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自分の意見を尊重する自由な人とは?
- 自分がよいと思うことと、周囲からの評価との狭間で悩んでいます。
- 自分自身は、人に損害を与えない範囲であれば、誰がどんなことをしても良いと思っているので、自分の意見ははっきり言うけれど他の人に決定にはあまり干渉しない。
- 指摘されないとわからないので、率直なご意見と、なにか建設的なアドバイスがあればいただけると幸いです。
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お尋ねの「わたしが何か困ることをしてるならはっきり指摘してほしいし、そうじゃないならお互いに自由でいいじゃない」についてはお答えしていませんでした。ちょっと補足させて下さいね。 私も、人にバンバン何でも質問してしまう方です。その方が問題を指摘されて、対策が取りやすいからです。指摘もよく聞いているつもりです。ですが、相手に「指摘する事・される事」が得意な人ばかりでは無いと言う事を、一つ御理解下さい。世の中には「指摘を明示するのではなく、暗喩によって自覚してもらう方が結果として良い」という考え方もある様です。それは正しい・正しくないではなく、そういう信念の人もいるという事です。「言葉で指摘すると(こちらは、それくらい何でもないし、自分が言われても別になんでもない事でも)落ち込んでしまう人、怒る人など色々」なのです。だから、やんわりと間接的に指摘するらしいです。 相手の理解は、自分の表現・相手の理解力など、様々な要因で左右されます。あなたにはあなたというパーソナリティがある様に、受け取る相手も様々な受け取り方をするという事なのです。どんなに説得をしても、どんなに正論を伝えても「感情的に受け入れられない」という部分があるのです。ですから「直接指摘するのが本当はいいんだけど、性格的に出来ない」という人もいるという事は、お解かりになると思います。指摘する事で、あなたとの関係が悪くなるのを怖がる(実際にあなたがそう思っていなくても、相手が怖がることはあります。感情は理屈では割り切れませんから)私が「目を瞑る」と言ったのは、この部分です。 折角のあなたの言いたいこと、あるいは指摘されたいことが「あまりに単刀直入」過ぎる事で曲がって受け取られたり、あるいは、指摘される機会を失ったりするのは残念でなりません。思ったことを100%言わない事で、相手から忠告を得られる事もあるというのは、あなたより年長の(似たような考えの者の)経験から、事実だったと思います。今でも失敗し続けていますが(笑) あなたの考えは、さっぱりしていてとても好きです。ですからそれに加えるとすれば 「理屈では納得して貰えないケースが、どうしてもあるから、それは納得すること」 「同じ表現をするのにも、相手が気分を害さない表現を考えながら話をする」 という事を心がけるだけで、全然相手の取り方は違うと思います。 一つ、私がやっている事を、お教えしますね。それは「相手に話す訓練」を一人で演じるという事です。(特に相手に、自分の不快感を伝えるときにやります)独り言でやっていると危ない奴と思われるかもしれませんが(笑)一人芝居です。 1:「相手に自分の言いたいことを、目の前にいると考えて話して見ます」 2:「それに対して、相手がどのような議論・反論・同意をするのかを考えます」 3:「反論から自分の考えが、十分伝わっているかどうかを考えてみます。また、相手の感情を害する(悲しませる・怒り出すなどの)言葉つかいが無いかどうかを考えます。(北風と太陽のごとく、怒らせたりすると逆効果ですものね) 4:「もしも、それで相手が納得しない表現だなと思ったら、1に戻ります。納得が得られたと思ったら、次の言葉を考えて1に戻ります」 こういう訓練をするのです。相手の同情を得やすい表現、言い回し、言ってしまうと相手が怒ってしまう事はとりあえず今回は言わない、言いたいことの前後の関係などを考えて話せる訓練になります。やはり、丁寧な言葉使い、抑揚を心がけるなどで、同じ事を言うにも、随分相手の取り方は違うと実感します。 あなたが、まわりに誤解されるのは勿体無いと心から思い、つい書いてしまいました・・・長文でごめんなさい。
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- mijinco
