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似た諺、残すとしたらどっち?

どんぐりの背比べ と 五十歩百歩 統一するとしたら、どっちを残しますか? どっちがどう優れているのでしょうか? 少し違うとしてもそんな使い分けしてる人なんてほとんどいないのに、似た諺が淘汰されないで両方残っているなんて何か可笑しいですよね

みんなが選んだベストアンサー

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回答No.1

  犬も歩けば棒に当る 河童の川流れ 猿も木から落ちる 弘法にも筆のあやまり 上手の手から水が漏る 孔子の倒れ 竜馬の躓き 天狗の飛び損ない 釈迦にも経の読み違い 全部、同じ意味だけど、どれを残す? 似た諺が多いのはそれだけ注意が必要だとの事、全部残せばよい  

gaitu
質問者

お礼

それらを含めた頭の体操レベルの話しなのが分からなかいですか? テストなら0点の回答です

その他の回答 (5)

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.6

「五十歩百歩」は、「比較しても意味のないこと、意味のない状態」という意味です。 「どんぐりの背比べ」は、「比較しても意味のないことをやっている、あるいは、意味のないことをやっている状態」を意味する表現です。 「どんぐりの背比べをしている」という表現はできますが、「五十歩百歩をしている」という表現はできません。 「あのふたりは五十歩百歩だ」という表現はできますが、「あのふたりはどんぐりの背比べだ」という表現はできません。 たしかに、あるひとつの事柄に関して、 「あれはどんぐりの背比べだな」 「あれは五十歩百歩だな」 のように論評することはできるので、どちらの場合も「大差ない」といった同じ意味のように感じてしまいますが、実は、それぞれの言葉が指す「あれ」の意味は異なります。 前者の「あれ」は、「比較しても意味のないことをやっていること」を指しますが、 後者の「あれ」は、「比較しても意味のないこと(事柄)自体」を指しています。 このように、似てはいても本質的な用法が異なるので、厳密には別の意味である、と捉えるのが妥当と思われます。   

  • phobos
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回答No.5

どこが頭の体操なのか理解に苦しむ質問なので、ストレートに回答します。 > 何か可笑しいですよね 全然おかしくありません。 > 統一するとしたら、どっちを残しますか? > どっちがどう優れているのでしょうか? それぞれ意味合いや使うシチュエーションが違う別々の諺なので、優劣を比べたり一つにまとめること自体が無意味と答えざるを得ないでしょう。 > 少し違うとしてもそんな使い分けしてる人なんてほとんどいない 質問者さんの周囲にはたまたま諺に堪能な人がいないだけのことではないでしょうか。 > どう使い分けるか教えていただけるとうれしいです これを機会に学ぼうという心がけは良いことです。 「どんぐりの背比べ」「五十歩百歩」に共通する意味を一言で述べれば、 『比べて優劣を競うほどの意味・価値の無いものをあえて比べようとする』 とでもなるでしょうか。 意味の違ってくるのは「なぜ比べる意味が無いか」の部分です。 「どんぐりの背比べ」……抜きん出た能力の者がおらず、みんな(あまり高くない)同じようなレベルで似たり寄ったりであるから。ポジティブな意味合いで使うことわざ。 「五十歩百歩」……失敗・損害のわずかな大きさの違いを比べても、どちらも本質的にマイナスであることに変わりは無いから。ネガティブな意味合いで使うことわざ。 用例はこれまで寄せられたご回答を参考にして下さい。 これを機会に、適切なタイミングで適切な諺を使い分けてみせれば、周りの人からの評価も上がることでしょう。 例えばANo.1のご回答中の例「猿も木から落ちる」「弘法も筆の誤り」はどちらも『人間は得意なことでも油断すると失敗することがある』と言う意味では同じですが、例えば仕事上で上司が失敗した時にフォローする言葉としてどっちの諺を使うべきかは自明ですよね。

  • Epsilon03
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回答No.4

> どう使い分けるか教えていただけるとうれしいです これがまた明確に分けられるかどうかと言う所ですね。 例えば仕事上では、『彼らのレベルは「どんぐりの背比べ」だね』と言うのと、『彼らが行っている事は「五十歩百歩」だね』と言う様に、一見何処が違うの?となってしまいますが、ニュアンス的にはこんな感じですかね。(笑) 「どんぐりの背比べ」って能力的な場合に使われ、「五十歩百歩」は行動的な場合に使われる感じもします。 国語学者じゃないので、この辺りが精一杯。(苦笑)

noname#189656
noname#189656
回答No.3

どんぐりのせいくらべ、は自分の方が少しでも上だ、すぐれている、という感じで 50歩100歩は自分の悪いところを棚上げして「いやあいつの程度の方がダメだ」という感じ。 目くそ鼻くそもどっちも同じぐらい悪いことをお互いに罵り合う。 などシチュエーションがちょっと違うと思いますヨ 「おれが盗んだのは100円だけどあいつは300円だ!」っていうのを どんぐりのせいくらべ、って言わないでしょうし やっぱり五十歩百歩だと思うんです。 「オレオレ詐欺の方がひどい」「いや、投資詐欺の方が最低だ」っていうのは目くそ鼻くそだと思います クラスで最下位の二人が「俺は21点」「私は22点だから勝ちね」とやっていれば やっぱり「どんぐりのせいくらべだ」と言いたくなると思います

  • Epsilon03
  • ベストアンサー率24% (868/3495)
回答No.2

似ていると言っても使うシチュエーションが本来違いますから、どっちがどうと言う事でも無いですね。 完全に別物では無く重なる部分もあるので、一色単にしてしまうのでしょう。 その微妙さがアナログ的で「曖昧で好い加減」と言う所でしょうね。

gaitu
質問者

補足

どう使い分けるか教えていただけるとうれしいです