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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「日本が好き」をわかってもらうために)

マイノリティも「日本が好き」であり、マジョリティは理解するには?

このQ&Aのポイント
  • マイノリティの日本社会への愛着や考え方を紹介することが必要
  • マイノリティの「日本のアイデンティティ」や文化への特別な思いを理解する
  • ヘイト・スピーチの問題を解消するためにもマイノリティの真の姿を理解する必要がある

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  • booter
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回答No.11

再度回答します。 > 「そこに台湾系の人は絶対的に含まれません(台湾系の人々の間で生活保護の不正受給が > 団体的に活用されているのであれば話しは別ですが)。」 > それは,100%,保障できることでしょうか? 日本社会においては,「他者にたいす > るまなざし」は,非常に流動的なものです。多くの人々が「同情」してしまうときがあれ > ば,「敵意」をもつことも,考えられます。 現在での日本における「ヘイトスピーチ」なる言葉は、前にも書きました通り、日本に おいてはここ最近の社会的ムーブメントであります。だからと言って、過去において日本に おける諸外国人への差別的意識が全く無かったという訳ではありません。 但し何度も書きますが、最近のヘイトスピーチにおける「○○人は○○へ帰れ! 」という 主張は台湾人、台湾系日本人が対象ではありません。 なぜかというと、こちらも繰り返しになりますが、外国人排斥運動への根幹原因意識として 外国人の生活保護の不正受給があるからです。 日本人が頑張って、欝になって倒れて、過労死をして収めた税金が、なぜ労働をしていない 人に使われるのか・・・。そうした不公平感があるのです。 それとも、achievecharityさんを含む台湾系の人たちは生活保護の不正受給をしているので しょうか? 私はそのようなことは無いと思っているのですが・・・。 > しかしながら,その「特殊な心理構造」があるがゆえに,わたしは,日本人を「警戒」す > るときがあります。「台湾系の人は絶対的に含まれません」とあなたは書きましたが,そ > れが,たとえば日台間の領有権争いなどを理由に,「台湾は敵」,「台湾が特定アジア入 > り」などと「レッテル」をはられる「可能性」も,否定できません。 深いところまで行ってしまったので、こちらも深い回答をしたいと思います。 私は外国人の生活保護の不正受給などの生活モラルを中心に今回の運動を観察している為、 台湾系の人はこれに含まれないと考えています。そもそもヘイトスピーチが国内生活での 不平等を根源としているのに、領土問題などのナショナリズムと結合するのはスジが違います。 (ですが、悲しいかな、こうした排斥運動は熱狂的ナショナリズムと容易に結合しやすいのですが・・・) これはこれできちんと回答しておこうと思います。 そもそも民族、国民、国家とは何であるか、ということを言わねばなりません。 国家とは何でしょうか。この説明をする時に私は「国家とは富の再配分の決定機関とその 範囲のことである」と言っています。これは私が独自に編み出した言葉ではなく、他の人が 言っていたことに私のアレンジを加えたものです。 日本からすれば、敵対するか否かというのはこの決定に対して他国が反発干渉するか、 同調干渉するか、あるいは干渉しないかの違いだけです。 台湾は李登輝氏が親日だったおかげで日本人は敵対心などを持つに至りませんでしたが、 現在は馬英九氏の親中路線に基づく政策の為に尖閣諸島(釣魚島)を奪回すると称して その獲得に向かっていますね。いくら馬英九氏が大陸系台湾人、いわゆる外省人であろう とも、それは台湾人が選んだことですので、台湾の決定と見ていいでしょう。 民族とは「言語的同一性」「生活習慣的同一性」「血縁的同一性」「宗教的同一性」があり それが政治決定集団となったのが国民、それによって形成されるのが国家です。 そうした決定権の衝突が起こっているのが尖閣諸島(釣魚島)になります。 この意味において、台湾は交渉すべき「相手」でしょう。 時には意見や利害の対立から「敵」へと転ずるかもしれません。 しかしそれは国家同士の政治的な敵なのであって、個人的な心情の敵ではないのです。 しかしそこに国家の決定権を持ち出すようなのであれば、日本から疎外されてしまうことになります。 仮に「あなたの家の庭の一部は、昔は私の家のものだったのだから私の家の一部なんだ! 」 とお隣さんが言い出して、その上で尚且つ「あなたとは仲良くしたい」と言い出したら それは変ではありませんか? これは誰でも不信感を持ちます。 そもそも日本のお隣さんである台湾とは元々仲が良かったので、 私はこうした不信感が転じて完全な敵になってしまう事を恐れています。 