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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:ヘルダーリンの「生の行路」の手塚訳について)
ヘルダーリンの「生の行路」の手塚訳について
このQ&Aのポイント
- im schiefesten Orkusはschief(傾いた、不正確な、ゆがんだ)の最上級と思いますがこれが何で「ひびきの絶えた」になるのでしょうか?
- この文章の主語は ein Grades, ein Recht だとおもいます。 Gradesはgerade(まっすぐ)が名詞化したもの。つまり真っすぐなもの、Rechtは正義。だから訳としては昇るにせよ、下るにせよ、真っすぐなもの、正義なるものが、ものいわぬ自然が未来の日々を思念のうちに孕んでいる聖なる夜の内に、最もゆがんだ冥府においても、漂ってはいないのだろうか?と訳すのが素直と思います。どうしてこの文章が「愛のいぶき」は吹きかよっているのではないか。になってしまうのでしょうか?
- 質問者は、「im schiefesten Orkus」が「ひびきの絶えた」に訳される理由と、「一番ゆがんだ冥府」という訳が「愛のいぶき」となる理由を知りたいとしています。
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質問者が選んだベストアンサー
手塚訳は、どの版から訳したものでしょうか? 手元にはInsel版の簡単な撰集しか持っていないのですが、 この注を見ると、この部分は元々以下のようになっていたと書いてあります。 Weht im untersten Orkus Nicht ein liebender Othem auch? 手塚訳はこの文に沿っているような気がします。 「ひびきの絶えた」ですが、この詩の注に An die Schwester schreibt Hölderlin im April 1797: Es ist nicht bel, wenn man in der Jugend oben hinaus will; aber das reifere Leben neigt sich wieder zum Menschlichen und Stillen. とあります。 これを踏まえて訳しているような気がします。 ヘルダーリンだけでなく、注釈なしに詩を読むのは困難です。 何かお捜しになることを奨めます。 蛇足ですが、手塚氏はProf. Sondernのペンネームで紙上誤訳批評をやっていた時期があったと聞いています。 そういう方ですから、訳は正確なほうだと思います。Faust訳でも「正確すぎてつまらない」という評を聞いたことがあります。 結論:拠っている版の違いではないかと感じます。確認してみてください。
お礼
cherry77様 貴重なご教示をありがとうございました。 私はヘルダーリンの詩集がどのようにして出来たのかは全く知りませんでした。ましてや違う版が存在してるとは思いもよりませんでした。 しかい私も詩を書く立場からして版によって同じ題名の詩が異なる詩句となることは痛いほど理解できます。 今すぐ手塚富雄がどの本を訳したのかは確認するすべがありませんが図書館に行って調べてきます。 本当にありがとうございました。