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日本の鬼と妖怪の正体は?
日本各地にある「鬼伝説」や「妖怪伝説」は実は伝説ではなく本当の話ではないのでしょうか? 鬼や妖怪の正体は実は人間でしかも外国人と考えている人はいませんか? 江戸時代以前の日本に勝手に入り込んだ外国人が日本人を襲い農作物を荒らし、物を盗んで食い繋ぎ日本に住み着いていた。 鬼は外見と体格的に西洋人、特に距離的に日本に来易かったロシア人、その他妖怪は中国人や朝鮮人等の日本近辺のアジア人。 鬼や妖怪の古い絵が現代にも残されていますが当時の人が日本で悪行を犯す外国人を風刺した絵ではないのでしょうか? 皆さんは鬼や妖怪の外国人節をどう思いますか?
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そうした理解はかなり昔からあります。けれども「外国人」の意味は「自分達とは違う文化や生活様式を営む者」との意味であって、現代で使われている「他国の人」「海外の人」と限定されているわけではありません。 奈良盆地から見ての異国は出雲や吉備そして筑紫や蝦夷などの遠方の地でもある。だから記紀や続紀をはじめ風土記などには「鬼」を「於爾」などとも記しています。「異形の輩」だから物の怪に見えたり喩えたりしてしまう。 かと思えば一方には『道成寺』や安珍清姫伝説に見られる「女の業の凄まじさ」などもあって、一概に外国人だから妖怪や物の怪の姿として描かれているとも限らない。 「異形」との意味から言えば、海で漁労を営む民を、「初めて」農民が目にしたらどの様な印象を受けるだろう。魏志倭人伝に記されている「男子皆黥面文身以其文左右大小別尊之差」からは、日焼けした肉体に入れ墨をした男達の姿が綴られている。海の神に対する畏怖や畏敬の念がそうさせたのかもしれないが、陸の民からすれば海で日焼けし逞しい全裸に入れ墨が彫られている姿は鬼に見えるのかもしれない。 今でもラグビーの本場、ニュージーランドではテストマッチの度に伝統的なウォークライを捧げる。中には入れ墨を入れたプレイヤーの姿もあって、彼らが海洋の民の末裔であることも強く印象づけられる。 結論として >当時の人が日本で悪行を犯す外国人を風刺した絵 というよりも、「初めて目にした異文化に対するカルチャーショック」というところが妥当であろう。
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- since_1968
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>皆さんは鬼や妖怪の外国人節をどう思いますか? その可能性はあるかもしれませんが、夢がないですね。 鬼や妖怪が実在して、昔の人には見えたが現代人には見えなくなったと思った方が面白くないですか 座敷童がいるとか、河童がいるとかの方が、あれは外国人を間違えただけだというより面白いし楽しいけどね
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- mekuriya
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はい、私も大筋でそう考えています。古代、日本列島が統一されていなかった時代、日本人の安寧な生活を脅かした異形の外国人がいた筈です。たまたま日本列島に漂着して無人島に住み着いてしまった外国人もいたでしょう。 そういう外国人は古代の日本人に恐れられ、軽蔑されたことは疑いありません。文字の無い時代にそういう外国人がまるで化け物みたいに散々なイメージで語り継がれた筈です。 そうした外国人が絶えて何百年も経ってしまうと語り継がれたイメージだけが残って、誰一人も当時の実相を知らないといったことになります。言葉だけが残るが、誰もその正体を知らないといったことになります。 古代日本には土蜘蛛と呼ばれた異文化集団がいました。土穴から出入りする手足の長い毛むくじゃらな原始的な人たちが土蜘蛛に例えられたといったことです。蜘蛛といっても本当の蜘蛛ではなくて、もちろん人間なんです。 ところが中世に描かれた戯画などでは、土蜘蛛があたかも蜘蛛の化け物のような絵で描かれているんです。中世の人の想像に過ぎないのだけど、誰も実物を見た人などいませんから、それで納得してしまう。 埼玉県比企郡吉見町に吉見百穴と呼ばれる遺跡があります。100どころか219もの横穴がある。謎の古墳群と見られているけど、私はこれは土蜘蛛の住居ではなかったかと疑っています。 現代日本人は中世に描かれた戯画をそのまま受け取ってしまっていますが、それは中世の人の想像力で描かれたものであって、本当はそうではなかった筈なんです。 鬼、河童、天狗、なんでもそうです。異文化集団の、それぞれの特徴が誇張されて、命名されていますが、どれも元は人間だった筈なのです。
お礼
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- shirouuda
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外国人説は古いですねえ。 今日の歴史研究のトレンドとして、 江戸時代以前は、日本人は凶暴な人が多く、 (1)村対村の戦争が珍しく無く、隣村と戦って得た捕虜を奴隷として売る事も珍しく無い。恒例だったため、身内が奴隷として売られた場合に、買い戻すための借金の方法まで確立されていた近江の村の記録もある。 (2)上杉謙信の軍の下級兵士の略奪はひどく、関東を地獄に変えたという。他の戦国大名の軍も似たりよったり。比較的、軍記が厳しかったとそれる織田軍にも酷い略奪と奴隷狩りの記録がある。 わざわざ、外国人のせいにしなくても、国内産の悪行には事欠きませんでした。 今日の「学校の怪談」のように、外国人に関係なく、犯罪にも関係なく、「原始的」な人間の精神は、怪異譚を生むものなのでしょう。
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