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『今、この世界に生きていない・・・』という感覚
子供の頃からずーっと悩んでいます。母には話したことがあるのですが、友達には話したことはありません。うまく伝えられないし、絶対にわかってもらえないからです。でも、1度たくさんの方が見ているここで聞いてみようと思いました。(カテ違いかもしれませんがここが一番バカにせず聞いてくれそうなので。) 初めてがいつだったか忘れましたが子供の頃です。中高生の頃が1番多く、今(20代後半)もたま~にあります。主に1人でいる時に突然、この世に生きていない感覚になります。本当にうまく伝えられないのですが、しいて表現するなら「自分だけが動いていて、周りの人・物が止まっているような感覚」「私ここで何しているの?生きてるの?と疑問に思う」この世の中って何?現実社会って何?」などです。わけがわからなくなります。でもドンピシャな表現ではありません。 頭がボーッとして、どこか1点を見つめています。歩いていて起こり、そうなってもそのまま歩き続けることはできます。「わーまたこの感覚がきた。いつもの感覚に戻らなきゃ・・」と思うとその不思議な感覚がフッと消えていつもの自分に戻れます。時間を計ることはできませんが、だいたい1分未満だと思います。自分で戻ろうと思わなければ、少し長い時間その不思議な感覚の中にいます。 幼少の頃亡くなった父がいるのですが、母によると父は免許を絶対に取らなかったそうです。理由は「時々、頭がボーッとするから」と言っていたそうです。父も同じ感覚になっていたのかも・・とも思いますが、真相はわかりません。 これはどういった感覚なのか、また同じように感じるかたはいらっしゃるのでしょうか?また、仕事のストレスで2年ほどうつ病の治療をしていますが、それ以外では普通の生活をしている、普通の人間です。変な質問かもしれませんが、何か答えていただける方よろしくお願いいたします。
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幼児期の記憶を遡ってみて、最も古いだろうという記憶が、人によって違うとは思いますが、1歳の頃とか、2歳の頃とか、・・・だとします。 では、その前は、どうだったのだろうと考えてみると、耳が聞こえるようにもなっており、また、目が見えるようにもなっていただろうと思われるのに、どうであったか言葉では表せません。視覚聴覚のイメージ記憶は残っているかもしれないし、忘れているかもしれません。言葉の意味としての記憶は残ってないのです。 人はもともとそのような認識世界の中に生まれて、たぶんボーッとした感覚だったと思います。ところが、その世界を比較、分析、分類、区分といったことをし始めているうちに、そのみたまま、ありのままの世界から注意を奪われて、いわば人工的な、あるいは、普通人が現実といっているけれども、人それぞれの解釈で成り立っている世界を実在のものと思い込んでいます。幻想を見ているともいえます。そして、共有される幻想を常識としているようです。社会生活を営む上では、その幻想にとどまっているほうが好都合です。 あなたが「この世にいない」とおっしゃる感覚は、むしろ真実の世界にもどっている感覚だと、私は考えます。その道のものではないですが、禅などで道を極めようとする人々は、言葉というものの束縛から離れて、あるがままの自然と一体となる境地を目指しているように思えます。しかし、なかなかそう簡単に無我の境地になれるものではなく、あれこれと考えたりしてしまいます。あなたは恵まれて、ときどき、無我の境地に近い体験しているのではないでしょうか。 その状態だけでずっといることは、もちろん社会生活上問題が生じますから、あなたもそのことは気になるものの、そのボーッとした時間は、恍惚とした、ある意味幸せなときなのではないでしょうか。不快なことはないのでしょう?
