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ほんとうは尽くしたいのに・・・

パートナーとの人間関係は,空気のような,冷え切ったような関係が,適切なのでしょうか? パートナーとの人間関係において,「見返り」はもちろん求めるものの(無償の愛が実践できる人がいたら,是非会ってみたいものです),それ以上に,いろいろなことを尽くしたいのが,本音です。 パートナーのために,ご飯をつくってあげたり,肩をもんであげたり,パートナーの話を聞いていたり,あるいは,パートナーのために,どこかに出かけたり,美味しいものを食べに行ったり・・・。わたしは,本心としては,パートナーに,いろいろなことをしてあげたいのです。 しかしながら,これまでの質問のコメントを拝見するに,パートナーとの関係においては,おたがいに,距離をもって,干渉しないことが良しとされています。パートナーに尽くしたいというのは,時代遅れの恋愛観ということでしょうか?

みんなの回答

  • ta_kuchan
  • ベストアンサー率24% (1287/5162)
回答No.2

生涯ずーっとその思いが続くのであれば良いんだけどね。 ケンカしたり?何かあったら 私だけが・・・・ ご飯作ったり、洗濯したり あなたの為に・・・・ なんで私だけ?! という思いが出てくるものだと思う。 >パートナーとの人間関係において,「見返り」はもちろん求めるものの >パートナーに尽くしたいというのは, >時代遅れの恋愛観ということでしょうか 矛盾しとるがな。 尽くしたいなら見返り求めないものでは? 自分が尽くしたいからしてる事でしょ? 自分が勝手に?尽くしておいて・・・・ 難しいとこだよ。 尽くした事に 対して どれだけの見返りを期待してるのか。 自分の期待に対して 相手がどの程度その期待に応えてくれてるのか お互いの 思いの違いで その見返りに 差が出てくる可能性も否めない

noname#228363
質問者

お礼

コメントありがとうございます。

回答No.1

Q、パートナーに尽くしたいというのは、時代遅れの恋愛観ということでしょうか? A、否。 少女漫画的な恋愛観。 人生のパートナーってのは、互いの生き様に対する共感と信頼とを軸に己が欲する家庭像に向かって一致協力してこそ。尽くすとか尽くされるとか・・・。そんなのは、少女漫画の世界。 >ヘルメルが対等な人間として、 >絶望や悩みを共有し、 >喜びを分かち合える存在、 >「1人の人間」として自分を見ていないことにノラは絶望し、 >ヘルメルの制止を振り切り、 >ノラは家を出る。 (1879年、ヘンリック・イプセン) まあ、1700年代には「尽くすが美徳」だったかもしれません。しかし、少なくとも1800年代の後半には、現代的な恋愛観がはっきりと登場していると思いますよ。

noname#228363
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 時代錯誤といいたいのですね。