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鬱を抱えながら困難を乗り越える?
- 鬱病を抱えながら困難を乗り越えるべきか悩んでいる人へのアドバイス
- 鬱病で困難を乗り越えるためには自己ケアとサポートの両方が重要
- 鬱病を抱えながらも自分自身を大切にすることが必要
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質問者が選んだベストアンサー
貴方の体調、思い詰めた気持ち、全て心労から来ているもの。 心労が度を超えると、抑うつから欝へと、欝になっても寛解が出来ればですが、寛解は自然治癒というように自身で寛解していく。 文面を拝見している限りでは、最も要点である貴方を取り巻く環境が芳しくありませんね。 それと過去の出来事が、ずーっと尾を引いている状態が頭から離れない等、ご心中は察します。 でも、貴方としては、嫌な思い出を忌避させるよう地元を離れたり、ご自身なりに行動されていることは、直感的に、どのようにしていくかの実行性があるのです。 ここに気づくべきです。 もがいて、我慢して辛い会社での飼い殺しで人生を送る方、辛いことを回避する為に転々とする方、日本って国は、国民意識は前者を賛美して、後者を良くない目で見る傾向が、内面に残っているのです。 しかし、前者って健康にも良くないし、昔はストレスで、あっさり片付けられていたが、潜在的に蝕んでいることに気がつかないのですね。 まあ、悲しいかなボヤキにしかならないのですが。 さて、貴方の体調も医師との相談もありですが、今後、貴方が、どう在りたい、どのようにして行きたい、ということを難しく考えないことで、漠然としてでも良いので再考してみては如何ですか。 勿論、考える気が出た時です。 貴方の考え方があさはか、なんて言えません、過去のご苦行や今の大変さも伝わりますから。 <<過呼吸で倒れるまで、頑張れば納得して許してもらえるかと思ったりもします。 健康な方が貴方と同じ目線になれますか? 無理しても何も得ないですよ。 <<毎日、自殺があたまをかすめてとてもつらいです。 じゃあ、どうしたら自殺をしなくて済むのかを簡単にまとめましょう。 かなり心身がお疲れの様です。 上述の通り、貴方の隠れている長所に何か気付きませんか? 苦労を乗り越えた自分が今ここに居る、ということも併せて考えてみては、過去の経験からも何か学べるものだってあります。 特に、苦労されてこられた方程、体感しているのですよ、経験されているのですよ、ただ、その時には、辛い、嫌だ、という気持ちが先行していて何も考えることすら出来ない、だから一度振り返ってみるのです。 過去を振り返るのは、お辛いことでしょうが、過去は所詮過去なのですから。 どこかで断ち切ることも必要です、これを過去を振り返り精算するということなのです。 そこから見えてきたものを今後に活かせれば尚良いと思います。 とにかく、今は心の休息の期間かも知れません。
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- d194456
- ベストアンサー率27% (423/1524)
メルマガの紹介は禁止されていますので、写したものを紹介します。 藤吉郎の眉間注視法 *~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~* (1) 読者からの手紙 「上司の意地悪」 今、人生の窮地に立たされています。 職場の上司に嫌いなひとがいます。意地悪されています。 相手の邪気から身を守るにはどの様にすればよろしいでしょう か。 ここを何とか乗り越えたいと悩んでいます。 もし、よいお知恵がありましたら、よろしくお願いいたします。 滋賀県 ○○よし子さん よくある対人関係の話ですね。 解決方法は三つ。 一つは、ストレスを受け流す強い自分をつくる、クンバハカ。 二つ目は、どう相手を同化かするか。