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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:双極性障害IIに纏わるお仕事について)

双極性障害IIに纏わるお仕事について

このQ&Aのポイント
  • 双極性障害II(躁うつ病)の通院中の方が就職先を探しています。
  • 20年の経歴を持つ方で、精神的な悩みを持つ方の支援をしたいと考えています。
  • 質問者は異なる価値観を尊重し、攻撃的な言動は避けるよう求めています。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#182246
noname#182246
回答No.1

こんにちは。 はじめまして、自分は現在40代の独身の男です。 最初にお聞きしておきたい事は、質問者様は何が原因で双極性障害II型を患われたのですか? 自分は約20年ほど前に仕事が原因で心身共に崩してしまい、最初は内科の方に診察をして貰いに行ったのですが、色々検査をして貰った結果全く異常がないと診断されました。 しかし一向に症状が良くなる気配はなく、段々心身共に症状がひどくなって来たので、その時自宅近くに開院をした心療内科に診察をして貰いに行きました。(当時は、心療内科を看板に掲げている病院は皆無でした。) そこで診察をして貰うと医師から「立派な病気や。何故こんなになるまでほってたんや。」と叱れてしまいました。 そこでつけられた診断名は、抑うつ性神経症・強迫神経症・不安神経症・自律神経失調症でした。 そこで仕事をしながら、通院を続けていたのですが、全く良くなる気配がなく約5年程通院した頃、自分の学生時代の同級生が医師をしていた精神科に転院をしました。 そこで約10年程通院したのですが、症状が少しましになったり、でもすぐ悪くなったりを繰り返していました。(そしてこの医院で診断名が鬱病と変わった事もあり、当時勤め続けていた会社では限界を超えてしまい、会社を退職しました。) そして仕事の件で、市役所に相談をしに行ったところ、担当をされた方も鬱病経験者でして、1度その職員さんが通院していた医院に話だけでも聞きに行かないかと言われたので、聞きに行きました。 そしてその医院のケースワーカーさんなどと良く話し合った結果、色々な条件から、その医院に転院をする事に決めました。 そしてその医院に通院をし始めてから、約1年経った頃病名が双極性障害II型と診断名が変わりました。 それから約3年近く経とうとしている所ですが、自分は現在医師より仕事の方はドクターストップが掛かっていて無職の身です。 質問者様の現在までの職歴を拝見させて頂きましたが、主にIT関係のお仕事をなさっていたんですね。 自分の知り合いにもIT関係の仕事を転々と渡り歩いている人もいますが、大変な職業なんですよね。 質問者様は、今迄と仕事に対しての考え方が変わられて、「自分と同じ様な人を助ける様な仕事に就きたい」という事なんですね。 自分は人と接する事が好きだったので、ずっと卸売販売業の仕事だけをやってきましたが、現在は仕事が出来ないのでどうしようも出来ませんが、もし医師から仕事に行ってもいいと許可が出て、自分自身寛解の状態まで行ったら、もうこの年齢で遅いかもしれませんが、精神福祉関係の仕事に就いて自分と同じ様な精神疾患を患った患者さんの手助けを出来たらなと思っています。 実際に、資料を集めるぐらいの行動しかしていませんが、質問者様も御自身が質問に書かれている様な事を思っていらっしゃるなら、トライしているみるのも良いと思います。 とにかく、後で後悔する様な人生だけは送って欲しくないですね。 質問者様は、頑張り過ぎの所がありそうですから、スローペースで行かれた方が良いと思います。(すいません、生意気な事を言って…) 最後に、此処で質問をされる場合には、ある程度色々言ってくる人がいると覚悟しておいた方が良いと思います。(もし、不愉快な回答が来ても、スルーするのが1番だと思いますし、実際精神疾患を患った人にしか、この気持ちは分からないと思います。) どうかお体を大切に。 お互い、これからの人生が良くなる事を祈っています。

noname#181555
質問者

お礼

はじめまして、わたくしも40歳男性です。(早生まれですが) (経歴から逆算しますと、だいたいお分かりになりますよね!) お年が一緒なので、なんだか親近感がわきます。 先ずは、ご丁寧に心がこもってのご回答を頂きまして感謝しております。 この場をお借りしまして、有難うございます。 ご質問の「何が原因で双極性障害II型を患われたのですか?」の問いについてですが、 ズバリ「仕事先での対人関係で歯車がうまくいかず、厳しい言動・プレッシャーについていけなかった事」が直接的な原因です。 細かいお話をすれば長くなりますので、敢えてコンパクトにしますが、わたくしからの質問内容の経歴の(2)ですが、営業をメインで従事しておりましたので、常に数字との睨めっこ、そこそこ頑張ったのでその結果として、管理職(主任⇒課長⇒次長)になったのですが、途中から入社された方(上長にあたる)からの今で云う「いじめ」など・・・とにかく、さまざまな嫌な事が、当時記憶として、鮮明に覚えております。 元々、田舎があり、関東に20年前に上京し、今に至っておりますが、途中挫折して、H19年3月頃、再度田舎に戻りましたが、例えるなら既に浦島太郎状態でした。仕事も都会より、当然ながら、はるかに少なく、人口が少ない分、人の噂のネタ話が大好きで周りにすぐ広めたり、便利なものが少ない(交通の便など)、自分にとっては、逆にストレスが溜まる一方でした(既に都会に慣れ浸しんだ為)。 結局H20年6月に、再度関東に戻り、今の環境にやっとの思いで落ち着いてきております。 病院も今の所を入れますと、5つほど変えております。たまたま運良くネットなどで調べて、行った所が良かったのですが、引越し(田舎⇔関東圏、都内居候)を3回繰り返したので、このような病院の数となっております。 回答者様も病名が判明するまでの顛末には、物凄い大変な思いをされていたんでしょうね。 なんとなく察します。気持ちが辛いのに、だれも分かってくれないから余計にストレスを抱え込むような、スパイラルが目に浮かびます。また、その当時は、この病気自体があまり認知されていないのが、事実だと思われます。とても気持ちが分かります。 また、IT系のお仕事ですが、お察しの通り、「躁うつ」の方が多く、実際わたくしも、その方達の相談役にのっておりました。結果、自分も、このような形になったのも事実です。 仕事についてですが、回答者様と同様なお考えで、とても光栄です。 未だ無知ですので、はっきりとした言葉で申し上げられませんが「ケースワーカー」のようなお仕事も本気で考えております。寛解期で、良い意味で反対する方もいらっしゃいますが、回答者様と同様、わたしも後々後悔だけはしたくない人生を送りたいのです。 今は無職ですが、辛うじて妻がいますので、現時点では生活費などは、頼っております。 しかし、甘えてばかりいてはいけませんので、プレッシャーにもなりますが、それをうまくコントロールし、今後の新しい未来へ切り開こうと思います。 また、仰る通りで、自分でいうのも変ですが、「頑張るクセ」がかなり気持ちの中に刻まれているのは、確かだと思いますので、ホドホドにします。 最後の助言の不愉快のスルーの件もかしこまりました。 少し、心がスッとなれそうです。 ここまで、読んで頂きまして有難うございました。

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