか。精神的にダメな地域が京都です。京都への信仰は、丁度、遊郭をきらびやかさで正当化する間違いと同じ構造です。

noname#224207
noname#224207
回答No.2

確かに判り難いと思います。 >あれは置き屋というのですか。置き屋とは聞くもののそれが何か知りません。遊郭の構成要素ですか。 置屋というのは、料亭の座敷などで、踊りや歌を披露する芸者さんの取次所です。 芸者さんには、置屋に住み込んでいる人と、自宅から通う人がいました。 「芸者」というのは江戸時代の半ばごろから出てきた言葉で、舞妓の意味です。 武芸者というように元々は舞妓を指す言葉ではありませんでした。 遊郭は、もっぱら売春を目的とした宿泊設備です。 官許のものを遊郭としていましたが、後には私娼がたむろするいわゆるもぐりのものが多数ありました。 遊郭で飲食をする際に、余興として芸者さんが歌や踊りを披露しました。 この際に、遊郭から置屋へ連絡が入り、芸者さんが派遣されました。 「芸は売っても身は売らない」と称していました。 >あの宿場は置き屋が許されている宿場なのでしょうか。 宿場町の場合には、原則的には売春は禁止されていました。 一方で宿屋の客室で給仕をする女性を飯盛り女と称して、一定の人数を雇うことが認められていました。 この飯盛り女が売春を請け負っていました。(法規制上は違反ですが、ほぼ黙認状態でした) >置き屋が親分の本陣なのですか。有り得ますか。 親分と称される人は、官許の者ではなく、腕力に自信のある連中の親玉です。 この親玉は、普通の商売をしていることもありましたが、博打や売春の斡旋も収入源でした。 博打を専らの収入としていた連中がいわゆるヤクザ者です。 従って、映画の親分が宿屋と称して、飯盛り女を多数雇って家を構えていたとしてもおかしくはありません。 宿場町では、武家による治安維持が疎かだった為に、この親玉が喧嘩狼藉の類を取り締まっていました。 八州周りは、西部劇でいえば、連邦保安官です。 連邦保安官としては、自分が不在の時に宿場町の治安を維持している親玉を黙認していました。 ただし、悪辣な親玉について、その悪行が連邦保安官の知るところとなれば、容赦なく逮捕しました。 脛に傷を持つ親分としては、売春をする飯盛り女を着飾らせて八州様の御機嫌伺いに出かけるのは至極当然の行為です。 いわゆるお目こぼしをしてもらう手段です。 >親分の本陣は二階建てなんですが、商店も二階建てだったのでしょうか。あの丑寅親分は二階から降りて来ましたが二階の部屋で生活してんでしょうか。旅館暮らしではありませんよね。 普通の商店は平屋建てでしたが、宿屋のように部屋数が必要な商売の場合には二階建てとしていました。 宿場町の場合には、一階に広い土間や板の間を設けていました。(今でいうホテルのロビーのような用途です) 親分の場合には、当然手下の連中がいますので、部屋数が必要となります。 二階に自分の部屋と手下の連中の部屋があってもおかしくはありません。 江戸や大坂の町屋と宿場町の建物は多少様子が違います。 又、宿場町では、遊郭、置屋、宿屋の区別も曖昧なものになっていました。

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質問者

お礼

勉強になりました。旅籠と称していたわけですね(^^;簡単でしたね。そこまで味わえる観客も少ないのではと)。そうなると宿場町のサクザは宿泊業者だったという解説が広まらないと歴史家ども何やってんのになりますな。地に足の着いてない学芸的なお話ばかりでは。古い旅館はヤクザ的という新常識を映画用心棒の時点で学ぶべきです。先入観のない外国人の観客はそう正しく知ったようにも思います。 八州周りは手下も含めてこっそり袖下を貰うわけでそれを映画の観客は飯屋の視点から主人公らと共に垣間見て笑うわけです。大っぴらじゃないというのが可笑しいというシーンです。 それなのに、花魁道中はまずいんでないかい?そう目立つのは困るよ~なのでは? 遣り手ババアが飯盛り女郎に芸まで仕込んだという元芸者ですかね。女郎は歌躍りをしませんよね?根本的にあれが舞妓であるという再学習をすべきなんでしょうか。 黒澤明はスゲエと思います。歴史家は全員首だな。現実を直視しない民族なんだろうね、もはやサブカルチャー的解釈が正統派。 基本ですが遊郭には置き屋と旅籠があったのですよね。品定めするのは置き屋ですよね。その店でするんですか。 遊郭ではなく、巨大置き屋地区と認識していいですか。置き屋がそんなに豪勢だったんですかね。置き屋というとこじんまりしたイメージですが。

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