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アジア独立戦争

第二次世界大戦で大東亜共栄圏が唱えられ、大日本帝国兵の活躍もあり アジア諸国は次々と独立していきました。 不思議なのはものの見事に全部といっていいほど独立したことです。 その過程を教えていただきたいのですが。どっからどこまでがわが領土か、 指導者は誰にするのか、どういう制度で国を運用するのか迷ったと思います。 よく領土紛争へと発展しなかったですね。 その紆余曲折の過程も教えていただきたいです。 あと、ぶっちゃけ日本のODAが彼らの復興を支えたのですかね? 当地の今の様子とはいかに?

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noname#224207
noname#224207
回答No.8

>不思議なのはものの見事に全部といっていいほど独立したことです。 別に不思議でもなんでもありません。 宗主国が第二次世界大戦で疲弊して、植民地を維持できなくなっただけの話です。 宗主国の支配から抜け出したと思っていた人は、以前からどこの国地域にもいました。 たまたま、日本軍が宗主国の現地武力を無力化させた隙に乗じただけす。 なけなしの軍隊を派遣してきた宗主国に対して具体的な戦争方法を教えたのは、N01の回答者さんが指摘されておられるように自らの帰国を延ばして指導にあたった日本兵です。 大日本帝国の方針や命令でやった訳ではありません!指導に当たった日本兵の名誉の為に敢えて申し上げます。 今でも当時の日本兵の話や記念碑が残っている国や地域があります。 連合国は占領時に、日本には統治権を認めていましたが、朝鮮半島には統治を委ねる組織も人材も見当たりませんでした。 取敢えず連合国の統治下におかれましたが、結果としてソ連とアメリカの争奪戦に巻き込まれてしまいました。 他の国々は、それぞれの方法で宗主国からの支配から抜け出しました。 (詳細は各国の歴史を調べて下さい。Wikipediaで簡単に解ります) シンガポールのように、元の宗主国であるイギリスの連邦加盟国として主権を獲得した国もあります。

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  • hekiyu
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回答No.7

他の方が既に回答していますので、余談として 聞いて下さい。 韓国の歴史教科書によると、戦後、アジアが 独立したのは、韓国の抗日戦争の結果、だ ということになっています。 この抗日戦争が、アジアの民族に勇気を与えた のが独立の原因だそうです。 これを主張し、信じているのは韓国だけですが。

  • tanuki4u
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回答No.6

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%98%E5%9C%9F%E5%95%8F%E9%A1%8C 領土問題 東南アジア スプラトリー諸島(中国名:南沙諸島):中華人民共和国、中華民国(台湾)、ベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイが領有権を主張している。 パラセル諸島(中国名:西沙諸島):中華人民共和国が実効支配中。中華民国、ベトナムが領有を主張。 ボルネオ島北部のサバ州:マレーシアの一つの州であるが、フィリピンが領有を主張。 その他にも 東ティモール問題 現在110万人ほどの人口で、インドネシアの侵入によって、20万人が死亡 1976年 ベトナムによるカンボジア侵攻 1978年 タイとカンボジアの国境紛争 2008年 イリアンジャヤ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%A4 タイ南部 http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/e/be68adebba7692988a8dba501f7f5b41 領土紛争および内戦はゴロゴロあります。