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あなたの発想は私は大好きです。 あなたが誰かといるときには、その時間を他の方々と共有しているわけです。 もし、その周囲の方々があなたとまったく同じ発想であったらどうなるでしょう。 とても気が楽になると思いますが、集団として創造的なことは生まれてこないと思います。 例えば、うんと簡単な例えですが合唱を創り上げるとしましょう。 創造するのは難しい(協力・協調・忍耐・試行錯誤・相手に会わせるために自分の表現を変える)です。 が、壊すのは簡単です。 たった一人(=あなた)が、自分の好きなように表現すれば良いわけです。 でも、一人だけでなく全員が好き勝手に表現したら、合唱を壊すのではなく、そもそも合唱がなりたちません。 そうなると、集団の中で自分の好きなように表現しているあなたは目立つことなく、好き勝手な行動をしているただの一人ということになります。 一方で、ソロで歌を歌うときに、周りの反応や指摘を全て受け入れていたら、あなたの個性は発揮されません。 アドバイスは多いに参考になりますが、誰がなんと言おうと、自分の歌を作り上げることが大切です。 もちろん、今のあなたが合唱を創りたいと思っているわけでもないし、合唱を壊しているといいたいのではありません。 1:私は私。 2:あなたはあなた。 3:私はあなたの意に沿うために生きているのではない。 4:あなたも私の意に沿うために生きているのではない。 5:でも、もし、あなたと、どこかで心が通じ合うことがあればそれはそれで嬉しい。 賛成でしょ。 でも、上の「5」は、若干の歩み寄りというか、心の許容範囲を広げることが必要です。 心の許容範囲を広げるのは、ちょっと勇気が必要です。 自分の生き方が崩されたり傷つけられたりすることを、自分が防衛しようとするからです。 いつか、私が、「わたしが何か困ることをしてるならはっきり指摘してほしいし、そうじゃないならお互いに自由でいいじゃない」と思っている自由は、ちょっと小さかったなって思えるときがくるかもしれません。 ほんのちょっとだけ、あなたの自由を犠牲にして、まわりの自由(あなたから見ると不自由)に合わせてあげるのも、視野を広げるのに役立ちます。 基本的に、あなたの発想はとても素敵だし大好きです。 まだ不十分なだけです(^_^;)
お礼
ありがとうございます。 心の許容範囲を広げること、本当に難しいです。 変わりたいといつも思っているけれど、変わるのを拒む(恐れる)自分も間違いなくいて、後者の自分がいつも変化を妨げるんですよね。 私の場合は、「周りに合わせすぎて自分がなくなってしまうんじゃ…」という恐れです。 周りの話を聞くかぎり、少しは我慢したほうがちょうどよさそうなのですが、自分の思い込みをほぐしていくのは大変な作業です… がんばります。
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
そこがほら「優しさという道具の使う場所」なんだよ。 ヤカン…お湯を沸かすヤカンね?…あれの「取っ手」が「ただの金属」なのと「プラスチックで巻いてあるもの」とでは、どっちが好まれる?。 …当然後者だよね?。 火傷するくらい熱いのは嫌だものね?。 君はいうなれば「沸き立ってチンチン言ってるヤカン」みたいなもの。 私は熱いわよ!私のお湯で入れたお茶は最高よ!と言ってる。 だけど「取っ手」が熱くて、ちょっと触れない。 「熱いんなら、タオルでも巻いてすぐに取って!お湯が冷めちゃうじゃないの!」と言われても、タオルがすぐに見つかるかわからない。 慌てたらヘタすれば火傷してしまうかも?。 …これだとせっかくのお湯が台無しになってしまうよね?。 苦労が水の泡になる。 心の中が熱い人は、その分だけの「冷静さ」を持てれば、きっと良い人生が送れるはず。 中身が熱いのは良いことだけど、取っ手まで熱くある必要はないよね?。 自分の熱さを伝えるために、いかにするべきか?というのを考えるのが「優しさ」という道具の使い道なんだ。 君は「本物の優しさ」を手に入れることができる資質がある。 生き方やスタイルは変えなくてもいいけど、ただ「他人とは、社会とか、自分とは」と、問いかけることが出来る「ふところ」を持たなければいけない。 懐の中で、それらが自由に動き回るようになった時、君の人生は大きく変わっているだろう。 それらをつなぐ「細くて強い糸」が「優しさ」なんです。
お礼
ありがとうございます。 取っ手まで熱くなってしまうのは、今まで色々否定されてきて、否定されるのが怖いからだと思います… 自己防衛のために攻撃的になってしまっている部分も大きいと思うので、自分を見つめ直したいと思います。
- charinko_chie