そして日本の文化・生活面での疎外に立脚して回答をしていたのですが、 国内外の領土決定など国際政治をも含む疎外を論じたいのですか?  それであれば私は別に回答をしなければなりません。 > さらには,わたし自身は,蓮舫を評価していません。彼女は,タレントであれば,高く評 > 価されたのかもしれません。しかしながら,これは,日本の政治の特徴なのかもしれませ > ん。一部の政党のリーダーとよばれる人々によって,この国の「舵取り」がおこなわれて > いるため,「リーダー」とされる国会議員以外の人々は,事実上の,いわゆる「おかざり > 的存在」になっているからです。日本は,表向きには民主主義ですが,その実態はという > と,オリガーキーなのです。民主主義の皮をかぶった日本。多くの日本人にとっては,こ > のことを指摘すると,烈火のごとく怒りだすでしょう。しかしながら,そういう面におい > ては,日本はいまだに「13歳」なのかもしれないと,そのように思ってしまうことがあ > ります。 まあ耳が痛いですがその通りかもしれません。 民主主義によるリーダーの選出と対比し、既得権益を握る寡頭制を考えればその通りであっ たと思います。民主党政権時代は実質小沢一郎さんに全てを動かされていましたね。 現在は小泉進次郎さんがその基盤を固めつつあります。 これは残念ながらどの国も一緒です。 最初から選挙資金力が必要である為、結果としてブッシュ家やケネディ家、 クリントン家などの世襲議員が自然に形成されるアメリカもそうです。 中国も言わずもがな。 議席は公共のものであるので世襲はやめるべきと思っているのはロシアくらいじゃない でしょうか(それでもプーチン氏は帝国主義的覇権に応ずる形で長らくその頂点にいますが)。 しかし寡頭制とは言っても、無能な人が集合する世襲的な寡頭制ではなく、大阪市長の橋下 さんがいる通り、それは一部の人間が既得権益として世襲で握っているわけではありません。 日本には奴隷同然で売り払われてその後首相になった高橋是清なんて人もいます。 でもまあこれで上手く回っているならこれでいいと思います。 逆に13歳以上の国を教えて戴ければと思います。 少し非難しますが、そこに台湾や中国は入っていますか?  > 「日本に住む権利を得るのであれば、日本に住む義務を果たしてくれる人を受け入れたい > のです。コミュニティを破壊せず、そして社会を構成する一人として仕事を果たしてくれ > る人を。」この意見にたいしては,日本人が,いわゆる純日本人が,どれだけ外国出身者 > にたいして「心を開けるか」がカギになると思います。 > このようなケースにおいては,とくに,マジョリティである,いわゆる純日本人の,いわ > ゆる「器の大きさ」が試されてしまいがちです。 ・・・。 書き方の違い、文化的差異なのでしょうが、少し引っかかったので書きます。 例えば日本に来られる外国人に対しては、別にこちらが頭を下げて「お願いしますから来て 下さい」と言っている訳ではありません。別にいたいならいてもいいんじゃないかな、くら いのスタンスなのですが、人として対等であるはずの我々において、なぜ日本人の一方だけ が「心を開く」という労力を使わなければならないのでしょうか?  家にお客さんが来た時に、お客さんは「まあお気遣い無く」と謙遜してサービスを受け取る のを拒否するのが日本においての普通であり、礼儀なのですが、それを「さあもてなせ」と 言わんばかりのお客さんは逆に追い出されます。追い出されなくとも嫌がられます。 「「心を開けるか」がカギになると思います。」というのは飽くまで要人に来て欲しい場合 のみに日本人が実施するサービスになります。それを上から目線で強要しているような文章に なっておりますので、強要している訳ではない、という前提で話しを進めます。 > このような「経験」を語るにあたっては,それが「ほんとうに起きたこと」であることを > ,そのままのかたちで,理解してもらいたいのです。「ウソだろう!」などということを > ,言わないでほしいのです。 了解しました。 > 「台湾人は台湾に帰れなどと日本人に言われましたか? 私には信じられません。」とい > う,あなたのコメントにたいしては, > (1)「お前が日本人ならば,その日本人の「血」,ここで俺に見せろ!」 > (2)「あいつの親って,どっか,おかしいよね?」 > (3)「(アフリカの先住民族の写真をわたしに見せて)お前の親って,こういうヤツだ > ろ!」 > わたし自身,そのほかにも,いろいろと,「悪いイメージ」をふっかけられたのですが, > それであっても,できるだけ,台湾系のアイデンティティは壊さないように,心がけたも > のです。しかしながら,「言葉」を失くしたことは,日本教育時代の「怨み」でもありま > すが。 そうだったのですね。デリカシーの無いことを聞いてしまったのかもしれません。 お詫び申し上げます。 台湾系であるあなたがそうした体験をしてきたことについては、その主張において私はそのようなことがあることを理解しました。