  • jagd4
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回答No.5

>よく領土紛争へと発展しなかったですね。 独立後にそうなった事もあります。 (独立戦争時は、アジア同士で争っている場合ではありませんでしたし) 中国は、周辺の全ての国と領土問題を起しています。 【国際法から見た竹島問題】 「リギタン島およびシパダン島の主権に関する事件」(インドネシア対マレーシア2002年) http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/H20kouza.data/H20kouza-tsukamoto2.pdf (7ページ:リギタン島及びシパダン島の主権に関する事件は、ボルネオにおけるマレーシアとインドネシア国境付近の沖合にある二つの島をめぐる領有権紛争 である。 ICJは、オランダ・イギリス間の境界画定条約が両島の帰属を定めていないことを判示した上、両国のこれらの島に対する実効的占有の度合いを比較考量し、 インドネシアが主張したオランダ海軍によるパトロールやインドネシア漁民の周辺海域での活動よりもマレーシアの主張する亀と亀の卵の採捕の規制、鳥の保護 区の設定を実効的占有の証拠として採用し、両島をマレーシア領だと判定した。) 【マレー半島の小島、領有権はシンガポールに 28年間の論争に終止符】 http://www.afpbb.com/article/politics/2395082/2960611 (オランダ・ハーグの国際司法裁判所は23日、シンガポールとマレーシアが領有権を争っていたペドラ・ブランカ島について、シンガポールに帰属するとの判断を下し、28年間にわたる論争に終止符を打った。 (中略) 23日のICJの判断について、マレーシア、シンガポールともに2国間関係に影響を及ぼすものではないとコメントしている。) >あと、ぶっちゃけ日本のODAが彼らの復興を支えたのですかね? 回答:それもあると思いますが、私は日本統治下(植民地支配ではない)の教育による意識の変化も大きいと思います。(動画も参照) 終戦後の一方的な東京裁判により、日本はありもしない戦争責任を押し付けられました。 それによりアジア諸国は、日本への戦争賠償の請求権を認められましたが、多くのアジア諸国は「アレは侵略ではない」という認識から賠償請求を放棄してくれています。 しかし、日本はそれに対しても「準賠償」という名目で経済援助をしています。 (ここまでしっかり戦後処理を行った国は他にありません) その他にも経済支援を行っています。 【日本が支払った戦争賠償金】(動画) http://www.youtube.com/watch?v=euNuLLDSWTI 「大東亜戦争がなくても欧米はアジア諸国を独立させる予定だった」という意見もありますが、 そのような方が、どのような状態で独立させるつもりだったのかまで語っているのを聞いたことがありません。 それに、戦時中でも日本は占領後のアジア諸国を独立させています。 しかし、連合国は戦後、それらを再占領する為に軍隊を出しています。 植民地の本来の目的は、宗主国の国民を入植させつつ遅れた地域を開発し発展させることです。 現実の白人による植民地支配は、それらの名目にした差別と搾取ですが、彼らの中ではそれでも未開の土人に文明を与えてやったという意識なので、植民地支配を悪だと思っていませんでした。 当時の西欧列強諸国の植民地に対する認識は以下の通りです。 1.未開国を植民地とするのは当時の国際法により合法である。 2.植民地支配は未開国に文明の恩恵を与え生活が向上し、人口が増加し寿命も伸びた。 3.植民地支配が悪と言うのなら、未開の生活、無知蒙昧の状態に戻るべきである。 4.植民地政策により生活を向上をさせたことを感謝すべきであり、謝罪要求など問題外である。   もし要求されてもそれには絶対に応じないことが、西欧社会の常識である。 5.我々は過去の植民地支配について罪悪感など抱くことは決してない。 ということなので、欧米各国は植民地に謝罪も賠償もしていません。 それどころか、植民地が独立するときは、↓のように教育とインフラの代金と称した支払いを要求しています。 (これも当時は常識でした) オランダはインドネシアの独立の時に60億$を請求しています。 他にも、インドネシアにオランダ人が所有している土地財産の保全と、スマトラ油田の開発費用の弁済を要求しています。 (独立戦争をしてすら、このような要求をされています) その他の西洋諸国も同様でした。 フランスはギニア独立時に公共施設を破壊し、国の重要資料を本国に持ち去りました。 それにはギニアの地図も含まれていました。 独立後のギニアの開発は地図が全くない為に行き詰り、世界でも最貧国に転落しました。 以上から、私には日本が戦争をせず(=戦後のアジア諸国の独立戦争もなく)、白人国家の意向によって独立を許された場合、すぐ欧米の製品の市場になるまでに(当然日本からの援助もなしで)アジアが発展できるとは思えません。 旧宗主国がその為の開発をしてくれるとも思えません。(しても条件付きだと思います) 政治的にも旧宗主国が影響力を全く残さない状態で独立させるとも思えません。 フィリピンについてですが、 実は、フィリピン国民は「フィリピンの独立記念日」は1898年だと思っています。 フィリピンは元々スペインの植民地でしたが、スペインがアメリカと戦争したとき、アメリカは独立を条件にフィリピンを味方に付けました。 戦争はアメリカが勝利し、フィリピンは独立を宣言しました。 しかし、アメリカはスペインからフィリピン統治権を買い取り、新たな宗主国としてフィリピンを統治しました。 一方、日本は占領後の1943年にすぐ軍政を撤廃し、「フィリピン共和国」として独立させています。 その後日本の敗戦により、日本に亡命したラウレル大統領によって「フィリピン共和国」は解散されます。 その後、1946年にアメリカ統治下での選挙で当選したロハスによって、「現在のフィリピン共和国」が独立します。 私は、アジアで独立運動が起らなくても、フィリピンが独立できたかどうかには疑問があります。 アジア諸国は、色々あって独立しましたが、その後中ソによるアジアの赤化への脅威が表面化し、西側の欧米諸国は大きな苦労を背負う事になります。 日本は共産主義に危険性を身近に感じていた為に、満州でソ連と対峙し中国と戦っていました。 それを、アメリカが「侵略」だと決め付けて一方的に「制裁」をした結果が、戦後の冷戦です。 1951年、米上院の軍事外交合同委員会でマッカーサーは、 「日本の戦争は自衛戦争であり、アメリカが過去100年に太平洋で犯した最大の政治的過ちは、共産主義者が支那において勢力を増大して行くのを黙過してしまったことである」 と語っています。 石油についてですが、中東戦争は欧米が中東を影響下に置こうとして起きた戦争です。 (イスラエルの建国も、それが目的です) 私は、これらを欧米の、平和的に(欧米が決めた)市場価格で買う為の形を変えた植民地支配の為の行動に過ぎないと思っています。