- ベストアンサー率13% (21/154)
まぁ、、、ここは日本ですから。 「出る杭は打たれる」 類似した諺は日本以外にないかもしれないね。 日本ってね、世界レベルから見たら逆に変わり者なんだけどね。 「個性が無い」って。 他人と同じ事をしていないと落ち着かないと言う人や他人の目が気になるって言う人も沢山いる。 これが現代病の根源であって、自殺大国日本を生み出している根本的原因だとおれは思うけどな。 世界では人と違うことを「個性」と呼び、日本では「変わっている」と呼びます。 最低限、人としてやらなくちゃいけない事はもちろん守るとして、その他の自分の自由な部分、、、つまり「個性」は大事にしていた方が良いですよ。 彼氏の件もマイペースって言うのは相性の問題であって、そんなのは出会い・運命の問題だから府に落ちないんだろうね。 おれからしたらせっかちの方がずっといたら疲れるよ・・・。 ま、これも相性だから仕方がないけどね。 その人の指摘だって的確な事が言えている訳じゃないもんね。 つまり、その人の考えではなく、一般的な世論を代弁しただけだから。 これが今の日本の代表的な国民性なんだよ。 自分の考えはこうなんだと言える幹のしっかりした考えを一本持った方がいいです。 最終的に自分の自信に繋がるから。
お礼
お礼が遅くなりました。 私、自分の考えというのがいつもあるくせに、あんまり自信はないんですよね。 なんでも言い合えばいい、という考えをもちつつも、仰るとおり出る杭は打たれる文化のなかにいましたので、なかなかそれを実践することもできず…。 難しいですね。
- taka-aki
- ベストアンサー率12% (748/6126)
具体的にどんな状況でなにに対してそう言われるのか明らかに されていないのでコメントしづらいですが、他人があなたに 文句を言う場合はその人の劣等感が刺激されていることが 原因の場合はありますね。 その人がしたくてもできないことをあなたがやっている場合は 相手の劣等感が刺激されて文句を言いたくなるのです。 「自分も自由に生きたいけれど、そんなことをしたら・・・ 怒られる」 と思ってるということですね。 日本人にありがちです。 あなたはあなたで人生をエンジョイするお手本を示し続ければ いいと思いますよ。 しかしチームで仕事をする場合は別です。 チーム全体のメンタルな部分にも気を配らなければなりません。 そうしないとチームとして成果がでませんから。 でも彼氏ができないことは仕事とは関係ないですね。 明らかに余計なお世話です。 でもそういう人のことに口を突っ込んでくる人は 本人自身が人間関係うまくいってないのだと思います。 病んでるんですよ。 気の毒だとは思いますが、あまりかかわらない方がいいと思います。 でも周りがそういう人ばかりだと終わってますから、 あなたはあなたで人生楽しみつつウマの合う人たち とのつながりを増やしていくのがよいでしょう。 お互いに認め合える人たちの輪でつながっていれば、 そんな変なこと言ってくる変な人との関係は 変な少数意見として無視できますから。
お礼
お礼が遅くなりました。 私も最近は周りに気を使わなければ!と思って行動しているつもりなのですが、逆にどうしていいかわからず、やたら気疲れだけする毎日が続いていました。 自分らしさは失わずとも、周囲の人たちのこともよく見るようにしていきたいと思います。
- plokij75
- ベストアンサー率45% (716/1567)
合理的な考え方、価値観、判断、結論等を導ける才能は、素晴らしいものだと思います。 しかし、その合理的なものが、世界で、世間で、他人に受け入れられ、一般に通用出来る程、合理性があるのか如何なのかが問題になるのではないのでしょうか。 自分が合理的であると思っても、それは、自分の持っている知識や経験を通して合理的であると思っているだけで、もっと広い空間で考えれば、非合理であると評価されることもあるでしょう。 例えば、以前、ジャーナリストで評論家の竹村健一さんが、「日本の常識は、世界の非常識。」と言い、「井の蛙、大海を知らず。」という諺にもあるように、自分が合理的であると思う結論に至る以前に、世間一般にも通用し、他人が理解して受け入れられるものなのかという検証がなされていなければ、それは独善と見なされることもあるでしょう。 とは言え、自分の意見を言う時に、一々検証しながらでは、会話もままならいですよね。 ですから、常日頃から、フェアーな立場で物事を見聞きして考える習慣を身に付け、同時に、相手を思い遣る心を持つ事が必要なのではないかと思います。 自分が合理的であると思う事で、他人に迷惑を及ぼさなければ、自分の自由にすれば良いという考え方を押し通せば、社会の一員でいることは難しくなるでしょう。 社会や組織のように他人数の人で構成されている空間で生きるのには、協調性やチームワークの心がなければ、それぞれがバラバラになって機能しなくなると思います。 >自分がよいと思うことと、周囲からの評価との狭間で悩んでいます。 悩んでいても、他人には、解決して上げられる人はいないでしょう。 あなた自身が変わるしかなのではないかと思います。 つまり、相手を敬う心、思いやりの心、相手の立場に立つ気遣い等を身に付ければ、他人とのギャップは縮まるのではないかと思いますが、如何でしょうか。
