• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:結婚相手に求めるものは現時点の私と未来の私違います)

結婚相手に求めるものは現時点の私と未来の私違います

このQ&Aのポイント
  • 結婚相手に求めるものは現時点の私と未来の私違います。人は成長して変化するものであり、結婚相手に求めるものも時間とともに変わっていく可能性があります。
  • 結婚は個人の成長とともに進むものであり、現時点で求めるものと未来で求めるものは異なる場合があります。自分自身が変化し成長することを考えた上で、結婚相手を選ぶ必要があります。
  • 結婚相手に求めるものは変化するものであり、現時点の基準が将来も同じであることは保証されません。自身の成長に合わせて求めるものを変えることは自然なことであり、無理に同じ基準を求める必要はありません。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • MOG777
  • ベストアンサー率14% (20/139)
回答No.6

普通に長い結婚でほぼ変わらない重要度をもつパラメーターを重視すればいいだけでは? 結婚と言うのは利害関係を共有することだと思うから、信頼性とか協調性が1番だと思うよ。

awayuki_cn
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。なるほど、長い結婚でほぼ変わらない重要度をもつパラメーターなのですね。とても参考になりました。本当にありがとうございました。

その他の回答 (19)

noname#176657
noname#176657
回答No.20

こんにちは。 ご質問を拝見して、あなたのお国の歴史書に由来する四字熟語「糟糠の妻(糟糠之妻不下堂)」をふと想起しました。 awayukiさんはこれをどのようにお考えになりますか。 (もしかすると日中双方で意味合いが微妙に異なるのかもしれません) awayukiさんのご意見のように、自分の成長を殆ど自分に帰すという考え方を基準にするなら、長い年月を経て伴侶に不満を抱くことを想定し現時点で結婚に少なからぬ不安を抱くというのも無理からぬこと。 他方、自分の成長を自身の努力のみならず、多少なりとも結婚相手の支えがあったからだという認識で捉えるのであれば、 積年のうちに相手に抱くであろう不満以上に相手に対する感謝の念や情愛などが勝ることにより、なかなかに離れ難いものかもしれませんね。

awayuki_cn
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございました。「糟糠の妻」は現代で「糟糠之妻不可棄」と言っています。つまり、貧しい時から連れ添って苦労を共にした妻を捨てはいけないという道徳観によるものです。私は賛成します。最後にもしもう愛がなければ、恩ならまだあります。ただ、これはあくまでは「糟糠の妻」が悪く変質しないことが条件です。ちなみに、この質問の本意は「糟糠の夫」を捨てることのよしあしを検討するわけではなく、最初から(つまり、結婚する前に)どのように「糟糠の夫」に値する結婚相手を見極める点にあります。

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.19

幸せになりたいと思って結婚するなら、その結婚は止めた方がいいと思います。 この人と一緒だったら、苦労もいとわないと思える人なら その人と結婚した方がいいと思います。

awayuki_cn
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。幸せになりたいので、結婚すると思います。「この人と一緒だったら、苦労もいとわない」も一種の幸せなので。本当にありがとうございました。

回答No.18

こんにちは、淡雪さん。 ◇1. 数年間ともに過ごした夫婦を 数年前に買った服と自分に例えるのですか? 例えとして成り立ちません。 気に入って買った服を置き去りにして 自分だけが成長することはあり得ますが、 人間同士が友達なり結婚なり関係を持ち、 どちらか片方だけが成長(変化)し 他方は置物のように変化しない という前提自体、成り立ちません。 人はそれぞれの「わたし」持つ 感覚や考えを披露し合い、話し合い聴き合い、 譲ってもらったり譲ったりしてお互い変化し合い 共同で判断・合意することができます。 小学校でケンカをする2人もそうです。 「あいつの言い分は気に食わない!」 と言ってどれだけ激しいケンカをしても だからといって「あいつゴミ箱に捨てるか。ポイ。」 ということにはなりません。 関係し合う者同士、共存し合うべく「育つ苦しみ」 は、例外なく誰もが持っていると思います。 ____________ ◇2. ※あくまで例です。 文の意味が変わりすぎていたら澄みません。 >何年か前に買った服が見つかって、いまとてもセンスが悪いと思います。 → 【先日・先ほど】何年か前に買った服を【見つけたのですが】、今【見ると】とてもセンスが悪いと【感じます】。 >なぜこんなセンスが悪い服を買ってしまったのかと当時の自分を厳しく聞きたくなりました。 → なぜ【このような】センス【の】悪い服を買ってしまったのかと当時の自分に【に】【無性に】【聞いてみたくなりました】。 >いま結婚相手に求めるものは → いま結婚相手に【求めているもの】【が】 >Bというものを重視に、 → Bというものを重視【して】、 >結婚相手の基準として変るかもしれません。 → 結婚相手の基準【が】【変わる】かもしれません。 >何年後か離婚という選択もあるのですが → 何年【か】後【に】離婚するという・・・ ___________ ◇3. 恋愛カテゴリーや結婚カテゴリーのほうが 良質な回答が付くと思います。 ___________ ◇4. しゃべらないという約束を破ってしまい 澄みませんでした。