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(No.2の続き) かく言う私も専門家でも何でもありません。中島義道さんの 哲学の教科書 は入門書としては一番お勧めできます。哲学入門 といえば ヘーゲル や ヤスパース も書いているのですが、まずは中島義道さんくらいから入り、そこから広げていくのがよいと思います。 中島義道さんは小学校からの帰り道に周りの世界が歪むような感覚があった。そういうことは周囲の大人には言ってはならないと本能的に感じていた。と書いています。ロマン・ロラン の ジャン・クリストフ の中にこの感覚と似たことを描写してある、とも書いています。 変な感覚については、サルトル の 嘔吐 も何かの参考になるかもしれません。 そういう感覚が抜きがたくある者が本物の哲学者になっていくそうです。 変な感覚のことは書いていなかったかもしれませんが、入門書という意味では、池田晶子さんの 14歳からの哲学 もよいと思います。私はこの本が好きです。
お礼
再度回答ありがとうございます。 中島義道さんを少し調べました。とても興味を持ちました。 本は好きで以前書店員をいていたのですが、恥ずかしながら存じ上げませんでした。 14歳の哲学はよく売れていたので覚えています。 まず、14歳の哲学と中嶋さんの本から読み始めてみたいと思います。 「世界が歪む感覚」というのは何となくですが、わかります。 ボーとしているので曖昧な記憶ですが、私も少し歪んで見える感覚と、 音のない世界にいる感じがします。 私も含め、私の周りのも「哲学」の話をしてくれる人もいなかったので、とても参考になりました。 本当にご親切にありがとうございました。
補足
♯6さんの欄をお借りしたします。 みなさま、私の長年の悩みに回答して頂いてありがとうございました。 ずーっと、モヤモヤしていたのですが、別に私の頭がおかしいんじゃないいんだとか^^;、 あと、 同じような体験をした方の話とか聞けて、本当に質問してよかったです。 真面目に相談に乗っていただき、本当にありがとうございました! 気持ちの上ではみなさまに20ポイントです!
- corpus
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私は高校生のころ、電車に乗っていて、ぼんやりと窓の外を見ていました。何か動物が歩いているなと思って、よくよく見たらサラリーマンの姿でした。質問者様の体験とはだいぶ違っているとは思うのですが、参考になればと思います。
お礼
人が動物に見えるとはすごい体験でしたね。 私とはまた違う体験ですが、そういう話は信じます。 物理的に解釈できることもあれば、できないこともあると 私は思っています。 みなさんの回答を読んでつくづく人間て不思議だな~と改めて思いました。 それにこんな情報が氾濫する世界(主にメディアが原因ですが)に生きていたら、人間なんてホント作られたものだなと思います。 回答して頂いて本当にありがとうございました。
- minimini1
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私も物心ついた時からあります。急に今自分はなんでここにいるんだろう、とか友人や母の顔をみて母、友人と名前はわかっているんですが、こんな顔だったっけ?など。不思議な感覚で1分くらいで元に戻ります。 やっぱり自分だけじゃなかったんですね、今、回答みてて勉強になりました
お礼
回答ありがとうございます。 同じように感じている方がいてうれしいです。 文字数を超えたので端折りましたが、私も母や友人の顔を見て、 名前もわかっているのですが、こんな顔だったけ?と全く同じことを 思うことがあります。昨日もありました^^; 私も本当に勉強になりました! 回答して頂いて本当にありがとうございました。
- luune21
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認知工学分野の論文で、そのような症状について書かれたものを読んだ記憶があります。 当然ですが、脳は視覚・聴覚などの感覚系と思考系・運動/反射などの運動系などとが神経系全体で密接に関連して働いています。ところが、音や光、脳内の情報伝達などのスピードはそれぞれ違います(脳は比較的に遅い)。また、左右の網膜映像も微妙にタイミングがずれています。飛行機を見て爆音が後から聞こえてくることに不思議な気持ちになることがありますよね。脳はもっとずっと細かいずれまでも常に瞬時に微調整しながら働いているわけです。 そしてこれらの一連の働きは、ある程度独立した部位が担っていることがわかってきてます。