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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:破壊者への対応と保守主義が馬鹿にされていること)

破壊者への対応と保守主義が馬鹿にされていること

このQ&Aのポイント
  • 時代によって反動と革新の2択であったり、もしくはセットであったりします。ロシア帝国の時代とフランス革命の後、革新と反動をしたりしますね。
  • 破壊者が権力を握る時代というのは私にとって、苦痛です。少なくとも自分が破壊されたくないです。過激な空気を出してひたすら暴走していく恐さみたいなものがありますね。
  • 保守主義とは一つの立派な思想であるにもかかわらず、理解されず保守が変化しないとか怠け者とか地味であるとかいうイメージがあって現在日本では馬鹿にされているような気がするのです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • hekiyu
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回答No.3

”保守主義とは一つの立派な思想であるにもかかわらず、”       ↑ 保守と革新ですが、革新というのは人間の理性を 信用します。 人間には理性があるんだから、合理的思索の結果 正しいことをひたすらやり抜けば、それでよい社会 になる、と考えます。 だから、不合理な伝統や習慣をバカにして、廃止 したりします。 理想的な社会を妄想し、突き進もうとします。 それをやって見事に失敗したのが社会主義諸国です。 これに対して、保守は、人間の理性など当てにならない と考えます。 だから試行錯誤を重要視します。 試行錯誤の結果が伝統であり習慣です。 一見すると不合理に思える伝統や習慣も、試行錯誤の 結果であるからむやみに廃止するな、と考えます。 今までの歴史を見る限り、私も、保守の方が優れて いると思います。 ”保守が変化しないとか怠け者とか地味であるとかいうイメージがあって  現在日本では馬鹿にされているような気がするのです”       ↑ 御指摘のように、変化こそが望ましい、という風潮になっている ように感じますが、それはマスコミが作り出した幻想だと思います。 インテリ、知識人は理性が発達していますから、ともすれば 理性に頼りがちになります。 それは傲慢です。 人間は、それほど賢くありません。 保守は人間の謙虚さの上に成り立っている考え方です。 革新は傲慢、思い上がりの思想です。 ”大挙しながらみんなで同意しながら方向が正しい間違っているを問わず  暴走していく空気が発生した場合、どういう心がけが大切ですか。”       ↑ 自分の価値観をしっかり構築しておくことだと思います。 その上で死んだふりをすることです。 覚悟も無いのに、政治活動に参加するのは危険です。

noname#209756
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 保守主義についての良さを教えていただいたと思ってます。

その他の回答 (4)

  • staratras
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回答No.5

>私は良識に基づいた従来の価値観も大事にしながら、少しづつ改良していきたいと思うほうです。 戦後の日本では、敗戦直後の混乱期を除けば、このような考え方がずっと多数派であったのではないでしょうか。特に昭和30年(1955年)の保守合同以降は、細川・羽田内閣の約1年と鳩山・菅・野田内閣の3年あまりを除いた期間はずっと自由民主党が政権与党の座にありました。自民党内の政治的な考え方は昔も今も幅広いものがありますが、上記の考え方が最大公約数的なものだと思います。 ただし、世間の価値観の大勢はそうであるとしても、それが選挙結果として現れる形は変わってきたように思います。昭和から平成に変わるころ、仕事で付き合いがあった当時の自民党・社会党などで選挙の現場を仕切っている立場の人たちが異口同音に語っていたのは「最近の選挙はわからなくなった」ということでした。 具体的に言えば、それまでの選挙は有権者が帰属している集団によってだいたい投票する候補者が決まっていました。農協・漁協の組合員や家族はおおむね組合が推す保守系候補に、労働組合員である民間会社員や官公庁労働者の多くは組合推薦の革新系候補に投票していました。また企業が特定の候補を強く支援する「企業ぐるみ選挙」も盛んでした。ところが、そのころからそうした組織の力が低下し、選挙がその時々の政治的な潮流(いわゆる「風」)に大きく影響されるようになったということです。 その後、衆議院選挙に小選挙区制が導入されるようになって、この傾向はますます顕著になりました。これをいわゆる「組織ぐるみ」「企業ぐるみ」選挙ではなく、個人の自主的選択によって投票するようになったことだと考えればよいことですが、一方では選挙結果の振れ幅が極端に大きくなって混乱をきたすことにもなっています。 ただし私は、これは過渡期に見られがちな一時的な現象で、長期的には「良識に基づいた従来の価値観も大事にしながら、少しづつ改良していきたい」という穏健な保守主義と、「実現可能な理想を掲げて、できるだけ早く改革の推進を目指す」穏健な進歩主義の二つの流れに大きくは収斂していくのではないかと考えています。ただこの両者はどちらかといえば地味で、派手に人気を集めそうな考え方ではありません。 特定の「敵」を作って攻撃を集中し、それを倒しさえすればすぐによい世の中が来るかのように宣伝する人たち(ご質問中の表現を借りれば「破壊者」)が一時的には脚光を浴びるかもしれませんが、それが永続するほど日本の有権者は総体として愚かではなく、破壊してはならないものを破壊する前に押しとどめるのではないかと考えますがいかがでしょうか。