回答No.17

面白い発送ですね。 30代既者です。 私は18歳年上の主人と前の職場で知り合いました。 バツ1で年の差のある彼とつきあった理由は、仕事ができて、視点や話題が豊富で、一緒にいると知的好奇心も満たされ、美味しいものもたくさん知っていて・・・憧れと尊敬の気持ちを持っていたからです。 当時は年の差なんて・・・と思っていましたが、今は子供のことやこれからの将来設計のことに不安がありますし、家庭よりも仕事重視の夫は独立して休みも殆どないので、 休日に仲良く出かける家族連れを見ると心から羨ましく思うこともよくあります。 というわけで、もちろん今と将来の理想は違います。 ただ、結婚の場合、急に理想が変わるわけではなく、その間一緒にいた時間があります。 ですので自分も徐々に変わっていますし、相手と一緒にいながら、価値観の違いや変化を認識しつつ、適度に妥協、調整しているのです。 ですので、洋服のように「何このセンス~!」と昔のものを引っ張り出して呆れるのとは異なり、 「昔はこんなこと考えていたな」と懐かしみながら、それとは違う今の状況を嘆いたり笑ったりできるのです。 また、基準というのも環境やその時の体調などによって簡単に変化します。 美味しいワインも気温や自分の気分、一緒にいる人やグラスが違うだけで味が変わってきます。 幸せと思うことも、仕事や家族の健康など、いろいろな条件によって日々変化していくものかと。 それは決して嫌なことではなく、パートナー(家族)を得る喜びですし一人では味わえない面白さだと私は思います。 留学生なのですし、未知なる変化もぜひ楽しんでもらえれば・・・と思います。 結婚は自分と相手、二人分の癖(いいところも悪いところも)とつきあうような感じです。 上手につきあえたらそんな悪いものではないですよ。

awayuki_cn
質問者

お礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。いろいろとても参考になりました。「仕事ができて、視点や話題が豊富で、一緒にいると知的好奇心も満たされ、美味しいものもたくさん知っていて」は長い結婚生活を経て、結婚相手には何が一番重要なのかに気づき、さきほど列挙されたものは未来でもうたいしたことでないと思ったらどうなるのでしょうか。たとえば、当時はやはり思いやるのある人を選ぶべきだったと後悔してしまったらどうなるのでしょうか。周りに結婚した友人の実際の例を見てこう感じました。

  • kotaro-h
  • ベストアンサー率40% (149/367)
回答No.16

こんにちは。 日本人のセンスも、この50年くらいでビルの1階と50階の 最上階の違いくらいに変わりました。 おふくろ(母親)の要らなくなった服を整理していたら 30年以上昔の服をみると、「日本人もよく、こんなの着ていたのだなあ」 と苦笑が漏れるようなのが、材質も悪く、どさっとでてきました。 中国の人が、今体験していること。人民服を着ていた1980年頃なんて、 信じられない時代では、ないでしょうか。 さて、それと結婚相手を比較することに、多くの日本人がブーイングを出しました。 これは、私は面白いQ&Aだと感じて読んでいます。 人間も過去と現在で、比べられたら、なんじゃらほいだと思うからです。 ひとつ。 過去より今の方が幸せかというと、女の人はたいてい「幸せ」と言います。 人間は進化しているか。頭の知識と知恵に関しては、脳のしわが増えて行く ことを、昔は誇ったものでした。 先進国の一員であった日本は、天狗になった(有頂天になっていた)時代も あったかもしれないので、あなたに言われると「カチン」と来る人も多いのじゃ ないでしょうか。 でも話は変わって、芸能人とか、成功者で、昔苦労を一緒にした仲間や無名時代の 妻を捨てて有名人と再婚する話も、よくあります。 そういう人は、普通ここの回答者に出て来ないので、あなたの例示した設問は、 私は100%NGではないように思えるのです。 さて最後に少し日本人の倫理観に付いて説明しますね。 社長さんに成る人、人生で成功する様な人でも、日本人は最初に選んだ相手に それ相応に成長して欲しいと思います。また「ついて来る」と言って 日本人の奥さんは、最初は地方出身でも一生懸命勉強して、マナーや躾、教養を 身につけて、社長夫人と呼ばれるに相応しい人柄になって行く例が多いのです。 日本人が社会や国際世界で、成功できた理由の一つには、こういった陰の努力があった これだけは、あまり真面目なナショナリストでない僕も説明しておきます。 どうかな。 少しは参考になりましたでしょうか。

