- 締切済み
「する」と「なる」どちらが他人事?
・・・にする、確かに「する」のは私、・・・になる、確かに自然に「なる」、勝手に「なる」ですが。 「する」は、貴方がしやすいように「する」と言う言い方があります、「する」のは私だか、貴方(他人)のためです。 貴方がしやすいようになる、ちょっとなじみにくいですが、言えないこともないですね、「なる」と言ったからには私の責任重大です。 つまり「なる」は成るとも書きます、成功しなければ意味がありません、「する」はしたけどダメだったと言い訳できます。 従って、一番のポイントを他人ごとと思えば「する」を使い、自身のことと思えば真剣に「なる」を使うと思いますが、間違っているでしょうか。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
みんなの回答
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
「する」と「なる」は、do と become の違いなのでしょう。 「貴方がしやすいようにする」は意志表明で、たとえば「仕事は、(わたしが)貴方がしやすいようにする」。 「貴方がしやすいようになる」は見解表明で、たとえば「仕事は、(結果として)貴方がしやすいようになる」。 前者は自らの行為自体に重点を置いており、後者はその行為の結果・到達点に重点を置いているという違いだと思います。 どちらも社長の発言だとした場合を考えてみると、後者は、 「仕事は、(わたしが尽力するので)(結果として)貴方がしやすいようになる」という意図にならざるを得ません。 これは、言ってみれば結果を請合いつつの意志表明とも言えるわけで、「貴方がしやすいようにする」よりも発言の重みは増すはずです。 「する」より「なる」のほうが重大、という質問者さんの主張は、このパターンに該当するように思われます。 様々な状況があるので一概には言い切れませんが、基本的には同意できます。 「今年中にTPPに参加できるようにする」または「今年中にTPPに参加できるようになる」と安部首相本人が発言する場合でも同じようなニュアンスになるはずです。 ただ、前者は首相しか言うことはできませんが、後者は一般国民が言うこともできます。 また、「仕事は、(社長が尽力するはずだから)(結果として)貴方がしやすいようになる」と友人が(無責任な推量に基づきつつ)言うこともできます。 これらの場合は、「なる」のほうが他人事というニュアンスになるわけですが、発言者が異なるわけなので、その点に留意が必要な場合もでてきます。
- nebnab
- ベストアンサー率34% (795/2317)
No3です。 > では、「医者になる」はどう説明できますか 自分の努力だけでは医者にはなれません。 周囲の人達から「あなたは医者である」と認められてはじめて医者になります。そして、周囲の人達があなたを認めるかどうか、あなた自身が決めることはできません。 現代日本社会ですと医師国家試験に合格しないといけません。どれだけ自分が一所懸命勉強しようとも、試験に合格するかどうかを決めることに対して自分の意志はおよびません。ケアレスミスで合格点に1点足りなかったからと言って「うっかりミスだから合格にしといてよ」と自分の意志で決めることはできません(仮にそれができたら不正と言われるでしょう)。 自分の意志だけでできるのが「する」で、自分の意志だけではできないのが「なる」だと思います。 他人ごとなのか自分自身のことなのかは関係ないでしょう。
お礼
再度の回答有り難うございます、確かにおっしゃる通りかと。 ただ、気になるのは、1人称(私は)で「する」と「なる」では「なる」の方が話者の強い?意志を感じる気がしました、もちろん現実に成れるかは貴方の言う通りと思います。 自分のことを表現するにあたり、「なる」で表現できるところをなぜ「する」で表現するのか気になりました。 自分の意志のみで可能の「する」は簡単です、自分の意志のみでは不可能を可能にするためには、それ相当の覚悟・努力が必要です(もちろんその保証はなくても)、その気持ちを評価したいと思いました。
- nebnab
- ベストアンサー率34% (795/2317)
> 貴方がしやすいようになる と言ってそうならなかった場合も、 「私の予想は外れた、申し訳ない」 と言い訳できると思うのですがいかがでしょうか。 「したけどダメだった」という言い訳が通るなら「予想が外れた」という言い訳も通ると私は思います。 「する」と「なる」の使い分けは「人が意志を持って『する』」のか「人の意志とは関係なく勝手に『なる』」のかの違いであって、他人ごとか自身のことかは関係ないと思います。
お礼
早速の回答ありがとうございます。 「なります」は予想ではなく、本人の意思と考えていました、英語のアイ、シャル(アイ、ウイルではなく)。 「する」は行動を起こすまでで、結果には言及していない、「なる」は、自然にそうなる場合もあり一がいには決めつけられないものの、「成る」と言ったからには予期した結果を出す必要があると思いました。 >「する」と「なる」の使い分けは「人が意志を持って『する』」のか「人の意志とは関係なく勝手に『なる』」のかの違いであって では、「医者になる」はどう説明できますか、「医者になる」と言うだけで、何の努力も必要なしとも取れますが。 表面的な意味では質問の最初にも断った通りです。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
>>一番のポイントを他人ごとと思えば「する」を使い、自身のことと思えば真剣に「なる」を使うと思いますが、間違っているでしょうか。 なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは 人の 成さぬ なりけり とか僕の祖母が言っていた言葉です。仰有る説と同じなのかどうかは分からないのですが、、、
すると、なるの違いは、 ~を、と~が、の違いで ~をの~は行為を表し、 ~がの~は行為をする対象を示します。 間違っているかどうかは、具体的例で考えてみればいいと思います。 そのためには、例が!もっと例が!
お礼
私の言いたいこと、ある程度のご理解いただいたと思います。 ただ、あまり突き詰める気はありません、「する」と「なる」のみではその時の状況でずいぶん意味が異なります。 私は(1人称)で使われるときで、「・・・する」、に対し、敢えて誰がするのかと確認すれば、「ママがします」(大分誇張しています)との返事が返って来ることもひょっとして・・・と思い「なる」の表現より「する」の表現は、まるで他人事としか考えていない(まごうこと無く自身のことで有りながら、自己主張を控える、悪く言えば責任回避、例 僕的には・・、此のサイトでも良く見かける、・・・ですよね、)場合もあるのでは・・・と思いました。 マッカーサーが言った、アイ・シャル・リターン、(アイ・リターン,アイ・ウイル・リターンに比べ話者の強い意志を含む)と比較できるのでは・・・・と思っただけです。