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現代という時代の金融経済というシステム
歴史的に見て、現在の金融経済が世界を支配しているのは、アメリカの意図がかなり見え隠れしているとは言え、帰結せざるを得ない状況だと思います。 政見放送を聞いても、どの政党も、金融経済を無意識的に公理のように扱い、疑おうともしません。人為的操作による数字の増減だけというギャンブルができる階層に極めて有利な制度は、人類にとって最終的な形態になるのでしょうか? 今の状態なら、自民党・民主党・公明党・共産党その他が政権をとっても事態はまったく変わりはないと思うのですが。グローバリズムとは金融経済のこととしか思えません。 TV・経済誌・その他を見ても金融経済(変動相場制)を前提としか論じていません。現時点では致し方ないと、私も不承不承受け入れていますが、この金融経済に変わるシステムというのは見つからないのでしょうか? 現在の金融経済がかなり歴史的な見地から見て当然通るべき道とも、ある一部の国の人為的なシステムとも捉えられます。未来の経済はアカデミズムの世界ではどのように捉えられているのでしょうか?大学の経済学部は、どのような方向に進んでいるのでしょうか? 経済学という見地だけから捉えるのは難しすぎる問題だとは思いますが、私と同じような危惧を抱いておられる方がもしおられましたら、何らかのご意見を拝聴したいと思います。
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- 畑山 隆志(@deltalon)
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現代は経済学のみならずあらゆる学際、理論が再編を迫られ、変化の過渡期にある。 現在、確実に広がっているのは世界すべての経済の市場経済化。 最近の地震学をひくまでもなく、すべての科学分野が結果を出すことを求められ、現実の問題への答を出さなければならない状況が生まれている。地震学が、あれだけ予知を言い続け、予算を投入し続けたにもかかわらず結局役に立たなかったという結果は、大それた理論よりも現実的な解決手段の提供を強く求められていることを意味する。 同時に人への評価も変化してきている。これまでのような性格の良さのような人の中身は、数値にできないが故に、この市場経済下では評価されない。ではなにで評価するかと言えば金額である。これは現金とは違う、いわば計数として金額が使われている。(これには簿記の概念が意味を持つ。つまり左側(借方)にインプットされた人件費(=人の値段)を含むすべての金額が右側(貸方)に分けられる。) そして現在、問題解決を指向するのが工学である。つまり解決すべき課題と(科学的)技術の適用である。政府は「科学技術立国」などといっているが、もう科学の分野はほとんど意味をなさなくなってきている。まるで趣味の延長のような分野はどんどん縮小し、問題の解決に適用され金額として結果をしめせる分野だけが生き延びていく。 経済学に範囲を絞れば、さまざまに派生する経済分野(神経経済学、行動経済学)に見られるように人を中身ではなく外見=行動のみで評価するようになってきている(それと金額)。現在山積みの経済・金融分野での課題を解決できるモデルが創られなければ、学問分野自体が今後どうなるか分からない。 だから、人ごとのように現実を理解もせず、金融経済に変わるシステムなどと言っているうちはキミの能力が不足していることを示している。
お礼
Thanks but no thanks.