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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:モテることは,「いいなり」になること?)

モテることは,「いいなり」になること?

このQ&Aのポイント
  • モテるためには、パートナーとの関係でいいなりになることが重要。
  • いいなりな関係を築くことがモテる要素である。
  • ホンネを避ける関係がモテるための条件かもしれない。

質問者が選んだベストアンサー

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  • ueue3131
  • ベストアンサー率51% (208/405)
回答No.4

あなたの考えに一理あると思います。 モテる、つまり多くの異性・・・というか老若男女を問わず  多くに人に好かれるためには、 相手の意見を よく聞いて、相槌を打ってあげたり 相手の容姿やファッションを さり気なく ほめてあげたり 困っていたら 「手伝いますよ」と声をかけたり とにかく、いい人になることは とてもいい方法です。 ただ、「いいなり」というのとは多少違って できないことは「ごめん。それはできないなあ。」と さわやかに、あるいは可愛く拒否をするべきなのは 当然です。 また、自分自身も好感度の高いファッションや髪形で 見た目の面でも 多くの人に受け入れられるようなものに しておくと、たいていの人は もてるようになります。 さて、モテた後は、当然 誰か特定の人と付き合うことになりますが その後も、相手のことを考え、話を聞いて相槌を打ったり いいことは ほめたり、困っていたら手を貸したりするのは 同じように大切です。 ただ、長く付き合っていく上では 何でもいいなりではいけなくて、 やはり 自分の気持ちを伝えることも必要です。 あなたは、「ホンネ」どうしをぶつけあうような関係では おたがいが争ってばかりの関係になってしまう・・・と心配されていますが 物を伝えるには「物の言い方」が大切であり、 相手をほめたり、認めたりしながらも、信念をもって 冷静に 自分の気持ちを伝えていくことが大切です。 「ぼくはこう思うけど、君はどう?」と、一つ一つ話し合って 時には譲ったり、時には意見を通したりしながら 考えを共有していくことが大切かと思います。 結婚し、暮らしを立て、子育てをしていく上では イエスマン状態ではうまくいきません。 ものの言い方や 言うときの表情などに気をつければ 波風はそんなに立ちません。 ぜひ、試してみてください。 そして、 イエスマンの関係でなく 本当に気持ちの通じ合った 素敵な関係を パートナーと築いてください。

noname#181693
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 「物を伝えるには「物の言い方」が大切であり、相手をほめたり、認めたりしながらも、信念をもって冷静に自分の気持ちを伝えていくことが大切です」 このような指摘については,わたし自身が懸念していることですが,いまの日本社会において,このようなレベルの人間関係を求めている人々はいるのでしょうか? まるで,理想のようなものです。 使い捨て,リストラ,派遣,契約労働者… いろいろな「言葉」はありますが,社会のなかにおいて,人間という存在が,「捨て駒的存在」になっているのが,いまの日本社会であると,わたしは認識しています。そういった社会事情において,あなたが指摘されたような,いわゆる「情のある人間関係」が,重要視されるのでしょうか? わたし自身,いまの日本社会という空間においては,人間関係というものは,どのようなレベルの,どのような人間関係においても,「疑心暗鬼の人間関係」であると,そのように認識しています。 また,このような社会の傾向については,「排除を恐れる人間関係」があることも,指摘しなければなりません。そのような社会事情においては,いわゆる行動する保守の活動にも関連しますが,「単純」なのです。人間関係においても,対話においても,他者の認識においても,すべてとまではいいませんが,なんでもかんでも「単純」にしようとする,社会の「ビョーキ」があると,わたしは考えます。 悲しいかな,日本社会で活きることは,「不幸」なのです。日本という国で生まれなければ,日本社会のなかで生活をしていなければ,「不幸」から逃れることができるのかもしれない。 そのような「シャカイ」をつくった,日本人の「責任」は重大であると,わたしはおもいます。

その他の回答 (7)

回答No.8

もてる人は、気を遣っていますが、いいなりになるのとは違います。 質問者さんはそこらへんの区別が付いてないように思われます。 やっぱり恋愛にはお互いの人格がホンネでぶつかる なにか人生の真実に触れるような要素が必要です。 いいなりになるだけでは、いい人どまりでしょう。

noname#181693
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 「恋愛にはお互いの人格がホンネでぶつかる」という指摘については,ほんとうの意味において,そのような人間関係をのぞんでいる人々はいるのでしょうか? 何事も,なんでもかんでも,「表面的」,「上っ面だけ」,「中身のない」,「芯のない」,そういった,ネガティヴであることが,いまの日本社会における「不幸」であると,わたしは考えています。