お礼
相手の立場に立つ、という視点が足りなさすぎるのを感じました。 もともと伝えることに苦手意識があり、自分の意見を伝えることに集中するあまり、相手の立場を慮る余裕がないのかもしれません。 >悩んでいても、他人には、解決して上げられる人はいないでしょう。 あなた自身が変わるしかなのではないかと思います。 そうですね。だからこそ、どう変わっていけば良いのか、 方向性を知りたく投稿させていただきました。
- drg75
- ベストアンサー率34% (98/288)
>ことあるごとに「個性的だ」「自分の道をいくタイプだ」といわれ 価値観が違う人に対して私もそう言う事があります。 振り返ってみて自分が協調性が足らないと思う所があれば遠まわしに 言われていると捕らえればいいですし、自分に非が無いと思えば独創的、 個性的というのは褒め言葉と捕らえておいていいでしょう。 そういう価値観の人も会社には1人は必要ですから、そういう理由で 私はこの会社に必要とされている、という前向きな考えを持つと良い でしょう。
お礼
重ねてのご回答、ありがとうございます。 何事もよい面、悪い面があるように、「個性的」ということに関してもそうですよね。 協調性の足らない部分がないか振り返りつつ、いまの自分も大切にしていきたいと思います。
- chi-chi-chi6565
- ベストアンサー率18% (60/324)
質問者さんの意見、考え方に賛成です。 ただ場合により周りに合わせざるおえない事は多々あります。 その場合どうするかは必要だと思います。 はっきり指摘して欲しいは職場などでは 我侭にとられても仕方ないです。 自分で気づくことが常識です。 今の考え方を大切にしながら 相手や時、場所を考えて行動できたら 周囲の見方も変わると思います。
お礼
補足のところに書いてしまいました。 ありがとうございました。
補足
賛成していただけると思っていなかったので、うれしいです。 そうですね、もちろん合わせる努力はしているつもりなのですが…ときどき「何でこんなことをしているんだ?」と馬鹿馬鹿しくなり、次第に涙がでそうになることがあり。。 そこは我慢どころ、ということなのでしょうが… まだまだ経験がたりないので、がんばります。 ちなみに、自分から気づくことはもちろん前提かと思うのですが、「指摘してほしい」のはなぜ我儘ととられるのでしょう? なにも指摘せず、「あの人のこういうところが困る」とか「こういうところが非常識だ」と評論家になるよりも、互いに指摘しあったほうが効率が良いと思うのですが…。 部下から上司へ指摘するのは難しいでしょうが、少なくとも上から下へであればできるはずです。 結局、皆自分で角を立てることはしたくないだけなのでは…と穿った見方をしてしまいます。
- unknownname
- ベストアンサー率45% (450/992)
長文の回答で失礼します。他人を見ている気がしません(笑)私もマイペースな人間ですし「別に理解して貰おうとは思わない」というスタンスです。あまり協調性もあるとは言えません。学生時代から、友人と勉強会を共にやったこともなく、一緒に出かけたりした事もありません。変わり者でした。逆に、それ故に自由な発想が出来るので「そんな事、よく思いつくな!」と言われることも少なくはありません。ですから「自分は自分ではないか!」と思うのは悪いことでは無いと思います。それは、個性でもあります。 だた一つ気になったのは「損害を与えなければ良い」というくだりです。自分が気分を害する事があるように、相手も気分を害される事はありましょう。それは、単に相手の感情の問題ではないのです。相手によっては「心の損害を与えているのだ」と考えても間違いでは無いでしょう。ですから、あなたらしさを失わない程度に、気を使われる事は大切だと思います。社会では一人では生きては行けません。会社にいても、自営業でいても、専業主婦でも、誰かと関わらなくては生きては行けないのです。