こんにちは。
お金は アイドルと同じように人気がありますが 拝金は その人気に乗じようとするスケベ心ではないでしょうか。
アイドルは 賞味期限があるようですが お金は 人気者であってしかも任期がありません。人間社会と同じかたちで無期です。
ですからその好き者は おカネというアイドルに何もかもを賭けるのでしょうね。
というのも 賭けるものもない人びとでさえ 最強のアイドルたるおカネの人気をうらやましがっているのですから 自分の財産をぜんぶつぎ込もうとする好き者にとっては 当たりはづれが少ないので安心です。
つまり 莫大な財産を持ってそのおカネを《スーパースター・おカネ》に賭ける人びとは 少数でしょうが その賭けにはリスクが イチかバチかと短期決戦をするようなリスクを別とすれば やはり少ないのでしょう。
つまり何故すくないか?
持てる者が 人生ぜんぶをおカネに賭けるのを見て 持たざる者がそれを《拝金》であると規定することによって おそらく アイドルさまの人気をいや増すその社会心理的な情況を醸し出すことにおいて・またはおカネをめぐる社会力学的な実態が《有力》で確乎たるものになることにおいて 寄与しているぶん おカネに賭けるリスクは少なくなるのではないでしょうか。
《拝金》が おとろえないのは 昔なら銅臭と言っておカネは汚いものだと言ったり馬車馬のニンジンであるとか ケチをつける人びとのその心の欲望によって支えられているからでしょうか。
かの偉いひとも言ったとか。《渇しても盗泉の水を飲まず》と。
おカネに罪はないでしょう。
お礼
savanya様、ご回答ありがとう御座います。 お金を払うほうが「ありがとう」と言うか、頂くほうが「ありがとう」と言うか。 「これで、いいのか?」「これで、いいのだ」 ・・・ ん、何か乖離してるな、という辺りが見えてきたかな。 >「一番大切なのはお金」 なんだか周回遅れな質問をしてしまったように思います。