noname#206832
noname#206832
回答No.7

そうでしょうか?確かに言いなりになっていれば 波風は立たないでしょうが、パートナーにその ようなことを望むような人間は、大抵は感情的、 暴力的であり、自らの正当性を暴力によってしか 誇示できない方が多いように思います。 まともな理性がおありになる家庭では、物事は きちんと筋道をたて、決められますし、いいから 私の言うことは絶対だ!おとなしく言うことを きけ!等という関係はあり得ません。そのような 暴力的な方をパートナーにお選びになりたいので あれば止めはしません。 私ならば、ということですが、相手を選ぶなら、 まともに話が通じ、支離滅裂ではなく、行動に ある程度一貫性があるような方を選びます。 誰でもいいからただもてたい、というのであれば その理屈にもある程度の合理性はあるのかも しれません。ですが、当然ながらお勧めはしません。 本当に信頼しあっている関係であれば、本音を ぶつけたぐらいで関係が壊れたりはしません。 お世辞を言われる、お世辞が必要とされる、 というのはとりもなおさず、そのように軽んじ られている、ということの裏返しであると 思います。

noname#181693
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 「本当に信頼しあっている関係であれば、本音を ぶつけたぐらいで関係が壊れたりはしません。」という指摘については,そのようなレベルの人間関係を求めている人々は,いまの日本社会には,いるのでしょうか? いまの日本社会においては,人間関係が希薄になっていることが指摘されていますが,そのような社会状況のなか,あなたが指摘したような,いわゆる「情のある人間関係」,「信頼関係を重視した人間関係」は,多くの人々にとって,非常に大切な価値観として,認識されているのでしょうか? もしかしたら,あなたは,いまの日本社会においては,「マイノリティ」であるかもしれません。本来であれば,あなたのような考え方をもっている人々がいることこそ,社会にとっての「幸福」につながることでしょう。しかしながら,「うわべだけの人間関係」がまかり通っている,いまの日本社会とは,「不幸の塊」のようなものであると,わたしはおもいます。 また,「まともに話が通じ、支離滅裂ではなく、行動にある程度一貫性があるような方」という指摘についても,では,いまの日本社会において,そのようなことを考えている人々は,ほんとうに,多くいるのでしょうか? 「オレたちと意見の違う奴らは,反日主義者であり,売国奴だ!」などという考え方がまかりとおりつつあるのが,いまの日本社会です。あなたの考えているように,「筋道を通して…」などと考えている人々は,あまりいません。きついコメントではありますが,あなたは,きっと,まともな人ではありますが,いまの日本社会においては,「マイノリティのなかのマイノリティ」なのかもしれません。 「日本人とは,関わらないほうが良い」 世界じゅうの,多くの人々から,そのように批判されてしまう日は,近いのかもしれません。 すみません,ペシミスティックなコメントで。

  • tyuri-hi
  • ベストアンサー率26% (76/287)
回答No.6

もてる事は言いなりになること 凄い言葉ですね。的を射てると思います。 言いなりであり続けるためにはそれなりの行動力も求められるしですね。 私はならばそれに一言付け加えます。 質問者様の言われるもてるはいわゆる便利屋さんです。 本当のもてるは相手からある種の尊敬が込められています。 つまり言いなりになっている姿を見て、相手の行動力、的確な対応等々を目の当たりにし尊敬もしているのだと思います。

noname#181693
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 「本当のもてるは相手からある種の尊敬が込められています」という指摘については,では,いまの日本社会において,あなたが主張したような,リスペクト,相手を尊敬するという,ものの考え方なり,他者にたいする姿勢は存在するのでしょうか? 些細なミスなどを,まるで揚げ足をとるかのような態度をとり,相手を蹴落とす,相手を社会から排除する。ある種の,魔女狩りのような空間が,日本社会というものです。日本社会とは,醜い人間の集団のようなものでもあります。 そういった社会事情があるため,「相手を尊敬する」人間関係は,過去のもの,死んでしまったものであると,わたしは,そのようにおもうときがあります。 ほんとうは,あなたが指摘されたように,「尊敬できること,尊敬すること」は,大切なことです。しかしながら,多くの日本人にとっては,不都合なことではありますが,「不幸」をつくる空間が,いまの日本社会であると,わたしはおもいます。

  • Kiripaku
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回答No.5

恋愛経験がないので、どうしても全てを頭で考えてしまうのだろうけど、こうすればいいといった答えはありません ・ただ沢山の異性にモテること ・好きな相手に好きになってもらう この二つも意味合いは全然違います また好きな人がどんな人なのかでも違います 恋愛は学術や学問ではないので、答えは人の数だけあり統計や傾向はあっても、自分が好きになった相手にそれが当てはまるとも限りません なので、この質問の答えは「人による」となります 沢山恋愛をして心で感じ、心を成長させて下さい 頑張って!