回答No.4

   カンボジア(簡単なので)  フランスがシアヌークを国王に任命した(保護国という名の植民地)。理由はバカで女癖が悪いからあやしやすい為。日本の統治終了後、独立を果たすが、フランスが選んだだけあって本当のバカ。まともな統治も出来ず、首相その他に裏切られ、頼ったポルポトに利用されて国民虐殺の片棒を担ぐ羽目に…    ミャンマー  日本の特殊工作機関(CIAみたいと思っとけ)が独立運動家のアウンサン達に接触。彼らに軍事指導と援助を施した。戦後独立をする準備中に内紛が勃発してアウンサンは殺される。日本の支配下で活動していたバウモ達が中心となって軍事独裁政権を樹立し、少数民族を軍事的に抑え込んだ。    インドネシア(蘭領東インド)  日本の軍事侵攻に加担したスカルノとハッタが中心となって独立戦争を展開する。オランダは武力で弾圧を試みるが、日本の置いていった武器も凄まじい量があり、米国もオランダの支援が難しくなったため最終的に独立を認めることになる    フィリピン(米国保護地域)  反日運動家だったマルコス達が中心となって独立。親日政権の中心人物だったラウレル・シニアとアキノ・シニアは日本に亡命した。米国庇護の下でマルコスの独裁政治が続いたが、アキノ・ジュニア暗殺事件が引き金となって反マルコス運動が激化。86年に大統領選挙を行うが、その結果は国民の不満が爆発してクーデターが勃発!アキノ・ジュニアの奥さんを大統領にし、ラウレル・ジュニア達が結集して新政権を樹立した。    マラヤ  英国のスエズ以東からの撤退を受けて部族長会議が開催され首長連邦国として独立した。

  • shirouuda
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回答No.3

政治や歴史を勉強する前に、最低限の経済センスを身につけておかねば、愚論に染まってしまいやすいです。 トヨタ社が植民地を必要としていますか? マイクロソフト社が奴隷を必要としていますか? 植民地の貧しい原住民は、自動車も家電製品も買ってくれません。近代工業では他国も豊かになってくれなければ、こちらも儲かりません。また、大戦後に中東に大型油田がたくさん見つかり、石油の値段は大幅ダウン。石油は、高価な武器を使用して奪うよりも、平和的に市場価格で買う方が安くつくようになりました。ですから、宗主国が植民地を手放すのは時間の問題でした。 アメリカは44年にフィリピンを独立させる事を決定していましたが、日本のせいで延期になりました。アメリカが、植民地の原住民よりも、先進国の労働者に自動車や家電製品を売った方が儲かる事に最初に気づいた国です。 日本の戦争により、独立の早まった国もありますが、どのみち、いずれ、独立するんですよ。 >指導者は誰にするのか、どういう制度で国を運用するのか迷ったと思います。よく領土紛争へと発展しなかったですね。 迷い、乱れ、領土紛争も少なくありませんでしたよ。

  • trajaa
  • ベストアンサー率22% (2662/11921)
回答No.2

結果的にそうなっただけで、最初から意図していた結果では無いけどね イヤ充分に揉めてますよ

回答No.1

日本は進駐した東南アジア各国に独立義勇軍を組織 地元の人たちに武器を持たせ軍事訓練を行った 戦争が終わって日本が去ったら ここは君たちの手で守り抜かなければならない と