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Dana Airfield戦闘機と滑走路の位置
今現在私は、東インドネシア、Rote島にて滞在しております。 東インドネシアの最南端N'dana島に旧日本軍の緊急基地があったと伺っています。Dana Airfieldと呼ばれていたかと思われます。 この地でダイビングを開拓しています。歴史について現地で得られる情報はほぼゼロです。歴史の資料が残っていません。しかもインターネット環境が悪いので、ネット上で情報を探すのも苦戦しています。些細なことでも結構です、歴史に興味のなかった私ですが。こんな遠くの地で日本国が残した歴史に触れて、興味を持っています。 ☆滑走路の正式な位置、離陸と上陸の方角知ってる方いましたらお願いします。 ☆Dana,Hilijana,N'dao,Doo,Nemberalaと 狭い空間ですが海へ戦闘機が落ちた、もしくは廃棄されたといった、などの情報をお持ちの方いましたら教えてください。 ☆ご親族、知人の方で当時のダナ島の情報を目で見て触れている方がいらっしゃいましたら、是非教えてください。 よろしくお願いします。
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- phantom1
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ダナ島の飛行場は、No1の方が挙げた資料にemergency airfieldとあるように、緊急着陸用の予備飛行場のようです。つまり、そこに駐屯する航空隊がいるわけではなく、別の基地から飛び立って作戦を行なった後、帰還時に方向を見失った飛行機などが緊急着陸する飛行場です。ですから、僅かな補給と応急修理が可能な程度の地上人員がいるだけか、あるいは、無人で滑走路だけがあったような場所だったのでしょう。 1942年に、チモール島クパン(Kota Kupang)に進出した日本海軍の高雄航空隊(←台湾の高雄が本拠地)によって、オーストラリア北部のダーウィン(Darwin)と、その周辺の拠点が再三空襲されています。 恐らく、ダナ島の飛行場は、この時期に建設されたと思われますが、航法を誤って、復路ルートが西にずれてしまった飛行機を緊急着陸させる目的だったのでしょう。 高雄航空隊は、クパンとケンダリ(Kota Kendari)の間を行ったり来たりしていたようで、あちこちに分遣隊を出したりして、ダーウィン空襲もそれほど腰を据えてやっていた感じではありませんから、ダナ島飛行場も、ほとんど造っただけ、といった感じなのではないでしょうか。 連合軍側にしても、場所柄ここを占領して使用するメリットはありませんので、概ね無視していたのでしょう。資料がほぼ無いのも、そのせいだと思われます。 以上、回答があまり付いていないようでしたので、僭越ながら分かる範囲の事を書いてみました。
- 畑山 隆志(@deltalon)
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こういうところにありましたが http://www.pacificwrecks.com/airfields/indonesia/dana/ アメリカ軍の戦後の調査レポートがあるはず、そこら辺から探せないかな? 特に退役軍人辺りが記録をまとめている場合があるので。 同サイト http://www.pacificwrecks.com/history/pow.html ここにも書いてあるように、アメリカの公文書館をあたってみたらどうですか?
お礼
ありがとうございました。 記載されている所は水中になってしまうのですが、何となくその辺りの場所なんでしょうかねぇ?? それとも、ぴったりその場所が既に水中になってしまったのでしょうか??
お礼
ありがとうございます。 当時の滑走路は、平地がある程度だろうと予測して何となく、平地がある所を探してみます。 周辺に戦闘機でも落ちていたら、いいダイブサイトになると考えていました。ひたすら探してみます。