長所を見つける 眉間 注視法。 もうひとつは、三十六計、 逃げるにしかず。 避けて通れ れば、それに越すことはありませんが、共同して生活している 以上は、どうしても避けて通れないことが多いです。ですから、 まず逃げることはできませんね。 (2) ストレスを受け流す クンバハカ法 これは、自分の心と身体を強くする方法です。すごく効果が あります。 『お尻の穴を締めます。』 といっても、始めはなんのことか、わかりませんね。 クンバハカは、天風先生の造語です。ヨガでは息を止めること を、クンバカといいます。強いストレスを受けても、衝撃とし て受けません。心や身体を動かす神経を守る、強いバリヤーが できます。防弾チョッキを着たようになります。 クンバハカの要点は、 1.肛門を締め上げ 2.肩の力を抜き 3.下腹に気をこめ、 4.緊急時にはグット息を止める これらを同時にやります。初心のうちは確実に行うのは難しい ですが、とにかくやってみましょう。実践あるのみです。 それに 「手の小指を締めれば、肛門が締まり、肩の力が抜け、 足の親指を締めると、自然に下腹に気がこもる」 というコツを、天風先生は教えられました。このコツを体得し ましたら、虚心平気の体勢をいつでも堅持できるようになりま した。 基本のやり方は、前にも何度も説明しました。何度でも繰り 返しましょう。 職場の嫌いな上司の意地悪を感じたら、すかさず、クンバハ カ。1~3(できれば4まで)さっとやります。意地悪でも、 意地悪と感じなくなります。不思議です。全身のストレスが消 えます。心は安らかになり、春風のようにさわやか、虚心平気 です。体がどのようにでも反応できる状態になります。いわゆ る、肚ができた状態です。 クンバハカの効き目を自分で確認する方法に、いいものがあ ります。トイレのウオシュレットです。冷たい水をお尻にかけ て見ましょう。お尻の穴を締めたり、ゆるめたりします。どの 様に違うか、ご自分で体験しましょう。百聞は実行にしかずで す。 (3) 長所を見つける 積極的な心 人生は心一つの置きどころ。 『健康も運命も、心の持ち方一つで決まるんだ。』 というのが天風先生は教えです。 『なんだか胃の周辺が痛むが、胃潰瘍じゃないかしらん、それ とも胃ガンかなと思っていると、その通りになってしまうぞ。』 意地悪、意地悪と心を痛めつけていますと、いつの間にか、 意地悪が本当になります。嫌だなあという気持ちになると、何 んとなく、顔に出ます。相手も微妙に感じますね。以心伝心と いう奴です。相手もなんとなく、気の合わない嫌な奴と思うよ うになります。これを鏡の原理といいます。職場の中で、しか も上司では、逃げ場がないですね。自分が変わるのは、相手な しでできますから、簡単です。 じゃあ、どうすればいいかって? 一番いい方法は、相手のいいところを一つ見つけることです。 どこかに一つ位、何か長所があります。鬼のように仕事に忠実 だとか、融通がきかないだとか、ミスをえげつなく指摘すると か。どちらかというと、みんな気にさわる嫌な部類ですね。 でもホントにそうでしょうか? 早く仕事に慣れてもらうよう、指導にちょっと、熱がはいって るんかも知れません。口のきき方が、ぶっきら坊で、傷つきや すい乙女ごころ(?)が騒いでいるだけかも、知れませんね。 悪人ばっかりのひとって、そういません。 一つ良い点が見つかったら、その一つに目を集中します。 不思議に他の欠点が見えくなります。消極から積極的な心に、 転換するいい方法です。 私たちの住んでるこの世のなかには、消極的なものが多いで すね。 「寒おすなあ。」とか。暑いときには、 「暑おすなあ。」 これは京都の挨拶です。大阪に行きますと、 「儲かってまっか?」 「あきまへん。ぼちぼちでんなあ。」 これで店の裏に蔵が建ってます。 京都も春は哲学の道、桜見物に行きました。 「桜きれいでした。」 「今晩雨降ったら、みんな、散りますわ!!」 