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100点をとったら、ほうびをあげた
100点をとったら、 1. ほうびをくれる 2. ほうびをくれた 3. ほうびをあげる 4. ほうびをあげた 1、2、3 は正しい文だと思いますが、4に違和感があるのはなぜでしょう。
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#5です。 >…と考えれば、「100点をとったら、ほうびをあげた。」も間違ってはいないのですね。 「100点をとったら、ほうびをあげた。しかし、100点をとらなかったので、ほうびをあげなかった。」との2文での前段切り離しだったとか、あれこれ付け足しをしないと意味が曖昧なままの文章は、やはり間違いに近い不完全文に当るでしょう。 ×100点を取ったら、ほうびをあげた。 繰り返しになりますが、話し手が与え手主格として必要な「あげる」の過去時制「あげた」の構文においては、それに先行する従属節での単純な仮定節は成り立たちえず、先行過去条件として、ここは実現不能であった仮定節「100点を取ったんだったら」とするか、もしくは未達の条件節「100点を取れたの<なら>」とする必要があります。しかも述部に話し手のムード表現を加えないと陳述形としては安定しません。 ・100点を取っていたら、ほうびをあげられたのに。:未達の条件「たら」節~た「のに」 ・100点を取ったんだったら、ほうびをあげたのに。:非実現の過去仮定「だったら」節~た「のに」 ・100点をとれば、ほうびをあげたかった。:仮定「れば」節~た・要望の過去「かった」 ・100点を取れたのなら、ほうびをあげただろう。:非実現の仮定「(もし)…なら」節~た「だろう」
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- kine-ore
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1.○100点をとったら、ほうびをくれる。 条件「たら」節+与え手が話し手側に「くれる」(近未来形) 受け手(=話し手側)が100点という条件を満たしたら、与え手<は/が>褒美を呉れる。 2.△100点をとったら、ほうびをくれた。 →○100点をとったので、ほうびをくれた。 仮定「たら」節≒結果「ので」節+与え手が話し手側に「くれた」(過去形) 受け手(=話し手側)が100点という条件を満たした結果、(与え手)<が>褒美を呉れた。 3.○100点をとったら、ほうびをあげる。 条件「たら」節+話し手が相手側の受け手に「あげる」(近未来形) 受け手が100点という条件を満たしならば、与え手=話し手<は>褒美を上げる。 4.×100点をとったら、ほうびをあげた。 →○100点をとったら、ほうびをあげた<のに>。 →○100点をとった<なら>、ほうびをあげた<だろう>。 仮定「たら」節≠結果「ので」節で(話し手の仮定節はそのままでは結果節には代用できず)、しかも断定の助動詞「た」に続けて非実現の過去の事態に対するムードを表す助動詞「のに」などの付加が必要となります。もしくは→仮定・条件「なら」節にして、しかも事態のムードを表す助動詞「だろう」を付加します。
お礼
回答ありがとうございます。 100点をとったら、ほうびをあげた。しかし、100点をとらなかったので、ほうびをあげなかった。 と考えれば、「100点をとったら、ほうびをあげた。」も間違ってはいないのですね。なかなか複雑ですね。
- cxe28284
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~たらの用法に仮定の条件文と云うのがあります。 英語で言えばIF 百点を取るというのが仮定の条件なのでまだ実現していないことが、 条件です。4の褒美をあげたは。それが実現して過去形になっているから、 違和感があるのです。
お礼
回答ありがとうございます。 2 の文も間違いでしょうか。
確かに1、2、3は正しく、4は変です。 1「100点取ったらお母さんがほうびをくれるんだ。だからがんばらなくちゃ」。 2「100点取ったらお母さんがほうびをくれたよ。うれしかった」。 3「100点取ったらほうびをあげるよ。だから頑張って勉強しな」。 ここで2は過去のことです。過去に関して「AたらB」という表現は、「Aが起こり、その結果として、それまではそうなるかどうかわからなかったBが起こった」ということをあらわすはずです。例文では子供が話し手であり、その子供にしてみれば100点を取ればお母さんがほうびをくれるかどうかわからなかった、あるいはお母さんがほうびをくれることを知らなかった、そういうできごとが起こったので「100点取ったらほうびをくれた」という表現が不自然ではないのです。 他の例を考えても「家に帰ったら妻がいなかった」「お気に入りのラーメン屋に行ったら定休日だった」など、そういうことになりますね。 ところが4は、2と同じく過去ですが、話し手はお母さんですよね。お母さんは「子供が100点取ったらほうびをやろう」と考えていたはずです。だから、自分がほうびをあげることは「そうなるかどうかわからなかったこと」「そうなるのを知らなかったこと」ではないので、「100点とったらほうびをあげた」は不自然なのです。 1と3についてはどちらも未来のことについて「もしAが起こったらBが起こるはずだ」という用法ですから問題ありませんね。
お礼
なるほど。 よく分かりました。 ありがとうございました。
- seary
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4に違和感があるのは、 「100点をとったら」がまだ起こっていない未来の事を表しているのに 「ほうびをあげた」と過去の事を表している文が続いてるからです。 なので2の文もおかしいのです。 100点をとったから、ほうびをくれた。 「か」が有るか無いかの違いなので、あまり違和感を抱かないのでしょう。
お礼
回答ありがとうございました。
- 1582
- ベストアンサー率10% (292/2662)
貴方がそういう感性だから
お礼
回答ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに「100点をとったら、ほうびをあげた。」は完全な文とは言えないですね。