awayuki_cn
質問者

お礼

 ご親切に回答していただきありがとうございました。参考になりました。

回答No.15

淡雪ちゃん、何考えているの。 人生とか人間ってそういうもんじゃぁないでしょう。 結婚って自分の為でも、相手の為でも、誰のためでもないし、社会や歴史の為でもないでしょう。 一つのそのときの出会いでしょう。 在っているか、不都合があったか生じるか、生じたか。 大事だが、それで結婚がどうの離婚がどうのではないでっしょう。 私は文科系の単科大学で学生関係教務関係の責任者を長くやっていて、学生との交流は大事にしてました。 あるとき、一学生が私が独身だと知った。では私は貴方の相手に立候補するっていってきました。 周りの学生達も、それっと応援しました。 その応援があろうとなかろうと、そういうふうに行ってこられた以上、人間たる者それを受け入れるべきでしょう。 何の期待も何も考えませんでした。 まぁ40年ほど続いていますが、そりゃ40年前の自分と今の自分は違いますし、いろいろなことがありますがね。 人生なんて、ただもう一つの道を歩いていくだけですので。自分という道を。 今、相手に何か想いがあるかどうか。ないかどうか。どっちでもない。 相手も自分を生きているんでしょうから。

awayuki_cn
質問者

お礼

 krya1998さん、いつもありがとうございます。結婚の決断はできるだけ私の心理上で成人の段階で決断してほしいです。けれど、いまの私は自分の人生のなかで、大人の時期なのか、まだ子どもの時期なのかよくわかりません。これは未来の私が自分の人生を振り返るときしかわからないことだと思います。私は未熟な自分がする決断はとても信用できません。つまり、自分を信じないということです。本当にありがとうございました。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.14

「最低な人間」というスレにもブロックされてしまう回答者が居ます。 ・・・だから、何?

awayuki_cn
質問者

お礼

 私は大丈夫ですよ。哲学的に考えてみたいだけです^^。

noname#194996
noname#194996
回答No.13

出来るだけ後悔しないように、その時点で最善の努力をして、それで後日ダメだったら、やっぱり離婚しかないと思います。未来のことは分からないし、完璧なことは人間には出来ません。 >できれば、一生一度だけ結婚したいと思います。 かなりのひとが(多分、間違った選択をしたくないという動機から)そう思っていますので、特に間違った考えではないと思いますが、むしろ、一生に最低一度は結婚したいと思っている人の方が多いのではないでしょうか。 >そう考えると、一生結婚できなくなるようです ここが間違っているように思います。必ずしもだめになるわけではなく、そうであっても、離婚して、また再婚すればいいのではないでしょうか、多少面倒が増え、金はかかりますが。 ご参考になれば。

awayuki_cn
質問者

お礼

 ご親切に回答していただきありがとうございました。参考になりました。

回答No.12

 こんにちは。  ★ ~~~~  何年か前に買った服が見つかって、いまとてもセンスが悪いと思います。  ・・・  そこで考えたのですが、結婚もこのことに似ているのではないのでしょうか。  ~~~~~~~  ☆ まったく似ても似つかないことです。  なぜなら服は意志がなく ひとは意志があるからです。  婚姻は 確かに衣服のように好き嫌いで決める要素もむろんありますが 基本的には人のみが持つこの意志による合意にもとづきます。  この合意は 好き嫌いを超えて互いの長所と短所とをともに飲み込み 長く連れ添うという中身を持つものです。  短所が のちにまったく知らなかったような問題を持ったものとして見つかった。としたら どうなるか?  衣服のように捨てるわけには行きません。  ただし どうしても耐えられないような短所だったとしたら 仕方がないでしょうから 互いに別れる合意に達するようにすれば よいのではないでしょうか。  問題は 互いの合意を得合うことではないでしょうか。

awayuki_cn
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございました。参考になりました。

回答No.11

「恋とは互いを見つめ合う事、愛とは同じ方向を見つめる事」 という言葉があります。 結婚において「相手に求める」のは、洋服のようにその時点で 固定されたものではなく、価値観や生き方といった「何年か後」を 包含したものであるべきです。 もし、何年かして相手が自分の求めるものと異なるようでは、 最初のご自分の“見る目”がなかったと言えるでしょう。

awayuki_cn
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございました。成長しないとわからないことだと思います。私はなぜタイトルはこのように断定できる言い方ができるかというと、過去の自分といまの自分の基準が違うからです。でも、過去の自分の基準はただ恋人の基準です。いまの自分の基準は結婚相手の基準です。正直にいって成長に伴ってもう変りました。でも、これは単に恋人の基準と結婚相手の基準の違いですね。違うのも当たり前だと思いました。でも、いまの結婚相手の基準も何年後か変る心配があります。私はいまの段階は自分の人生のなかの大人の段階であるかどうかよくわかりません。結婚の判断はできるだけ私の本質的に成人と言える大人の段階で決断してほしいです。けれど、私はいつも自分は未熟だと思っています。いい年なのに、成人したかどうかよくわかりません。

関連するQ&A