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日本が嫌いな人間の「正体」とは,日本人!?

日本人のアイデンティティを分かちあっている人々が,みずからのアイデンティティに「向きあう」ことはありますか? 参考までに: 「半分しか日本人じゃないけど,それでも,わたしは日本人。」 日本教育時代,わたしは,強く意識することはなかったけれども,「日本」というものが,わたしのなかに宿っていることを,知っていました。 台湾系日本人という,特殊なバックグラウンドをもっていることから,わたし自身は,家庭というバイカルチャーの空間と,日本社会(たとえば,日本教育などに代表される)という,モノカルチャーの空間を,行き来するための「術」というものを,身につけなければなりませんでした。わたしなりの,「ショセイジュツ」のようなものでもありました。 そして,幸運にも,アメリカで教育を受けるチャンスにめぐまれ,アメリカ時代を経て,みずからの台湾と,日本のアイデンティティを肯定的に受けとめることができました。日本教育時代,わたしは,正直なところ,みずからの日本のアイデンティティを歓迎したくなかった時期がありました。それは,日本が悪いとかではなく,日本社会の閉鎖性というものの影響もあったのですが,大きな問題としては,当時の日本教育が,いわゆる「管理教育的な空気」であったからです。こういった,「特殊な空気」によって,「日本を嫌いになる日本人」がつくられるのではないかと,そのようにおもったときもありました。 日本事情について論じるにあたっては,「日本が嫌いな日本人」という「面白い考え方」があります。日本社会には,いろいろな理由があって,「日本」が嫌いで,「日本」を貶めたい,そのようなものの見方をする日本人がいる,という主張です。そういった主張がされるたびに,なぜか,外国につながる人々や,外国出身者が,「スケープゴート」にされます。ひとりの台湾系日本人として,外国につながりをもつ日本人として,みずからの民族的出自を理由に,「スケープゴート」にされることは,許しがたいことです。 「日本が嫌いな日本人」という「面白い考え方」について考えるとき,わたしは,これまでの日本の社会制度や,日本社会における人間関係のあり方にこそ,「問題」なり「病巣」があると考えます。外国出身者とか,外国につながりをもつ人々のせいで,日本社会がおかしくなったのではなく,日本人の「心の構造」にこそ,「日本が貶められているという言説」にかんする「ヒント」があると,わたしはおもいます。 わたし自身は,「半分しか日本人」ではないけれども,日本は好きです。そして,「日本が嫌いな日本人」をみるたびに,不思議に思うことは,「みずからの首を絞めるのが大好きな日本人」という,「異常な姿」です。これについては,日本社会の「問題」とは,その原因というものが,「みずからの首を絞めるのが大好きな日本人」という,「日本人の問題」がその根幹にあると,わたしはおもいます。 ある著名な作家が,“「反日」日本人”,という「興味深い考え方」を紹介しましたが,このような「問題」については,外国がどうのこうの…,ではなく,「日本人が日本人(日本)と向きあっているか否か?」こそ,大きな「ヒント」であると,わたしはおもいます。 わたし自身は,「半分しか日本人」ではないけれども,このような,「ゆがんだ精神性」を日本人がもっていることについては,「とても残念なこと」です。

みんなの回答

noname#185504
noname#185504
回答No.1

アイデントするためには、比較するものが必要です。ほとんど日本人しかいない日本の中で、日本人がアイデンティティと向き合う必要性は、ほとんどありません。 貴方が、日本の文化を非常に嫌っている事は良く分かりましたが、日本人は、決して日本が嫌いではありません。その証拠に、日本人は日本を出たがりません。むしろ、世界中へ出たがっている中国人こそ「中国が嫌いな中国人」であり「とても残念なこと」であり「病巣」がある証拠であります。 日本人は、戦術に溺れる事のない戦略的な国民なのです。雄叫び国家の中国とは違い、ストレートではありませんが、自省のないところに「改善」は生まれません。「カイゼン」は日本が誇るべき輸出ワードであります。

noname#181693
質問者

補足

「「カイゼン」は日本が誇るべき輸出ワード」 では,日本社会は「カイゼン」されていますか?