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祖父の安楽死と尊厳死について考える
- 祖父が遷延性記憶障害になって二年が経つ。植物状態の祖父を見ることで、安楽死や尊厳死について考える。世間の意見は分かれるが、苦しい状態の人にとっては「早く解放させてあげたい」と思う場合がある。安楽死や尊厳死はいくつかの国で認められており、尊厳死は延命行為の拒否を可能にする。しかし、条件を全て満たす必要があり、家族や医師の判断だけではなく、本人の意思も尊重される。
- 安楽死や尊厳死の認められる理由は、苦しい状態での死を望む人にとっては救いであり、人の尊厳を守るための選択肢となるため。しかし、動けなくなった自分の姿を家族に見せることや、介護をしてくれる人に迷惑をかけることに対する抵抗もある。家族や介護者の気持ちを尊重しつつ、死の権利と生の権利をバランスよく考えたい。
- 最後に、日本では死の権利についての議論が進んでいる。安楽死を認めるのか、尊厳死の条件を緩和するのか、個々人の意見が分かれるが、生きる権利を大切にする姿勢も重要である。自身が成長し考えを深める必要があり、安楽死が認められたとしても生きる権利を尊重して生きたい。
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こんばんは、前回の質問が閉じられていましたのでその部分を含めての回答となります。 僕の第一印象ですが「最初の方が比較的良くは書けていたかな?」ですが、幾つか問題点もあります。 (1)「逆接」が一ヶ所もない。 この作文で書き手が最も主張したいのは「尊厳死や安楽死を認めない」との部分も容易に想像できますが、 それを補完するためには「逆側から見たらどうなるか」との問題を立てないと、説得力がありません。 最初から最後まで、私の考え方はこうですと声高に叫び続けても、その理由を説明できなければ意味もありません。 (2)前振りの設定の仕方。 親族の事例を挙げているが、それが長すぎる。それによって肝腎の課題に対する踏み込みが曖昧となってしまう。 (3)「安楽死および尊厳死に対する貴方の定義」がない。 外国の事例を挙げ、それと親族の死を比較対象することで、この課題に対する説明をしようと試みているようですが、無意味です。 何れのケースに関しても「私はどう考えるか」との肝腎な部分が全く抜け落ちています。 (4)「安楽死」「尊厳死」の問題を権利の問題として考えるなら、故人が生前に示していた可能性のある「リヴィング・ウィル(Living-Will)」の問題にも目を向ける必要もあります。 「権利」を「個人のもの」として理解するなら、周囲の意見よりも先ずは本人の意思を尊重する必要がある。そして本人が生前に「延命治療の有無」に関して「何らかの発言」を遺していたなら、そちらを優先するのがヨーロッパの考え方だからです。もっと端的にいえば「個人を一人の社会的存在として尊重する」のがヨーロッパを中心とするのが西洋の理念です。年齢や性別そして人種や経済的環境などの皮相な部分よりもより根源的な部分を重視します。 こうした社会背景すら踏まえずに「それは苦しい状態の時のいい死にかたと考えれるからです。また、人の尊厳を守って死ぬ事ができるからです」というのは、どういった根拠からでしょう。理由が述べられておらず、貴方の想像と独断でしかありません。 (5)作文全体の構成として、「人権を私はこう考える」との展開が何一つありません。ただ親族の死という一つの現実から敷衍しただけの個人的な感情を羅列しただけの内容です。読み手にとっては「この作文は何を言おうとしているのか、さっぱりわからない」。 (6)「担当の先生や看護師の方々、祖母や母は生きてほしいから大変な介護をやりこなしています。私は、その気持ちをもっと大切にしたいと思いました」。この部分で「担当医師や看護士」が貴方の祖父に「生きて欲しいと願っていた」との根拠がありますか? そしてまたしても「貴方」はこの部分に顔を見せていません。あると強弁してもそれは貴方の思い込みであって、読み手には何も伝わっていない。 もし僕がこの課題を作文にするなら (A)書き出し この部分は導入部であることから、多くとも二~三行程度で収める。一例を挙げる。 人間には「誰しもが幸福に生きる権利」があるという。これは昨年末に公開された『レ・ミゼラブル』を観て、私が受けた第一印象だった。それまでは学校の社会科の教科書などで言葉として学んではいたが、これほど説得力のあるものとは感じてもいなかった。 などとして、全く関係のないところから話を始めます。