関連情報なのですが。
牢役人もですが、牢では牢名主(ろうなぬし)という人にも賄賂(寸志・心付け)をあげないと手紙を出したり手紙を受け取ったり、差し入れをもらったりが出来ませんでしたので、松陰は牢名主にも賄賂を渡していました。
牢名主というのは役人ではありません。牢屋に入れられている同じ罪人なのですが、長く牢屋にいるのでいばってて、牢屋の主(ぬし)のように後輩罪人にあれこれ指図して力を振りかざしていた人だそうです。牢名主ににらまれると、些細なことから意地悪されまくりだったので意地悪されないように、気に入られて少しでもマシな牢屋ライフが送れるように、みんなせっせとワイロを渡したそうです。
松陰は牢名主に渡すため、「福神漬けを2樽送ってくれ」と実家のお父さん(杉家)に手紙を書いています。なんで、福神漬け? と思いますが、牢名主の好物だったか? それにしても2樽とは、江戸時代の流通が発達していない時に、運賃がすごい高かったでしょうに。
清廉潔白な松陰がワイロだなんて、似合いませんが。今の時代の価値観で判断してはいけないのかもしれません。
しかし、牢名主にワイロ渡していたお陰で、松陰の遺書『留魂録』は残りました。牢名主が明治に入ってから松陰の門下生に遺書を届けてくれなかったら、遺書は歴史の中に消えていたところでした。その最後に記された辞世の句、 身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置まし大和魂 も牢名主のお陰で残りました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 『留魂録』がそのようないきさつで伝えられたとは知りませんでした。 将にドラマチックな話で感動しました。 また、牢名主は一般の雑居牢に居るものだと思っていましたので、思想犯?の松陰は独居房に隔離されているもの、と思い込んでいました。 すっきりしました。感謝します。