ですから、あまりクールに割り切らないで「まあ、ここまではいいよ」という部分で、多少目を瞑る必要も、時としてはあると思うのですね。相手の方が、あなたのようにスパッと割り消える方ばかりではありませんから。 もう一つ、思うのは「その個性をどこに使うのか」という事です。自分の学問・趣味・興味だけに留まらず、そこに「人の為になる事」を加えることが出来れば、それは本当に幸せな事だと思います。また、受けた指摘もちょっと考え直す一つのきっかけではあります。例えば奇抜すぎることが、相手に不快感を与えるなら「奇抜でない程度に自分らしさを出したい」「なぜ奇抜といわれるのか、その原因を探ってみよう」「じゃあ、工夫をしてみよう」と考えると進歩になりますよ。私は、そうやって(現在進行形で)乗越えるようにしております。 最後に2つ。周りの人に指摘される原因の一つに「言葉がきつい」という事は無いでしょうか? 同じ事をしていても、ぶっきらぼうに取られる場合もあります。ですから、言葉を選ぶ工夫をする事はあなたの為にもなります。これは考えてみてください。あと「そんなんじゃ彼は出来ない!」は、余計なお世話です。こんな広い世の中です。あなたにあった人は必ずいます。妥協しなければならない人とは付き合えませんし、逆に「あなたの為に自分も変りたい」と自然に思えるのが恋愛ですから。私も、何とか結婚してますよ!
お礼
補足のところに書いてしまいました。 ありがとうございました。
補足
共感してもらえることが少ないので、とてもありがたいです。笑 今回もご指摘いただいたとおり、「一人では生きていけないから、多少は目をつぶることも必要」とか、「もう少しゆとりをもって解釈したら」と言われることは、よくあります。 ただ、わたしとしては、「それはわかってるんだけど…」という思いがあります。 わたしもそこまで厳密に生きてるわけじゃないので、人にもそれを求めるつもりはないです。かといって、なにか意見をいうときに「例外はあります、たとえば…」なんて毎回わざわざ言うのも言い訳がましくて変ですよね? その後に指摘いただいた、「言い方がきつい」は、たぶんそのとおりかと思います。 まどろっこしいのや曖昧なのが嫌いなので、できるかぎり簡潔明快にものを言おうとする癖があり…。彼氏との喧嘩がディベートみたいになったこともあります(;_;) 色々と、前向きなアドバイスをいただきありがとうございます! 自分の癖と向き合いつつ、直したほうがいいなと思うところは直すよう心がけていこうと思います。
- drg75
- ベストアンサー率34% (98/288)
はっきり言ってくれるような文化の有る国に行った方がいいんじゃないかと まず見て思いました。日本はあまり指摘する文化は無いので合わない人とは 付き合わない、そうなっていくと思います。 「人に損害を与えない範囲であれば、誰がどんなことをしても良い」というならば、 損害を与えていない場合は人の意見を気にするのもおかしなはなしではないでしょうか。 気になるなら相手がこうしたほうがいいという意見にたまには乗ってみるのも 良いと思いますし、色んな価値観を取り入れる事も世の中必用な事かと思います。
補足
わたしも日本人なので、周りの目が気にならないわけではありません。 とくに仕事は、ひとりでやっているわけではないので、できるだけ周りの人とうまくやっていきたいと思っています。 それに、他の人のしていることや指摘が正しいことはもちろんあるので、そういうときは取り入れるようにしているつもりなのですが… ことあるごとに「個性的だ」「自分の道をいくタイプだ」といわれ、褒め言葉というよりは、何か呆れられているような気がしてしまいます。 その真意は、なんなんでしょう。皆深く考えているわけではないのか、何かわたしが迷惑をかけてしまっているのを遠回しに言っているのか、どうなのでしょうか。
お礼
重ねてのご回答、本当にありがとうございます。 確かに、指摘すること・されることが得意な人ばかりではないですよね。 かくいうわたし自身も、ピシッと言われてショックを受けたことはもちろんありますし、そういうことを念頭に置いて話すよう気をつけます。 「なんでも直球でものを言えばいいってもんじゃない」と、昔好きだった人に窘められたのを思い出しました。 相手の感情の部分を考えたうえでの、話し方の訓練が必要ということですね。ご自身で実践されている方法まで書いてくださって、とても参考になります! こんな書き込みをしたら、方々から人格否定されるのではないかと思っていたので、前向きなアドバイスをいただけて助かりました。これから実践していきます。