• ベストアンサー

遭難に遭った乗組員達が死体遺棄等の罪に

次の様な場合、この遭難に遭った乗組員達は死体遺棄等の罪に問われるのでしょうか、それとも書類送検だけで済みますか? 遠洋航海中、漁船が嵐に遭い3人の乗組員が遭難した後、セレベス沖無人島に漂着した。 3人のうち1人目の乗組員は既に死亡、 残る2人のうち2人目の乗組員芝山も栄養失調により衰弱が激しくもはや死に直面する状況、 みかねた3人目の乗組員いかりやが既に死んだ1人目の乗組員の死肉を調理して”海亀のスープ”と偽り、 何とか瀕死の状態の芝山に食べさせて救助されるまでの間をもたせた。 *出典:世にも奇妙な物語「海亀のスープ」より

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.7

"乗組員達は死体遺棄等の罪に問われるのでしょうか、  それとも書類送検だけで済みますか?"   ↑ 1,成立する犯罪について 芝山・・これは完全に無罪です。     死体であるとの認識が無かったのですから     正確には、死体損壊罪の構成要件該当性が     否定されます。 いかりや・・他の方が回答されているように無罪に       なるでしょう。       彼は死体を故意に損壊していますから       死体損壊罪の構成要件を充足しています。       しかし、それはやむを得ない処置であったと       思われますので、刑法37条の緊急避難が         成立し、違法性が阻却され、無罪になると       思われます。 2,手続きについて  事件が事件ですから、警察から検察に送検されると  思います。  そして、検察で不起訴にするでしょう。  例え、検察が提訴しても、無罪になると思われます。  検察送致は、おそらく書類だけで身柄は送致されない  でしょう。

cherry77_
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですよね。現在だと昔と違って、法律も杓子定規に考えず、もっと柔軟に いろんな状況を考慮するでしょうね。

その他の回答 (6)

  • srafp
  • ベストアンサー率56% (2185/3855)
回答No.6

> みかねた3人目の乗組員いかりやが既に死んだ1人目の乗組員の死肉を調理して > ”海亀のスープ”と偽り、 > 何とか瀕死の状態の芝山に食べさせて救助されるまでの間をもたせた。 法律家ではないので法理の適用が間違っているかもしれませんが、これって「カルネアデスの板」ですよね。 緊急避難が認められて、罪に問われないと考えますが?  http://www.bengo4.com/qa/2493/

回答No.5

他の回答にあるとおり、緊急避難が適用されるでしょう。 極端な話が、 仮に1人目の乗組員は生きてはいるものの虫の息で時間の問題 2人目は生きてはいるし栄養さえ取れれば持ちこたえそう というときに、3人目が1人目にとどめを刺して、その肉を2人目に食べさせても他に2人目が助かる手段がなかったとすれば、殺人罪も適用されないと思います。

noname#184258
noname#184258
回答No.4

 現在は緊急避難という法で守られるでしょう。 刑法における緊急避難は、人や物から生じた現在の危難に対して、自己または第三者の権利や利益(生命、身体、自由、または財産など)を守るため、他の手段が無いためにやむを得ず他人やその財産に危害を加えたとしても、やむを得ずに生じさせてしまった損害よりも避けようとした損害の方が大きい場合には犯罪とはならない(違法性が阻却される)というものである。日本では刑法37条1項本文に規定されている。

cherry77_
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8859)
回答No.3

ウイキペディア「ひかりごけ事件」より ・ひかりごけ事件(ひかりごけじけん)は、1944年5月に、現在の北海道目梨郡羅臼町で発覚した死体損壊事件。日本陸軍の徴用船が難破し、真冬の知床岬に食料もない極限状態に置かれた船長が、仲間の船員の遺体を食べて生き延びたという事件である。 食人が公に明らかになった事件は歴史上たびたびみられるが、この事件はそれにより刑を科せられた初めての事件とされている。一般には「唯一裁判で裁かれた食人事件」といわれるが、日本の刑法には食人に関する規定がないため、釧路地裁にて死体損壊事件として処理された。 ・太平洋戦争中の1943年12月、日本陸軍の徴用船が7人の乗組員を乗せて船体の修理のため小樽市へ向かう途中、知床岬沖でシケに遇い遭難した。 船員たちは船から避難し、知床半島ペキンノ鼻に降り立ったが、真冬の北海道で極寒のうえ、そこは雪と氷と吹雪に覆われた地域だった。徴用船の船長はすぐに他の船員たちとはぐれてしまったものの、一軒の小屋(番屋)にたどり着く。やがて船員のうち最年少の少年(19歳)一人もその番屋に吹雪の中たどり着いた。二人はしばらくそこで過ごしたが、やがて体力も消耗し食料もなく少年は死亡した。船長は彼の遺体を口にする。 翌1944年2月、徴用船の船長が羅臼町岬町に住む漁民一家の小屋に現れ、助けを求めた。知床岬の真冬の過酷さを知っている小屋に住む夫婦は驚愕した。船長は「船が難破し、他の乗組員は全て死亡したが上陸地点近くの番屋に蓄えられていた食糧(味噌・フキの漬物・ワカメなどの海草)や流れ着いたトッカリ(アザラシ)の肉を食べて生き延びた」と述べた。吹雪の中番屋にたどり着けたのは船長と炊事夫の男性一人だけだったと船長は語った。番屋にあったマッチで火を起こし、樽に残っていたわずかな味噌を雪で味噌汁にして食べたという。 船長が故郷に帰還すると、船長は「不死身の神兵」としてもてはやされた(ただし船長は民間人の立場で徴用されており、兵役にはついていない) 。だが警察および軍部内で船長の言動あるいは生還の状況の不自然さから食人を疑う者が出始め、一部の者による独自の内偵が進められた。 2月18日、警察は船長の漂着地であるペキンノ鼻の南で現場検証を行った。その際、ペキンノ鼻の北で炊事夫の凍死体を発見・回収した。軍部から箝口令が出され、捜査を中断した。5月、船長が冬を越したとされる番屋の持ち主が、番屋近くでリンゴ箱に収められた白骨を発見し、警察に通報した。警察による現場検証が行われ、ペキンノ鼻の北で新たに二人の遺体が回収された。残る二人についても食人が疑われた(船長は否定)。 6月、警察は殺人、死体遺棄及び死体損壊の容疑で船長を逮捕した。警察の調べに対し船長は、乗組員の一人の遺体を食べたことを認めたが、殺人については認めなかった。 検察は船長を死体損壊容疑で起訴。刑法には食人についての規定がないため、食人の是非については裁判では問われなかった。8月、船長に対する心神耗弱が認められ、懲役1年の判決が下りた。 ※死体を料理したことで死体損壊罪は、確実に成立します。

cherry77_
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 やはり、止むを得ないとはいえ、罪に問われるんですね。しかし、1年の懲役よりも 人肉を食べた事実が世間に知れた方がショックは大きいですね。

  • KoalaGold
  • ベストアンサー率20% (2539/12475)
回答No.2

緊急避難にあたり無罪。 命を救うために他に方法がない、というのが切り口。 他に食べ物があったのならこれに当たらない。 食べずにただ切り刻んだのなら有罪。

cherry77_
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

回答No.1

こういう場合は「カルネアデスの舟板」と言って罪にはならない、というのが常識と考えます。 元の語源とは微妙に違いますが、今生きている人間が生き残ることが重要なのです。

cherry77_
質問者

お礼

回答ありがとうございます。