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風景が違って見える
- 普段見ている風景が時折違って見えることがあります。
- 風景が見る時によってまちまちなのです。目が回ったあとや、眼を覚ました時、三叉路などでも起こりやすいです。
- 私は錯視だと思っているのですが、これは皆がなるものなのでしょうか?
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視覚系の一部に未完成な部分(老化していない部分)があるということ?? 例えば、逆さめがね(潜望鏡のような仕組みで天地が逆になる眼鏡)をつけると、初めは混乱しますが、やがて正常に知覚できるようになります。外すと、また世界が逆転する。 あるいは、小さい子供に字を書いて見せると、左右や上下が逆さでもちゃんと読めたりします。字を左右逆に書くこともしばしば観察されます。 これは目で受けている信号と、脳内で再構築される空間認識が別物だと言うことを示しています。これは視覚の成長と共にコントロールされるようになるのですが、最初の逆さ眼鏡のように後から変更もされますから、それほど固定されたものではありません。 言い換えれば、大小を問わず誰にでも起こりうることだと思います。気にせずにいきましょう。たぶん、あなたは逆さ文字や反転文字を読み取る能力は、コチコチに固まった人たちよりも優れているのではないかと。
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- aothegenus
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お礼ありがとう。 極論すれば人の脳の働きと関係する現象は99%性格だと思います。性格という概念で分析するのが順序だろうという事です。 テストが出来ないと良い?大学に合格できない。学歴で世間的・社会科学的な馬鹿利口が決定されます。でもそれは性格でしょ。好みと言ってもいいけど。例えば変な図形が出てきて同じのはみたいな知能テストがあるけど私なんかその下らなさや従う事にイライラしてテストを冷静に受けられません。 小学校の建物でも何でも外界の見える物に対する緊張感みたいな物が起こる時と起こらない時の差ではありませんか。情緒的だったり個性的だったり。 ロボットのような日本のサラリーマンが通勤中に迷子にならないでしょう。頭を自由に使って色んな事を考え出したら風景が違って見えてきますよ。 割りに私は風景が異なって見える方なのですがご質問のお蔭で質問者さんや私の自覚は少数派と気がつきました。世界を観察して何かを鋭敏に感じて気がつく人は少数派なんです。学生時代なんか何にも観てませんよ。そのまま大人になって年とって死ぬ生き物がほとんどでしょう。 少なくとも質問者さんは自分の感覚の変化に鋭敏なのだからそのご性格でそうではない人らがどんな生き物かを冷静に再認識されてみてはいかがですか。 そんな事は知らないという人らは意識していないだと思うのです。穏やかな馬車馬と落ち着きない野生馬の違いのように。たぶん性格ですよ。三つ子のたましい的な。
- aothegenus
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錯視的なものも含むでしょうが全てが同じ原理の現象でなくともいいですよね。 小学校で迷子にはなりません。皆が体験する現象とは言えないでしょうが少し迷子になることはあります。つまり見たことない風景に見える事はあります。その状態を補正し直して迷子にならずに済むのだと想像します。ご指摘の三叉路は多くの人が似たような感覚におちいる事があると思います。それは少し気持ち悪い体験です。 結局、質問者さんの場合は私の表現ですが「補正」 の力が弱いのだと思います。その補正というのは総合的な結果論ですからおそらくはパニックになりやすいという程度の事ではないでしょうか。パニックになれば次々に風景の目新しさに意識が向くような気がします。その連鎖的な時間が本人を困らせるほど続いてしまう。その発端が錯視その他という構図では。原因はご本人の混乱しやすさですよね。たぶんですがそんなささいな気掛かりはどうでもいいというような対応でリセットできない性格だからではないでしょうか。 以上は即興的に考えた私見です。
お礼
性格が関係しているとは思ってもみませんでした! 確かに些細な事でも気になりだすと止まらない性格です。 もっとざっくりと考えるようにした方がいいのかもしれませんね。 ご回答ありがとうございました。
お礼
視覚系の未発達ということでしょうか? 確かに、文字が上下逆さまでもわりとスラスラ読めてしまうほうです。 風景が違って見えると別世界のようで落ち着かず、少し不安になりますし、 以前知り合いに訊いたときに「そんなふうにはならない」と言われたので気になっていました。 ですが気にしないようにしようと思います。 ご回答ありがとうございました。