みなさん、悪意はありませんけど、みんな消極的に言ってま すね。 気い、つけやっしゃ!! 消極的な言葉はあきまへん。 一点集中、積極的な心でゆきましょう。 (4) 敵をもを味方にする 秘訣 積極的な心ができますと、敵をも味方にできます。敵をもを 味方にするもう一が眉間注視法です。クンバハカしながら、と きどき相手の眉間を見ます。正確には第三の目。両眉の間のチ ョッと上、指を滑らせてゆくと、筋のような凹みがありますね 。そこです。そこは心の窓とも、第三の窓ともいいます。阿弥 陀さんの額にボチあります、あそこです。ジーッと見詰めると、 目がかち合いますから、ときどき、チラ、チラでいいです。 怒っている相手でも、嫌なお客さんに会うときでも、また警 察で取り調べを受けるようなときにも、試みるといい結果がえ られます。怖いもの、なくなりますから。 職場の嫌な上司にもどりましょう。 三つの知恵を授けましたから、もう心配しないですね。さあ、 よし子さん、上司に呼びつけられて、怒られています。 とにかく話を聞きます。相手を否定しない、もちろん肯定同 調はしません。何を言いたくて、ウダウダ言ってるのか・・・ 真意を平静にききます。 クンバハカしていると、嫌なことは後ろにスッスッと抜けます。 相手・・そのうち言い終わりますね、どんな人でも。 誰でも、相手が聞いててくれれば、満足しますよ。 (相手の言い分は、相手にとっては、100%正しい?) (コイツ俺の言うこと聞いてくれたな、理解したようだと安 心して心開きます・・・・ じゃあ、お前の言い分も聞いて やろうか・・という気持ちに変わります) そこで、自分に言いたいことが残っているなら、 「さらには、こういうことも考えられますねぇ・・・」と、 相手の眉間を優しく、優しく見ながら、自分の意見をいいます。 自分の波動と相手の波動と共鳴します。 (5) 藤吉郎の眉間注視法 草履取り藤吉郎は、寒い冬の晩、主人の信長が出てくるのを 、外でまっています。 話をおえて、足早にやってきた信長、草履に足をのせた途端、 「うぬ、草履を尻の下に敷いておったな!!」 勘筋をたてて、怒ります。 「いいえ、懐で温めていました。」 間髪をいれずに言いました。藤吉郎は信長の眉間を注視して、 咄嗟に返答しました。 この一言で、信長はイチコロでした。 この返答がなかったら、おそらく 藤吉郎の首は即座に飛んで いたでしょうし、後の太閤さんはなかったでしょうねえ。瞬時 の眉間注視法でした。 (メルマガはここまでです) 医大の教授が自身がうつ病に罹った時に、毎日の仕事を休む訳にもいかず、 「必ず良くなる!全て良くなる!」と四六時中呟き続けたそうです。 「病、気にしない!」と四六時中呟き続けてウツ病を克服した裁判の判事もいました。 あなたなら克服できますよ。
お礼
有難うございます。私は人の長所をみつけるというのが苦手なので(下手なので)できるかどうかわかりませんが、なんとかやってみます。ただ、現状は殺さんとばかりに睨まれていますので・・・。
- Gusdrums
- ベストアンサー率39% (699/1787)
早速のお礼、有難うございました。 貴方のお礼から又、回答したくなったので、お疲れのところ失礼します。 お母様のご逝去は、ご自身の人生にとって本当に心を痛められたことと痛感致します。 前の回答で私は過去を振り返り精算するもの、と表記しましたが、一切葬るということでないことだけは理解して下さい。 これらは、ご自身が自由に葬りたいものを葬り、心の中に閉まっておく大切なものは、永遠に残しておくことなのです。 お父様とのご関係は、よく理解できました。 全てお父様を否定することは出来ませんが、中高生が自殺することは、現状が辛すぎて自ら死を選択するしか出来ない追い詰められた果ての行動なのです。 勿論、親や他・親族達には迷惑を掛けることは事実ですが。 それなら大人が評論しているだけでなく、子供ともっと向き合うべきなのです。 私の子供達も引きこもりです。 妻とも別居しています。 