「する」と「なる」は、do と become の違いなのでしょう。
「貴方がしやすいようにする」は意志表明で、たとえば「仕事は、(わたしが)貴方がしやすいようにする」。
「貴方がしやすいようになる」は見解表明で、たとえば「仕事は、(結果として)貴方がしやすいようになる」。
前者は自らの行為自体に重点を置いており、後者はその行為の結果・到達点に重点を置いているという違いだと思います。
どちらも社長の発言だとした場合を考えてみると、後者は、
「仕事は、(わたしが尽力するので)(結果として)貴方がしやすいようになる」という意図にならざるを得ません。
これは、言ってみれば結果を請合いつつの意志表明とも言えるわけで、「貴方がしやすいようにする」よりも発言の重みは増すはずです。
「する」より「なる」のほうが重大、という質問者さんの主張は、このパターンに該当するように思われます。
様々な状況があるので一概には言い切れませんが、基本的には同意できます。
「今年中にTPPに参加できるようにする」または「今年中にTPPに参加できるようになる」と安部首相本人が発言する場合でも同じようなニュアンスになるはずです。
ただ、前者は首相しか言うことはできませんが、後者は一般国民が言うこともできます。
また、「仕事は、(社長が尽力するはずだから)(結果として)貴方がしやすいようになる」と友人が(無責任な推量に基づきつつ)言うこともできます。
これらの場合は、「なる」のほうが他人事というニュアンスになるわけですが、発言者が異なるわけなので、その点に留意が必要な場合もでてきます。
お礼
私の言いたいこと、ある程度のご理解いただいたと思います。 ただ、あまり突き詰める気はありません、「する」と「なる」のみではその時の状況でずいぶん意味が異なります。 私は(1人称)で使われるときで、「・・・する」、に対し、敢えて誰がするのかと確認すれば、「ママがします」(大分誇張しています)との返事が返って来ることもひょっとして・・・と思い「なる」の表現より「する」の表現は、まるで他人事としか考えていない(まごうこと無く自身のことで有りながら、自己主張を控える、悪く言えば責任回避、例 僕的には・・、此のサイトでも良く見かける、・・・ですよね、)場合もあるのでは・・・と思いました。 マッカーサーが言った、アイ・シャル・リターン、(アイ・リターン,アイ・ウイル・リターンに比べ話者の強い意志を含む)と比較できるのでは・・・・と思っただけです。