noname#181693
質問者

お礼

再度のコメント,ありがとうございます。 あなたは,現在の台湾社会が「中国大陸寄り」であるという指摘をされましたが,日本社会においても,長らく,「中国大陸寄り」の姿勢がみられます。たとえば,経済活動における「中国大陸重視。」これについては,台湾についても,同様の「状況」がみられるほか,西洋史においては,長らく,中国大陸が「経済的なチャンスの場」であるとされたことと同様に,日本と台湾,両国も,中国大陸において,何らかの「経済的なチャンス」をうかがっていることは,確かなことです。その「証左」とでもいうべきことでしょうか,先日まで,在北京の日本大使に就任した人物が,中国大陸との「つながり」の強い商社の経営でした。(現在はその職をまっとうしましたが。)つまり,あなたが「指摘」されたところの,いわゆる「経済的な面における親中路線」については,日本においても,台湾においても,同様の傾向がみられます。 そして,日本社会においては,「マスコミ」の「中国大陸にたいする特殊な態度」が存在します。いくつかの,いわゆる大新聞とされるマスコミのなかには,やたらと中国大陸のことを「ヨイショ」する傾向にあります。経済的な利益などとの関係がありますので,「日本人の言い分」,「日本の事情」は,わたし自身は,わたしなりの「理解」をしています。しかしながら,ひとりの台湾系日本人として,このような傾向は「過剰である」と言わざるをえません。いったい,日本人,とりわけ,いわゆる純日本人は,台湾人,そして,台湾に「つながり」をもつ人々を「真の友達」として認識しているのでしょうか? また,わたし自身の「国家観」ではありますが,「富の分配」という点においては,わたしは,あなたの考えに異論はありません。 しかしながら,国家というものは「劇薬のようなもの」であり,言葉は悪いのですが,ある国会議員の発言のとおり,「暴力装置」的な存在であると,わたしは受けとめています。そして,市民は国家を厳しい眼で監視することが,市民の責務であると,わたしはそのように認識しています。国家とは,ある種の「必要悪」のようなものである,なぜならば,国家の「特権」には,「不誠実さ」が存在するからです。日本のケースでいえば,水俣病問題,ハンセン病問題,東京大空襲訴訟などの社会の諸問題にたいする,日本政府の「不誠実さ」がわかりやすい例だと思います。(それが,アメリカにおいては,1970年代後半におこなわれた,日系人の強制収容にたいする,集団国家賠償請求訴訟が良い例です。)ただし,わたし自身,国民国家というシステムについては,「否定」しません。それに代わるシステムが見つかるまでは,国民国家という「ルール」を,一応,守っておきましょう,という認識をもっています。 今回のわたし自身の「質問」にかんしては,政治や経済のこととは,強い関係にあるわけではありませんので,本題にうつります。 「例えば日本に来られる外国人に対しては、別にこちらが頭を下げて「お願いしますから来て下さい」と言っている訳ではありません。別にいたいならいてもいいんじゃないかな、くらいのスタンスなのですが、人として対等であるはずの我々において、なぜ日本人の一方だけが「心を開く」という労力を使わなければならないのでしょうか? 」 わたし自身は,親が国際結婚をしたということもあって,日本社会において多くの外国出身者が来日したことの,ひとつの主たる理由には,「いわゆる純日本人男性の国際結婚」があると考えています。「いわゆる純日本人男性の国際結婚」については,その理由を論じることが,長らく,「タブーのようなもの」とされました。 ひとつの社会的な背景には,「いわゆる純日本人女性の,いわゆる純日本人男性にたいする期待の高さ」があったことが指摘されています。そのため,いわゆる婚期をのがしてしまった,いわゆる純日本人男性にとっては,いわゆる純日本人との結婚が「不可能」であるとされた,とも論じられました。 「結婚がしたい!」 そういった社会的な事情があったので,いわゆる純日本人の男性の多くが,台湾,朝鮮半島,中国大陸,フィリピン,タイなど,東アジア,東南アジアの諸国に足を運び,「お嫁さん」を見つけました。このような国際結婚の形態は,いわゆる「ジャパン・マネー」を使ったものであり,日本非難の種にもなりました。しかしながら,結婚をしたいという人々にとっては,「切実な問題」でした。外国の人々でもよいから,結婚をして,家族をもちたい。これは,誰もが理解できることです。 いわゆる純日本人男性が結婚できるようにするためにも,日本社会が外国出身者を受けいれる必要があったこと,そして,日本のほうから,「結婚相手を探しているので,日本に来てください」ということになったと,わたしは受けとめています。ですから,日本人のほうが,彼ら,彼女らを「受けいれる」ための「努力」が必要であると,わたしはつねに主張しているのです。 もちろん,わたしのように,外国につながるという立場としての「責務」なり,「努力」は存在します。それが,わたし自身のケースにおいては,「日本史の勉強」,「日本語の理解」,さらには,わたし自身のことですが,それが「飛躍」して,「日系人の歴史の勉強」も,わたしは積極的にとりくんでいます。「日本のアイデンティティ」を分かちあっているという立場としての「責務―積極的な日本理解と,日本人の,日本社会の味方(あるいは,代弁者)になること(わたしなりの解釈ですが)」を,わたしは果たしていると,そのように受けとめています。 なぜ,わたし自身が,みずからの「日本のアイデンティティ」を「強調」するのか,それは,わたし自身が,家庭のなかでは「水餃子」,「台湾風ちまき」,「炒めたビーフン」を口にしているけれども,メインストリームの日本社会のなかでは,日本人とともに働き,日本人とともに活きて,日本語を話し,炊きたてのご飯とお味噌汁に舌鼓を打ち,日本の習慣や風習を実践しているからです。 いわゆる「内―日台が混合した空間」と「外―ホスト社会であり,メインストリームの日本社会」では,ちょっとした「違い」があるけれども,それでも,わたしは「日本のアイデンティティを大切にしている」,そして,このようなことは,ほかの,マイノリティの人々にも当てはまるんだということを,わたしは「伝えたい」のです。

