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(パートナーを)信じるぞ信じるぞ信じるぞ信じるぞ…
恋愛、さらには、夫婦関係とは、パートナーのことを「信じる」ことなのでしょうか? そして、それは実践できるものなのでしょうか? 先日、浮気や不道徳的行為にかんする質問をしたところ、パートナーを「信じる(信用すること)」ことが重要であるというコメントをいただきました。 「パートナーは浮気をしていない!」 そういった<信用>を「前提」とした人間関係においては、「パートナーは浮気をしていない!」 という言葉なり、考え方は、とても重要なものでしょう。 しかしながら、そういったものの見方は、ある種の「洗脳」なり、「思いこみ」ではないでしょうか? つまり、「パートナーは浮気をしていない!」ということを、まるで盲信するかのように、信じて、まるでお経、マントラを唱えるようにして、「パートナーは浮気をしていない!」と、みずからのココロに言い聞かせるのでしょうか? そういった見方においては、パートナーとの関係は、ある種の、「カルト宗教組織的」なものがあるのではないでしょうか?
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補足
そうですね、どこどこに居る、ということであれば、飛んでいくと思います。なぜならば、多くの人々が、パートナーを選ぶにあたって、「ミス」をしているからです。 「悪い人」ばかりを選んでしまうわけです。そして、ここでいう「悪い人」とは、「皮」だけの人、ということです。 外見だけにとらわれ、表面的なことだけにとらわれ、いざ、交際してみたら、とんでもないDV男だった、という経験をした人々は少なくないと思います。そういった、DV男と交際するくらいならば、わたしと交際したほうが、よっぽど、ましだと思います。