※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:他人と感覚が違うって、比較できますか?)
他人と感覚が違うって、比較できますか?
このQ&Aのポイント
適応することの意味を思い知らされた。自分の感覚が他人とズレてることを自覚し、タイシタものと悟った。死ぬことは怖いけど、それ以外はもう死んでもいいと思える。
人が見ている色がみんな同じとは限らないことに気付く。自分の目に見える色が正しいと思って疑わないが、感じるものの違いは比べられないパラドックス。共通認識は存在せず、社会は近似値によって成り立つ。
感覚のギャップが金運や出世運に関与している可能性。哲学専攻か精神医学専攻の方に関連内容を教えてほしい。
社会で生きていくには適応するって大切ですよね。今更ながら「適応」っていうことの意味を思い知らされました。自分の感覚が他人とズレてることを自覚することのようです。これって、自覚できたらタイシタものだと、最近ようやく悟ったわけで、そのおかげで「もう死んでもいい」とさえ思えるのでした。残念ながら、死ぬことを怖がるっていうとこだけは、感覚っていうより本能というものに支配されちゃうらしくて「それではサヨーナラ」と簡単には死ねないものらしくて、こんな文章書いてます。と、前置きが長くなりました。例えて言えば人が見ている色がみんな同じだとは限らないようなささいなことなんかに気付くことです。十分に重大な事実のようだと思われるかもしれませんが、至ってお気楽なんですよ、実は。一人の人間、生まれてからずっと、自分の目に見える色が正しいと思って疑わない。「色の区別がつかない」んなら障害として認識できるんですが、単純に感じるものの違いなんか、脳を入れ替えて見ないと比べられないって、ちょっとしたパラドックスなんですが、わかりますか? このことをぶんしょうでどう記述したら万人に「何となく解る気がする」と感じてもらえるのかな? っと、これも「感じる」ものなわけだから、人間って結局、共通認識なんてありえいのですね。少なくとも近似値はあるから社会が成り立つわけなんでしょうけど…。ひょっとしたら、金運とか出世運なんか、以外とこんな「ささいな」感覚のギャップが作用して存在してるんじゃないの?なんて思います。哲学専攻か精神医学専攻で、この事に関係した内容をご存知の方、どうか教えてください。
お礼
使い方が判らなくて「補足」の返信をしてしまいました。 回答が無いとあきらめていましたが、ご丁寧な助言、ありがとうございます。 とりあえず精神科に掛かってみようかとおもっています。
補足
真剣に考えて下さってありがとうございます。参考になりましたが…「死んでもいい」とか書いたのがいけないんでしょうか…文章で伝えるのってむつかしいですね。たとえの中に「黒」がでてきましたがああ、近似値という例でつかわれたのでしょう。私が疑問に思っているのは以下のような事です。 "Aさんにとっての「赤」が、別のBさんにとっては、Aさんの感覚で見た「青」かもしれない" というかのうせいなのです。 Aさんが一般的な近似値、というか最大公約数的な感覚だと仮定して、Bさんがはたして自分が特殊だと気付けないんじゃないかという疑問です。だって、Bさなんいとっては火だって血だって、生まれてこのかた、アベレージでいうtpころの青に見えているんだから、その意識からすれば青に温かみを感じるでしょう? 手塚治虫先生の大作「火の鳥」の「復活編」で無骨なロボットが美しい女性に、溶鉱炉が小川のせせらぎに見えるという可能性が示唆されていましたが、まさのあれです。コミックだと極端でも普通に 読みすすんでしまいます。特に現実味を深く考えなかった方が大半じゃないかと思います。だって溶鉱炉に手を入れたら瀕死の重症ですし、無機質に見える人間なんかは、触感と連動して考えると、日現実的と判断されちゃいますからね。これが「色」とかの基本概念だったらどうでしょう? また感情の起伏とかだったあ…よく「空気を読めない」なんていうのも、ある行動が他人をどんな感情にさせるのかの近似値がつかめない事ですよね… いくら突き詰めて考えて見ても、感覚が他人と違う可能性は否定できないことに気づくと、真面目(っていうものの概念も怪しい?)なら真面目なほど、孤独感が募り、鬱傾向に陥るんじゃないかってね。ちょっとした被害妄想とも考えられるのですが…安部公房の「他人の顔」とか、カフカの「変身」とか、類似の文献はあるのですが、学問的にこの考察ってなされているのでしょうか?