虐められた親の家に、ド仕込み大喧嘩もしましたが、私の行動が度を超えて、更に引きこもりは悪化しました、情けない親ですよ、感情のまま行ってしまったことに後悔が残っただけです。 すみません、私の話題で。 さて、貴方の方ですが、自発的に動くといった思考があります。 ご自身が、進むべき方向性をまだ失って無いということなのです。 過去の辛かったことや、お母様の無念さを噛み締め、進んで欲しい。 泣きたかったら、思いっきり泣けば良いのですよ、そして泣きながら心が少しでも澄んで行く自分をて感じて下さい。 お母様の為に、自分の為に、です。 捧げるとした意識も含めてです。 次に自然を感じて下さい、上手くは言えませんが、自然って大きなパワーを持っているものを意識して下さい。 私は、子供達と定期的に合っていますが、子供達の精神が健全でないことと、私の心労を少しでも緩和する為、今までは行かなかった、子供達の氏神(神社)に定期的に出向きます。 そこの一番大きな大木に触って、パワーを頂くことを意識しています。 実は仕事にも行き詰まっていて転職もしました、しかし、転職先もまだ慣れずに、もう一社、私に気を留めてくれた会社に変わるか悩んでいます。 収入はガタ落ちですが。 人って弱いものですよ、誰でも気分の安息を求めたいのに現実は残酷なのです。 人が支配する社会だからです。 でも、苦労や苦悩といった経験を乗り越えたことは、必ず、ご自身の糧になります。 会社も貴方に対する理解が欠如していた、貴方は純粋だ。 文面だって卓越した綺麗な文章が記載できる、それも解りやすく表現されている。 貴方と同じや酷似した境遇の方々なら、必ず貴方を受け入れてくれる。 心配は要りません、その様な純粋で良識のある方々は結構います。 今は、心の休息の時期と前にも記載しました通りです。 深く考えすぎない、少しずつ問題を回避するというより、緩和していくという考え、自分に甘くではなく、優しく、自分を愛おしく思う心なのです。 お母様がくれた貴方の身ですから、心身共に大切に労わるのです。 これが自愛というものなのです。 自愛は、自身を救うことが出来るのです。 失礼しました。
お礼
たくさんのメッセージありがとうございます。 私は独身ですから子供を持つ親の気持ちや妻のいる気持ちがわからないので、精神的に不安定で成熟していないのかなと思ったりもしています。 結婚していないのは、結婚できなかったというのか婚期を逃したというのか、そんなところです。 私は(無責任かもしれませんが)回答者さんのことを情けない親だとは思いません。私というどこの誰かも分からない人間にこれほどいろいろなメッセージをよせてくれるのですから。 お子さんもいつか立ち上がってくれると陰ながら祈っております。 この7年近くは千葉・横浜に住んでいました。その頃は完全でなくともなんとか順調でした。最後は体調を崩してしまいましたが。 ・・・そういえば最近、泣くという感情表現すらしていなかったと思います。以前は結構映画やドラマをみて泣いたり、仕事がうまくいかず悔し泣きをすることもあったのですが。 海に行ったり花見をしたり自然も感じていたなあと思います。 人生はどこかでボタンを掛け違えると今の私のようになってしまうんでしょう。 ちなみに私が子供の頃受けたいじめというのは、小学生の頃成長が早かったものですから、そのことでいろいろと容姿のことで馬鹿にされ続けていました。そんなことが4年近く続きました。 私も人が支配する社会だから、人は怖くもあり愛おしくもあると思います。 私は自虐的になりすぎてしまいますので、すぐにはできないかもしれませんが自愛できるようにしてみます。
- i-am-you
- ベストアンサー率26% (42/156)
色々な悩みがあるようなので、 いくつかを1つずつ聞かせて頂きたいです。〔すみません、私のスペック不足のため・・・一気に全部のお答えってゆう事ができませんでした><〕 まず、 質問者さんは何のために働かれていらっしゃるのでしょうか?
