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帝王切開の「帝王」って何ですか?
- 帝王切開の「帝王」の意味について疑問に感じたので自分でも調べてみた結果、語源に関しては俗説が多く、国語辞典でも間違った説が書かれていることがわかりました。
- 一説によれば、ラテン語の帝王切開を意味する「sectio caesarea」がドイツ語に訳される際に、「caesarea」部分を古代ローマ将軍のガイウス・ユリウス・カエサル(シーザー)(帝王)と誤訳されたという説や、それに近い話の説が有力です。
- しかし、訳し間違えや意味の無い言葉を現代においても使うのはおかしいと感じる人もいます。帝王切開の「帝王」の本当の意味や理由は一体何なのか、多くの人が納得できる話や本当の意味を知っている人がいれば教えてください。
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http://www.nlm.nih.gov/exhibition/cesarean/part1.html シーザーの母はブリテン島侵略の段階で存命だから、シーザーが帝王切開で生まれたのは嘘だな。 どうしてそういう名前になったか、よーわからんのだよ。 というのが、アメリカの医学史図書館サイトの見解のようです
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- aothegenus
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エビデンスエビデンスの日本の医学界が世界に先立ってしますか。翻訳語でしょ。変わるとすれば英語そのまんまになるだけ。 名称ですから。 もしも別の手術が発明されたらこの帝王にかけて王子切開などと名付けられるかも。 定義ではなく、語源の不確定さでは、変わらないという事なんでしょうね。 発明者の名前の方がいいですか。佐藤式切開……ますます意味ないような。 語源は知る由もありませんが、カエサル→皇帝の意味合いで、皇帝の子をはらんだまま死んだ女の腹を切り開いて胎児を取り出す決まりがあったからでしょ。物凄く良くできた名称なのでは?他には方法がないくらいの説得力がありますよね。 質問者さんの悶々には共感できますしそうした批判者がいなくてはいけないはずです。しかしなんなんでしょう。生真面目に論理の罠にはめられてしまっただけかも知れませんよね。他の事例は無視する急傾斜です。 そんな一例どころじゃないくらい、どこもかしこも根本的にいい加減な世の中なのに。 その名前が、人権問題だなんだとあの無意味有害な言葉狩りにでも遭わない限り、その名前なんかよりも大事な知識の方を皆さん議論されているという事でしょう。
- Nakay702
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>多くの人が納得出来る様な話や本当の意味を知ってる人が居ましたら誰か教えてください。出来ればカエサル(シーザー)説以外でお願いします。 ⇒寡聞にしてシーザーや帝王切開のことはほとんど知りませんが、確かに物事の名前、「それをどう呼ぶか」というのは厄介な問題ですね。しかし、物や事柄が「ある」限りは、それを表わす呼び名が必要なわけで、それは、nomenclature「命名法」などという学問分野があるくらい、重大問題なんですね。 >日本語に関してはその様なおかしな言葉が沢山あるのだと思いますが、「社会に浸透しているから」とか「意味が通じるから」という事だけで変更しないのもおかしい気がします。 ⇒おっしゃる気持ち、分かるような気がします。 昔、「お日さまが昇る」と言っていたところ、ある時優秀な学者が、「昇る」のでなく、地球の自転の結果、「現われる・見えてくる」のに過ぎないのだというこということを発見しました。そこで、ある人が、「お日さまが昇る」という表現は事実と異なるのだから、言い方を変えようという提案をしたそうです。しかし、誰も賛同しませんでした…。 そうなんですね。言葉というものは、必ずしも事実を反映してはいないんですね。初めは事実に即して命名されたとしても、「事柄や実体の変動に伴って必ず言葉も変化するものではない」のですね。なぜなら、言葉は一種の「慣習」だからでしょう。いちいち状況の変化に即して変えたら、かえって「伝達効率」が悪くなって使えにくくなってしまう、というところでしょうか。 >適切な意味のある言葉なのであれば、当たり前に使われて当然だと思いますが、普通に考えて、訳し間違えや意味の無い言葉を、現代においても普通に使うというのはおかしいと思えてしまいます。 ⇒世の中には、「不適切な呼び名」と思しきものがいっぱいあります。その原因は、上で述べたような「言葉は慣習である」ということのほかにも、さまざまあるようです。最初に訳したり・使ったりした人の「間違いをそのまま引きずる」、などもその1つでしょう。英語のみならず印欧諸語の文法用語として広く用いられる「現在分詞・過去分詞」という用語がありますが、それぞれの内容は「現在・過去」とは関係ありません。その証拠に、現在形・未来形の中でも過去分詞は用いられますし、逆に、過去形の中でも現在分詞は用いられます。(強いて内容に即してこれらを名づけるなら、それぞれ「不完了分詞・完了分詞」とでも呼ぶべきところと思います。) 結局、事物の名称・呼び名は、「由緒の正しさ」よりも「伝達の利便性」のほうが優先される、ということが結論として言えるのではないでしょうか。ご質問の「帝王」問題に直接お答えできなくてすみませんが、これにも、上述の事柄と似たような状況や背景があるに違いありません。
電流はプラスからマイナスに流れる、と習いますが、実は電子はマイナスからプラスに移動しているそうですね。 まだ電子の動きが測定できなかったときに決めたことが後でで逆だとわかったわけですが、「プラスからマイナスに流れる」が広く流通しているので変更することなく今から使われているのでしょう。 西暦はキリストの生まれた年を0年として定められているそうですが、キリストが生まれたのは紀元前4年くらいだろうと現在は考えられているそうです。でもだからといって西暦を4年ずらしましょうということにはなりません。みんなが現在の西暦を使っているので「今年は2013年です」で何の問題もないのです。 つまり、ことばというものは語源が正しいかどうかではなく、それで通じるかどうかで決まるのです。「社会に浸透しているから」「意味が通じるから」使うものなのであって、それを「腑に落ちません」とするあなたの考えの方がよっぽど腑に落ちません。 そもそも「腑」というのは「五臓六腑」の…と思ったらこれは他の回答者さんが書いていましたね。失礼しました。
- mota_miho
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ご質問の文にもおかしな用語があるかもしれませんよ。 》 もしそうだとしても、その様な曖昧な説の物を、未だに普通に使用しているのが腑に落ちません。 「腑に落ちない」の語源を見てみます。NHKのサイトにある説明によると、 ▼ 「腑」とは【お腹の臓腑・はらわた】を指します。「五臓六腑にしみわたる」とも言いますね。昔から「腑」は心や考えが宿るところとも考えられていて、【思慮分別、根性、心】を指す言葉になりました。 http://www.nhk.or.jp/kininaru-blog/130237.html さて、質問者さんは、「腑」に心や考えが宿っていると考えておられるのでしょうか? もし、そうでないなら、「腑に落ちません」という言い方を 現代においても普通に使うというのはおかしい、ということになります。
- alflex
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そう言われても…。