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介護現場で感じた事ですが
人間の尊厳と尊厳死 介護施設では、この二つが問題だと私は思っています。 家族の介護を見てきて、更に施設での仕事をして 何故か凄く矛盾を感じています。 施設では、利用者の尊厳と言ってる割には 機械作業的対応で進んでます。 本当にそれで良いのでしょうか? (10年以上前に家族が利用していた時と変わってない気が・・) 更に昔なら脳卒中(脳梗塞・脳内出血・クモ膜下)や心疾患で 死亡してたのに、今の医学の進歩でどんな形であっても 生存率を上げています。 (半身麻痺や下半身麻痺等々で) 確かに私も家族に中で経験したので、 命が助かった事は嬉しいかったのですが、 その後の家族の介護で 十数年も介護をしなくてはならない事に・・・。 (核家族の家庭ならどれだけ大変か?) 尊厳死と言う延命処置無しも 家族で経験しました。 (点滴や流動食の処置は無い状態での) そこで、皆さんがこんな現状をどう想い感じているのか教えて下さい。 締め切りまでそのままにしますので、 皆さんの意見を聞かせて下さい。 (批判や反論でも構いません)
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- kumap2010
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私も尊厳死には賛成派ですが、問題点が多いことも理解しています。 A.思考の変化があること 重い病気になると多くの人がうつ状態になったりうつ病などの精神病を発症します。 しかしこれらは一定期間治療をすると治るもので、 その後「死ななくて良かった」となる人も大勢いるわけです。 つまり、死にたいという思考があり、その思考に今後も変化が無いという前提が必要です。 B.家族と本人の意思 例えば家族に「死にたい」と言っている人がいるとして、 それを親族が「どうぞ」と止めなかったら倫理上問題を感じる人が多数派でしょう。 逆に、本人は「死にたくない」と思ってるのに 家族が「介護が大変だから死なせよう」と判断するのも倫理上問題がありますよね。 つまり、どちらの意思も尊重しなければいけないということです。 C.絶対に治らないという証明 医学の進歩は凄まじいですから、今治らない病気でも1年後に治せないとは限りません。 特に最近はiPS細胞というとんでもない医療技術まで実用化されようとしていますので、 半身麻痺だろうと末期ガンだろうと「今後治せるようになる可能性がある患者」が大半です。 そのうえで、どの病気なら「今後も当分は治せない」と判断出来るか。 その線引きは非常に難しいです。 この3つをクリア出来るのは今のところ脳死患者だけだと思います。
- bara2001
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父が脳内出血で意識不明になり、一年半ほどの入院生活のあと息を引き取りました。 昔だったら病院に搬送される前に死んでいたのかもしれません。 父を助けるために全力を尽くしてくださった病院スタッフの皆様にはどんなに感謝してもしたりません。 父は結局一度も意識を取り戻すこともなく他界しました。 その間、保険の点数の関係で病院からは3ヶ月ごとに転院をしてほしいと言われました。 転院先は自分たちで探さなければなりません。 私も私の兄弟たちも仕事があるので、高齢の母の肩にかかっていました。 あのまま父の入院が長引けば、本来健康な母も体調を崩していたかもしれません。 父は生前「病院でいろんなチューブをくっつけて延命するくらいならさっさと死にたいね」などと笑いながら語っていました。 父の性格からして本心だったと思います。 でも、それは許されないのですね。 安易に尊厳死を認めるとそれを悪用する輩がでてくる恐れはありますが、そういうのは「制度として尊厳死を認めない」ことで阻止すべき問題でしょうか? 尊厳死が必要であればそれは認めたうえで、それを悪用する連中がいれば刑法で対処すべき問題でしょう。
お礼