お礼
ありがとうございます。たぶん今は休職した罰だと思いながら働いています。刑期はもう5か月目に入りましたので、そろそろ許してもらえないだろうか。そんなふうに思っています。 お金を稼ぐためにとか、自己実現のためにとか、そんな一般的なことのためではないように思います。 周囲からは奇異な目でみられているのをわかっているだけにつらいです。 これまで働いた会社のなかでいちばんつらいです。
- d194456
- ベストアンサー率27% (423/1524)
> 過呼吸で倒れるまで、頑張れば納得して許してもらえるかと思ったりもします。 40年ほど前には、女子高校生が「失神ゴッコ」の遊びで、倒れては、面白がっていました。 上席の方や社長は、そういう遊びが流行ったことを知っているのではありませんか。 逆効果だと思います。注意ください。
お礼
ありがとうございます。 そのような遊びは知りませんでした。 ある部長は明らかに私に辞めて欲しいようです。先日「存在感がないんだよ!」と罵られました。社長は私が出勤してくると基本無視して睨み付けてきます。殺されるのではないかと思います。 最終出勤日がもし来るならば、どれだけの罵倒が待っているのか考えると怖くて仕方ありません。
- u-lily
- ベストアンサー率41% (307/746)
>医師とも相談して退職して入院を考えています。 医師の判断もその方向であるなら、そうするべきかと思います。 一線を越えてしまっては遅いのです。 残念ながら鬱に対する世間の理解は未だに整っていません。 私の知り合いも、鬱で休職後、本来であれば少しずつ日常業務に慣らしていくべきところ、いきなりの新規プロジェクトの責任者を押し付けられ、精神的に対応できずギリギリで退職することとなりました。 病院にも何度か行きましたが、そのとき通っていた病院の医師との相性が悪く、治癒には時間がかかってしまいました。 今通っているお医者さんとの相性がよいのであれば、一度じっくりと休んで、心が砕けきらないうちに治療に専念する方が、結果的に早期に社会復帰できると思いますよ。 お大事に。
お礼
ありがとうございます。 確かに鬱に対する理解はあまりないように思います。 今の会社は特にメンタルヘルスに関してあまり認識がないように思います。 私の場合は仕事はたいした内容ではないのですが、引き継ぎをまともにやってもらえない(わからないのを知っていて適当な教え方しかしない)という嫌がらせを受けています。おそらく鬱で休んだ私への報復のように思います。おそらくこの方も私を辞めさせようとしているのはなんとなく感じます。 こういうことが重なるので精神的にも追い詰められてしまいます。 上司の方は良い方ではあるのですが、辞めたいというはなしをすると説教をしてなんとか辞めないようにとされるので困っています。 今の生活は逃げ場がなくて本当につらいです。
お礼
たくさんの助言ありがとうございます。 私が鬱を最初に発病したのは母親が亡くなってからでした。その時は厳密にはパニック障害でした。母親も亡くなる前は鬱状態になっていました。私は当時千葉で働いていましたが、帰省した際に母親の様子がおかしいとすぐに気づきました。しかし、父親は仕事がやはりいちばん重要なことだったようです。父はまじめな人ですが、私とは考えや価値観が異なります。仕事と節約を美徳とし世間体を何より大切にしています。 価値観の違いを大きく感じたのは、最近中高生の自殺のニュースをみて理由がわからないと父は言います。親や先生に迷惑をかけることを考えたら自殺なんてできない。そう言い放つのです。父は他人からは人格者と評価されます。でも、私や母にとっては笑顔になれない相手でした。もの心ついたころから母が父の前で心からの笑顔をみせたことはありません。 母は祖母からも強烈ないじめを受けていましたから、50年も生きずに亡くなったことを今でも可哀相に思うのです。何か助けてあげれなかったのかと今でも後悔します。 地元に居ないことでこれまである意味転地療法になっていたのかもしれません。 何より母親の死を直視しなくてもよかったから気持ちが楽だったのかもしれません。 前の会社は辞めたくありませんでした。しかしパニック障害を再発しやむなく退職に追い込まれました。大丈夫かと思って地元に戻りましたが、結局うまくいきませんでした。 今後はしばらく入院して、実家から離れてやり直したいと思います。経済的にはきついですが・・・。その方が、過去と決別できるような気がするのです。今の私に自分の長所は少しみつけづらいですが、苦労してきたことを長所に転化できればとも思います。