noname#181693
質問者

お礼

コメントありがとうございます。

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.3

君の考え方で行くと 「一人の人間には、1つのドアしか無い」ような感じがする。 でも実際には、人間というのは「様々な考え方、感性」の塊であって、しかもそれは一定ではない、というところがあるんだ。 つまり「ドアはたくさんあるし、いろいろな場所に付いてて、出たり引っ込んだりするもの」なんだよ。 だから人によって開けるドアは変えて良い。 中に入っちゃえば一緒なんだから。 付き合っていくうちに、奥の部屋に進んでいけるということで、それが「関わりが深くなる」ってことだから。 ご機嫌取りをするってことは、本音じゃないということだよね?。 これは「ドアを開けて入ったら行き止まりだった」ということ。 これだと飽きるから、すぐに出てっちゃうじゃない?。 これだと長くの恋愛関係は続かないよ。 モテる、というのを「多数の人から共感を得る」という意味として考えると、要は「引き出しの数と、深さがあったほうが、共感の数は多く得られる」ということになる。 そしてそれはやっぱり「資質」ってあるんだよ。 不公平だけど、それが真実。 でも、共感というのは多ければいいというものでもない。 少なくても共感を持ってくれる人がいれば、それを大事にしていけばいいの。 数じゃないから、そこはあまり追求しないのがいいと思うけどね。

noname#181693
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 「ご機嫌取りをするってことは、本音じゃないということだよね?。」という指摘については,まさに,そのとおりです。そして,いまの日本社会における人間関係とは,「めっきでぬりかためたもの」であると,わたしはおもいます。 また,あなたは恋愛においては,「資質」が関係していると指摘されましたが,そのとおりだと,わたしはおもいます。ここでいう「資質」とは,家庭環境や,周囲の人間関係などが,その形成において,大きな影響をあたえると,わたしは考えています。

  • zkxzm4kz
  • ベストアンサー率11% (601/5075)
回答No.2

質問者の考えは主従関係だとおもいます。 もてるとか、人気がある、セクシーという関係ではないでしょう。 テレビに出ているタレントさんはもてますが、あなたのいいなりですか? まったく会ったことのないひとでもモテるモテないは存在しますから。

noname#181693
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 実際の男女関係,それも,カップルという関係において,いまの日本社会においても,いくら男女間の平等が重視されているとはいえ,あなたが指摘された,「主従関係」のようなものが存在していると,わたしはおもいます。パートナーのどちらかの「顔色」をうかがうこと,パートナーのどちらかの「意見」が最優先されてしまうこと,そういったことが,多くのカップルのあいだで,「当然のもの」として受けとめられていると,わたしはおもいます。 「お互いを尊重しあう関係」 そういったことを大切にしているカップルは,存在するのでしょうか? あるいは,わたしはこのような考え方をもっているのですが,日本社会にいる,多くの人々にとっては,いわゆる「ちょっとズレている考え方」なのでしょうか?

  • sayapama
  • ベストアンサー率37% (3925/10438)
回答No.1

いえいえ、逆でしょう! 「モテる」とは相手に合わせるのではなくて、自分はいつも通りにしていても、相手が自分にほれ込んで相手の方から自分に合わせてしまう事でしょう。 「男の強引さ」も惚れた目で見れば「グイグイひぱってくれる」だし、「女のおねだり」も惚れた目で見れば「甘え上手だな!」です。 要するに「アバタもエクボ」になる関係が、モテるという事です。

noname#181693
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 いわゆる「タテマエ」としては,そういうことだと,わたしは,思うときがあります。 あるいは,「理想」ということで,そういった考え方をかかげる人々がいると,わたしは思います。 では,「現実」においても,あなたの指摘のように,「自分はいつも通りにしていても、相手が自分にほれ込んで相手の方から自分に合わせてしまう事」,という関係が成立するのでしょうか? わたしなりの理解ではありますが,多くのカップルは,あなたの指摘のように,「「アバタもエクボ」になる関係」を「理想」とはしているものの,その「ほんとうの部分」においては,おたがいのあいだに,何らかの「壁のようなもの」,「超えてはならない一線のようなもの」があって,まるで「イライラ棒を扱うような人間関係」を経験しているのだと,そのように思ってしまうことがあります。 実際に,恋愛を「経験」すれば,いろいろと考え方が変わるかもしれません。そういったチャンスがあれば(あるいは,わたしと交際してみたいと思う人がいれば),の話ですが…。