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進歩主義と保守主義のエリート喪失の損失
- 進歩主義と保守主義についての考え方とその問題点について述べる。
- 進歩主義の究極の目標は平等で民主主義的な社会だとされるが、それには高低感のない状態となるためのエリート教育や高度なものの存在が必要である。
- 一方、保守主義の主張によって独裁者が現れたり、反動が生じることもある。また、反平等や反民主主義には背徳的なイメージがあるが、それでもエリート教育や高度なものの存在は社会にとって重要である。
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昔の「食うに困らない貴族」の時代は、むしろ、貧しい家庭ながらも才能のある子をエリートとして育成しようという「パトロン」としての機能を果たして社会貢献をしていたのです。 しかし、才能のあるなしを見抜くことなく、全員にチャンスをあげよう、としたのが、戦後の日本であり、ロシア革命以降の共産主義国(の社会主義政策)なのです。 金持ちでもなんでもない、税金がないと運営できない国が、才能があるかどうかもわからない国民に均一なチャンスを与える、という「粒ぞろいだが、突出したエリートはでない」という世界です。いかにもマルクスの単純な経済モデルからの帰結らしい、単純な社会実験であるとともに、日本もそういう社会主義を「資本主義の上で」実装した、という面白い国になったわけです。 ですから、本当は戦前の日本みたいに、「とんでもない金持ち」を認めるかわりに、「とんでもないエリートを見出す」という家系が必要なのです。 その年の同級生100万人から100円余分に徴収してでも、1人に1億円の奨学金を与える、のを嫌がるような日本国なら、1億円をポンと出せる金持ちに出してもらったほうが制度として安定するのです。
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- kurinal
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pkuobe99様、おはようございます。 >「究極の進歩主義といえば、平等で民主主義で高低感のないものかと思ってます。」 社会における(経済的)成功者は、(当然ながら)税を、負担するのですね。 >「高低感がなければ、エリート教育やそこから生み出される高資本、高度のものも存在しなくなります。(もう一つの方向が革新的なものだとすると)」 どんなに「高度」なものでも、人権を侵害しないように心掛けるべき、でしょうし、 (・・・人権を侵害してたら、即不買ですか。) >「反平等や反民主主義って背徳的なイメージが漂いますが。」 そりゃ、そうでしょう。 (「反民主主義」って、、、中国で(すら)も選挙があって、付託された「行政」が、「なんでもあり」ではないでしょう?) 平等に「前提としての平等」と「結果としての平等」があるとしても、 人権を侵害しないように心掛けたいものですね。
- 雪中庵(@psytex)
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個人主義と全体主義の振幅というより、たとえば社会主義に おいて、「労働者が支配する社会を!」といって起きた革命 の結果、権力についた『労働者』が独裁者となったように、 同じ轍を踏んだ結果、「繰り返している」だけでしょう。 日本の歴史でも、元々軍事的に国をまとめた貴族が、権力の 座についた途端に腐敗し、やがて下働きとして使役していた 武士にとって代わられ、幕府として全国を支配したらやがて 腐敗して、地方の、それも大名ではない階級によって明治政府 が打ち立てられたように。