いきなり親族の死について書き始めても、読み手と書き手の間に温度差があることも明確で、読み手は何が何だかわからない「取っ掛かり」になってしまう。 (B)前段を受ける形 で「生きる権利」とは何だろう、としてここから本論を展開する。「生きる権利・死ぬ権利の関係」と「安楽死と尊厳死」そして「本人と周囲」に見られる「対応する要素」を提示する。その上で「海外の事例と日本国内での温度差」がなぜ発生するのかを「問題として提示」する。 (C)Bまでの論理を逆から見たらどうなるか、と話題転換する。 但し、ここでも「根拠のない自説」を展開することは厳に慎まねばならない。思い込みで書く事は論外であり、常に合理的な説明が必要である。 (D)結論部分 多くとも二~三行でまとめる。 (E)全体構成 自身の経験を下敷きにしているから説得力があるなどと勘違いしてはいけない。感情を綴っても「人権に関する作文」との趣旨とはかけ離れた結果となる。 相当に思い込みの強い性格と想像されることから一言申し上げた次第である。又、書き直しても全く修正もされておらず、私は!私は!と叫び続けているだけの何もない陳腐な感傷趣味に付き合わされるのは、読み手にとってこれほどの苦痛もないことだけは確かです。
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- slowcat9152
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『…「早く解放させてあげたい」と思う人もいると思います。この「早く解放できる」死を、一般的には安楽死や尊厳死と呼びます。』 『そして、この安楽死や尊厳死は…』 こんな感じでどうでしょうか? 全体的な構成は、とても良いと思います。 身近な所からスタートして、最後には普遍的な問題にまで発展させていく、というのは、とても効果的だと思います。 この文章のテーマは、「安楽死や尊厳死にどう向き合うべきか?」、あるいは、「死はどうあるべきか?」ということですよね。(違っていたらごめんなさい) おそらく、あなたのご家族の行動の中に、その答えがあるのではないでしょうか? あなたの周りの人たちが、どのように祖父を介護しているか、どのような表情で祖父を見つめ、どのような口調で祖父に語りかけ、どのような態度で祖父に接してきたか、本当によく観察してきたでしょうか? そういった、一つ一つの細かい観察、細かい表現というのは、どんな主張よりも、読む人の心を打ちます。 ですから、最後まで祖父の死を見つめてください。そして、あなたの周りの人たちが、祖父の最後に何をしてあげたか、よく見ていてください。一部だけを見て満足するのではなく、できることなら、始めから終わりまで、ただただ機械的に見つめるのです。そうすれば、あなたが作文に何を書くべきで、何を書くべきでないかは、おのずと判断できるようになると思います。(ただ、文章力はすぐには身につかないとは思いますが…。)
お礼
ありがとうございます。 参考になりました。 三度目と四度目?の作文も見ていただけるとありがたいです。
- spring135
- ベストアンサー率44% (1487/3332)
結局いろいろ書いてきて言っていることは「もし、安楽死が認められても私は『死ぬ権利』より『生きる権利』を大切にして生きたいです。」という感情を述べているだけで筋道の立った根拠が希薄です。 唯一、それらしいのは「担当の先生や看護師の方々、祖母や母は生きてほしいから大変な介護をやりこなしています。私は、その気持ちをもっと大切にしたいと思いました。」ですが、結局、担当の先生や看護師の方々、祖母や母への同情からそう思い込んでいるだけと感じられます。 まず質問者は自己紹介をし、何のための作文であるかを示すべきです。中学生なら単なるおしゃべりで、小学生なら感情を言葉で表現できたという点が評価されるでしょう。
補足
悪いところは分かりました。 どうやら単なるおしゃべりで終わったみたいです。
- mana011210
- ベストアンサー率16% (16/95)
んー 繋ぎ以前の問題だね。 以前と大して変わってないと思うよ。 文章がバラバラだし… 伝えたい事が定まってない。 中学生でも… もっとマシなの書けるんじゃないかな。 またまた小学生だね。 文章に繋がりもないし。 何を伝えたいんだろう? 伝えたい事が伝わらなきゃ意味ないよ。
補足
どこがどう変わってないかを教えていただきたいです。 詳しくお願いします。 小学生にも分かるように説明してください^^
お礼
丁寧な説明ありがとうございます! しかし、もう時間がないんですよね・・・。 三度目と四度目?の作文も見ていただけるとありがたいです。