その他の回答 (11)

noname#185504
noname#185504
回答No.1

日本と周辺国との間には、政治体制、軍事、領土、歴史認識など厄介な火種を抱えています。そして、尚のこと、問題を複雑にしているのは、日本が日本人による憲法を持っていないことです。国家として自前のルールを持たなければ、安心して外国人を受け入れる体制とはなりません。移民の受け入れには、共産主義の禁止、日本人としての権利の確立と移民の条件、軍隊や核兵器の保持などの憲法改正による、日本人と外国人とのしっかりとした位置づけが必要だと思います。現状の異国出身のマイノリティについては、ほとんどの日本人にとっては普段目にすることが無く交流もありませんので、お互いを理解するための機会・イベントなどを積極的に作っていくことが必要だと思います。なお、ヘイトスピーチなどは、ごくごく一部の異端の人間によるものですので、これは、取り締まることもできると思いますが、少数の異端的人間というのは無くならないと思います。

noname#181693
質問者

補足

「日本が日本人による憲法を持っていないこと」という指摘にかんしては,現在の憲法が,いわゆる「押し付け憲法」であるという「前提」があると,わたしは考えます。おそらくは,あなたはその「前提」を支持しているのでしょう。しかしながら,現在の憲法が,ほんとうの意味において「押し付け憲法」なのでしょうか? そのことを,精査する必要があります。ゼノフォビックなメンタリティによって,憲法のこともふくめて,なんでもかんでも「ガイジンのせいだ!」などと決めつけることはできません。 「国家として自前のルールを持たなければ、安心して外国人を受け入れる体制とはなりません。」この指摘にかんしては,日本社会ではすでに問題となっています。その著名な例こそ,「カルデロン一家の悲劇」でしょう。この一件にかんしては,「排外主義丸出しの純日本人」が多かったことは,非常に残念なことでした。さらには,タチの悪いのは,「遵法意識の高い、純日本人」でしょう。日本人は,悪い意味において,「遵法意識が高い」といえるでしょう。悪法は「粉砕」すべきであり,「悪法であっても,それにひれ伏す」ことが正義ではありません。 「現状の異国出身のマイノリティについては、ほとんどの日本人にとっては普段目にすることが無く交流もありませんので、お互いを理解するための機会・イベントなどを積極的に作っていくことが必要だと思います。」この指摘にかんしては,「うわべだけの国際交流」にならないことに,細心の注意を払うべきです。良い指摘だとおもいます。 「ヘイトスピーチなどは、ごくごく一部の異端の人間によるもの」この指摘については,「ごくごく一部の人間によるもの」と決めつけることはできますか? 多くの純日本人にとっては,「不快なもの」であることがわかっていても,「排外主義のメンタリティ」は,誰もが持っているものだと,わたしは考えます。

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