noname#209756
質問者

お礼

収斂するという考え方。実際から類推していて非常に参考になります。ベストアンサーになっても不思議でない回答だと思ってます。 ご回答ありがとうございます。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.4

>私は良識に基づいた従来の価値観も大事にしながら、少しづつ改良していきたいと思うほうです。 歴史的に見ると、そういう人が必ず現れます。そして、そういう人って大抵その時点での体制の頂点にいたりします。しかし大抵、そういう人は失脚するか暗殺されます。なぜか。 改革を望む人から見ると、そういった穏健な改革は「手ぬるくて、先送りで、小手先の対策に過ぎない」と映ります。一方、保守派からすると「変えなくていいものを変えようとする変節漢」と映ります。つまり、双方から支持されないのです。 最近の例を挙げれば、ソ連のゴルバチョフ氏がそうでした。ゴルバチョフ氏はあくまで社会主義の枠の中で改革をしようとしました。ペレストロイカですね。ペレストロイカは社会主義の枠組みの中での改革を目指したのです。 しかし、改革で外の世界を知った人たちは「今の体制はおかしいのではないか?もっと抜本的な改革をすべきではないか?」と思うようになります。一方、今までの体制でオイシイ思いをしてきた人たちは「ペレストロイカのせいで生活が台無しになった」と思い、保守派は何度もクーデターを起こし、最終的にはソ連という体制が崩壊してしまいました。 日本の幕末でも、黒船来航のときの老中阿部正弘が「外様大名に意見を聞く」という前例のないことをしたのが結局徳川幕府崩壊へと繋がっていきました。阿部正弘はあくまで徳川幕藩体制の枠組みの中での改革をしようとしましたが、超保守派の徳川斉昭公はブチ切れました。 ちなみに私は割と急進改革派なほうですから、もし質問者さんと出会ったら「奴ァ手ぬるい!」というのではないかなと思います。

  • pigunosuke
  • ベストアンサー率19% (1063/5529)
回答No.2

破壊するとは考えず 断捨離をすると考えるです 人間に腕は2本しかありません 3個の物を同時に持つのは困難です だから より重要な物を選んで、捨てる覚悟をするです 大事にしている物を捨てる行為、 捨てて、新しい物を手に入れた時 後悔するかもしれませんね これこそがあなたの言う反動だと思います でも 捨てなければ手に入らない物もあるのです 捨ててから手に入れた物にどれだけの価値が在るか? それは 手に入れてみないと判らない物です

noname#209756
質問者

お礼

地味って賛同得にくいですよね。 ご回答ありがとうございます。

回答No.1

まったく馬鹿にされていませんよ。戦後70年間、一時期をのぞいて曲がりなりにも保守政党といわれる自民党が政権を握って来ました。 あなたは多数派です。改革を叫ぶ人は声は大きいですが、その分人も少ないです。人が少ないから騒いで存在感を発揮しようとしているだけともいえますが。橋下徹率いる維新の会とか、福島みずほの社民党みたいな人たちですね。

noname#209756
質問者

お礼

おっしゃる通りですね。 自民党中心でしたので。 ご回答ありがとうございます。