お答えありがとうございます。 私の父親はクモ膜下で半身不随に為りました。 ガンの治療も出来ない状態で クモ膜下が落ち着いた頃には ガンが転移して治療できませんでした。 治療が出来ないので、3ヶ月後に 仕方なく地元の病院に入院 更に3ヵ月後から自宅介護に為りました。 施設(デーサービスやショートステイ)も使いました。 (8年前ですが) いざ私自身が介護の世界に足を踏み入れたら 昔と同じ扱いをしてる施設が多い事に びっくりしてます。 日本は福祉発展途上国なのは知ってますが ここまで酷いとは・・・。 何かが起きない内は、何もしないのでは この国自体も駄目だと思ってます。
- o120441222
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ある番組で関西の医師の取り組みを紹介しているものがありました。その医師は往診をメインで行い 「自宅で最期を迎えさせる」 を信念に活動している医師です。その中で実際にある方の最期の場面がありました。ある患者さんが危篤状態になり、深夜にその医師が呼ばれ処置を施します。医師、家族は必死に入院を勧めるが、本人は頑として聞き入れようとしません。医師は点滴を用意し、最期が近いことも本人や家族に伝えていました。本人はそれを聞かずとも感じていたのでしょう。息子も本人の意思を尊重、承諾し父の最期に立ち会う決心をしました。本人の手を握り、しっかり目を見つめ、感謝の言葉を残し、最期の会話を交わしました。男の生き様を見たでしょう・・・その数時間後、静かに息を引き取りました。 人間はいつかは必ず死を迎えます。その死に際が、安からな環境で迎えられればどれだけ幸せなことでしょうか?私はこの番組を見て大きな衝撃をうけました。 “自宅で誰にも邪魔されること無く、静かに最期迎えたい” という願いはかなえられ、本人しても家族にとっても非常に幸せな最期だったと思います。しかし世の中の多くの方は病院や施設で最期を迎える方も非常に多くいると思います。 私は 「孤独死=悪い」 という考え方そのものに疑問を抱いています。同居家族が居れば、受けたくも無い検査を(無理矢理)受けさせられ、チューブや器械につながれ、自宅で静かに生涯を終えることは出来なくなります。幸せな最期とはどのようなものでしょうか?最新の医療、家族の意思、社会のモラルは時として尊厳、意思尊重と対極にあることが非常に悲しく感じます。 延命や治療は時として 医療のエゴ かもしれませんね。 >家族の介護を見てきて、更に施設での仕事をして 何故か凄く矛盾を感じています。 >施設では、利用者の尊厳と言ってる割には 機械作業的対応で進んでます。 本当にそれで良いのでしょうか? 利用者さんと従業員数、仕事内容など考えれば、お年寄り一人一人の訴えに丁寧に耳を傾ける余裕はないと思います。その余裕のなさが、作業を機械的にし、ぞんざいな対応にさせているのだと思います。ですから現制度下では流れ作業になることはある意味し方がないことだと思います。逆に言えば今の制度は、本人と家族の希望の相違、社会的・道徳的理想には程遠いレベルのだと思います。 あくまでも私の考えですが、まずは例に上げたような医師が増えてくれることを望みます。その為にはこのような医師に、通常の開業医なみの保証をしなくてはいけないと思います。(その為の財源・人材確保なども大きな問題ですが)その他に介護施設、ケアマネ、ヘルパー、家族、時にはご近所さんなど、社会そのもののあり方も問われているのかもしれません。 こんなんで回答になりましたでしょうか?
お礼
お答えありがとうございます。 医師の皆さんが自然死と尊厳死は同じと考えて対応して 考えていただけるのなら、もっと家族が苦しむ事も少ないのかも知れません。 私自身、40を越えて 自分なりに老後は家族に迷惑をかけたくないと思ってます。 家族にもその事は話してますし 自分が判断出来ない状態に為ったら 延命処置はしないでくれと言ってます。 介護施設に入れるのなら 自分で好きな事が出来るグループホームに入れてくれとも言ってます。 人間の尊厳と言うのなら、 個人の尊厳の方が大切だと思っています。
お礼
お答えありがとうございます。 現状では、介護の世界では救った為に 介護疲れで自殺や家族の手で・・・ そんな事が起きているのに何も出来ないでいます。 医療が進歩して寿命が延びれば 保険料が減る事には為りませんよね。 最新医療を受かられる人が多いとも思えませんし 結局は自分で死を選べないのが現状なのでしょう。 私も自分で判断出来ない状態に為れば 家族は延命処置をするかもしれませんが 個人の尊厳で言えばそのまま逝かせて欲しいと思ってます。