したがって、それらの部位間には「経路」というものが存在してます。 私が読んだ論文では、その「経路」に障害が生じると感覚と運動や判断の同期が狂って時間間隔がずれてしまうことがあると書かれていました。要するに自分が動いているのに景色は止まって見えるとかその逆が起きたりするということです。これが、質問者さんの件と同じかどうかは甚だ怪しいのですが、似ていると感じました。 また、この障害は健常者でも突発的/短期的に起きることがあるそうです。血栓などの血液瘤がはじけて脳細胞を刺激した際にこのような症状が現れることなどが原因のようです。これは、乗り物を運転する際などに大きな危険をもたらすことがわかっています。 まったくの素人判断ですが、突発性のものは、通常の血液サラサラ治療で予防できるものと思われます。先天的だったり恒常的だったりするようなものは専門医を訪ねられたほうがいいように思います。 この話を仲間としているときに、一人がそのような経験におぼえがあるといっていました。彼によれば、車を運転しているときに時間的に数メートル先の緩いカーブにさしかかっているはずなのに、景色はその前に見ていた商店街の景色(つまり突きあたり)のまま動いていなかったとのことでした。彼も情報工学の研究者ですが、彼自身は稲光と雷鳴のずれのような感覚遅延と理解してるようでした。
お礼
回答ありがとうございます。 認知工学という言葉を初めて聞いたので、まずその言葉の意味から調べました。難しいですね^^;luune21さんの回答も何度も読み直しました。 時間間隔のずれという物理的な解釈もあるんですね。これも自分なりには大いに納得しました。確かに私の状況によく似ています。 御友人にも稲光と雷鳴のずれ似たような経験をしている方がいらっしゃるんですね。少し安心しました^^ 原因が血液瘤がはじけて脳細胞を刺激した際に現れるとのことですが、 これに関連付けるわけではないのですが、私も亡くなった父も極度の頭痛持ちで症状もよく似ています。また父は脳梗塞が原因で亡くなりました。私も同じ脳梗塞になったらどうしようと、脳外科には定期的に行っています。いつも結果は問題なしです。 でも、私の不思議に思っている体験が、脳にも関係しているかもという発想は全くなかったので、病院の先生にはこの話をしたことがありません。1度話してみようと思います。 わかりやすく説明して頂いて本当にありがとうございました。
哲学にはまる人はそういう人が多いと思います。 中島義道さんの本 確か 哲学の教科書 にも書いてあった気がします。サルトル や ウィトゲンシュタイン などの偉大な哲学者はみんなそうだったんじゃないかと私は勝手に思っています。
お礼
回答ありがとうございます。 私は「哲学」という言葉とは全く無縁に生きてきてます。 「ソフィの世界」がベストセラーになった頃、いちお読んだ位なんです。難解なものと敬遠していました。でも、最近このカテをよく覗くのですが、詳しい方がわかりやすく説明しているのを読んで、とても感動しました。大人になった今、哲学書を読んでみようと思いました。 曖昧なモヤモヤとした悩みがずっとあって、心理学の本も読みあさりましたが答えは出ず、哲学書にヒントがあるのではないかと思い始めました。余談ばかりでごめんなさい^^; 回答して頂いて本当にありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 考えたことがなかったですが、確かに幼少の頃の記憶は言葉に表すことはできませんね。 今生きている世界が人工的なものと捉えて、私が不思議に感じる感覚が ありのままの世界というのは納得がいきました。 これは自分なりの解釈ですが、私は子供の頃からは本当に色んなことを考えすぎるくらいです。尋常じゃない位に色々な思考が頭の中に渦巻いていて、リラックスというのが全くできないんです。もちろんボーッとすることもありえません。時々パンクしそうになるんです。そんな状態を少しでも緩和する為に時々無我の境地になれるのかな・・・と、フと思いました。全く関係ないかもしれませんが^^; >>不快なことはないのでしょう? そうですね~。不快か不快でないかといえば不快かもしれません。不快というよりは「恐怖心」です。でも、子供の頃の記憶を冷静に辿ってみると、当時は「恍惚とした」という表現が当てはまるかもしれないです。それが繰り返し起こる度に、「もしかしたら自分は普通じゃないのかもと思い始めて、段々恐怖心に変わったような気がします。 ありのままの世界、真実の世界だと思えば今の恐怖心も消えるかもしれません。今度またその感覚に陥るのが少し楽しみになりました^^ とても勉強になりました。本当にありがとうございました。 (長文になってしまってごめんなさい!)