- ベストアンサー
父を看取る思いで、最期に何て言葉をかけるべきか
- 父が余命1週間と宣告されたため、最期の時間を大切に過ごしている私と家族。父に向けて言葉をかけることが悩みだが、感謝と懺悔の気持ちを伝えたい。
- 父の最後に言葉をかけることができる最後のチャンス。父が私たち子供を育てるために尽くしてくれたことに感謝の気持ちを伝え、過去の確執に対する悔いも伝えたい。
- 父の病状は肝硬変末期であり、食道の静脈瘤破裂による出血や腹水の問題などがある。父の最期に心からの感謝と懺悔の言葉を伝えたいが、何を言えばいいのか悩みがある。
- みんなの回答 (46)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
おばさんです。おはようございます。 昨日はお疲れ様でした。 毎日挨拶をするお位牌ですから、満足いかれるものがみつかり良かったですね。 少しずつでも手続きを進めることによって、気持ちの中に静かに静かに<受け入れ>が忍び込んできます。 でも、それは決して<忘れる>ことを促すわけじゃなく、極限の気持ちの救け(?)になっていってくれるものなんだと思っています。 無理をされませんように。 またね。
その他の回答 (45)
- jejemac
- ベストアンサー率23% (7/30)
弟さん家族、間に合って良かったです。 すごく気にしてらしたから、それだけでも気持ちが軽くなったのではありませんか。 愛する人を亡くした時、どんなに精一杯尽くしたとしても 必ず何かしらの後悔があります。 だからと言って、もうこれで十分と言える限度もありません。 でも、お父様の言葉、、、あなたがた家族にとても感謝してらっしゃるのがわかります。。 いっぱい伝わりましたね。 良かったです。 これだけ、きちんと気持ちが通じてのお別れ、羨ましいですよ。 お礼も言えぬまま あっというまの最期を迎えられる方も多数ですもの。 最期のその時まで、少しでも穏やかに過ごせますよう、お祈りしています。
お礼
ありがとうございます。 確かに、私たちは「恵まれている」と思います。 私たちは、18年前に阪神の大震災にあいました。 私たちも、かなりの財産を、震災で無くしました… その時、父は、かなりの「やけ酒」を飲みました。 それでC型肝炎を発症しました。 そして肝硬変、肝臓癌、肝硬変末期に… 震災での、やけ酒が、「今」の父の状態の始まりと思います。 でも、震災で家を失った、身寄りのないご老人が仮設住宅に入り 「孤独死」をしてしまう事態が、こちらのK新聞で、 ほんの数年前まで報道され続けました… そういう人もいる。 それと「比べれば」、父は恵まれ過ぎています… しかし、「比較論」で個人の事態を考えてはいけない と思います。 お金もあるじゃないか、家族も看病してくれるじゃないか。 そう言われても、私の父は世界に1人だけです。 完全看護の病院であっても、 父を1人にするのは、私たちは耐えられません… こういうのを「甘えている」というのでしょうか??? 「甘えている」と言う人も居ます。 私のこういう、非常識な?行為を 「自己陶酔」や「単なる気の紛らわせ」と言う人も居ます。 でも、それは、それで、各自の考えや意見を私が求めているので、 心ないとか非難とか、そういうふうに、受け取りません。 ただ、「ああ、そんな考え方をする人も居るんだな…」 って、解りました。 良い経験が出来ました。 どうして、こういうふうにしか考えられないのか? そこまで推測する余裕は、今の私には有りませんが。 長くなりましたね… こうやって、ついつい考えてしまって、 ついつい、削除せず、書くから、 全ての回答者の皆様にお礼が出来ないんですね… 「お礼だけ」なら 「お返事、ありがとうございました。」 これを「コピーして貼り付ければ」、 簡単に全ての人に、「お礼だけ」出来ます。 でも、それだけは「マナー」として、したくないと思います。 No.15の回答者様も、いろんな言葉を考えて、ひねり出して、 投稿してくださったと思います。 他の皆様も同じだと思います。 だから、私は、長くなってしまって、 結果、このサイトでは5件までしか質問出来ず、 今の事態では、どうしてもベストアンサーを決めて、 締め切らざるを得ないんです。 その点、どうか、ご配慮、お願いできないものでしょうか? 本当に長くなって、申し訳ありません。
補足
看取れなかった… 父が逝きました… コピペで失礼します。 10時過ぎ、弟から携帯に電話が。 兄貴、すぐきて!!! 10時40分に、行ったら、もう、父は息を引き取っていて… 母も間に合わず… 甥っ子と姪っ子の前で、泣いて、 ありがとうございました!!! おつかれさまでした!!!! 言いました。 悲しいよ。 悲しい。 こういうのを、悲しいというのか。 解りました。 平成25年3月16日11時10分 死亡確認 19時48分 まだ泣いている。 父は幸せ者です。
- 96183327
- ベストアンサー率17% (95/536)
はじめまして。 大多数が親が先に逝きます。 だいぶ前になりますが、私も、30歳の時に父が亡くなりました。 今まで通院・入院等したことがなく、突然家で倒れ、集中治療室に入り、医者からは2・3日が山場ですといわれ、入院して5日目に亡くなりました。 最期はおかげさまで家族全員そろって看取ることができました。 しかし、倒れた時に、夜中か明け方に相当家の中で歩き回ったらしく、部屋がとっちらかっていたため、救急隊員が強盗でも入ったのではないかと捉え警察に連絡したため、捜査員がやってくるし、家族一人一人に事情聴取されるは、事件ではないと確信を持てるまで、色々と不愉快な対応もされ、亡くなったら亡くなったで、通院履歴もなかったため解剖が義務付けられているために、サインをしろと迫られ、解剖室には警察も入り、談笑しながら解剖されている状況に、腸煮えくりかえるような思いを抱きながらと、短い時間の間に色々な事に対応し、その後は葬儀、相続等で、半年は雑務に追われ、本当の悲しみはその後どっときました。 長々、自分の体験を書いてしまいましたが、要は、どんなに自分が親孝行をしたと思っていたとしても、必ず、ああしてやれば、こうしてやればという思いは出てきます。 今の状況で、最期になんと声をかけてやったらいいかだの、とにかく自分はどうしたらいいだの、今、それを考えてその通りにしたとしても、後悔はしますよ? このような質問をしたところで、悲しみを乗り越え立ち直るのは、自分しかできませんし、時間も必要です。 あなたが、このような状況にもかかわらず、見ず知らずのネット上の人に依存して、命の期限の宣告をされているお父様からしたら、ジタバタして依存している息子の姿をみて、安心して天寿を全うできると思えますか? 色々な方がいて、色々な親子の別れ方があります。 あなたよりもっと理不尽な別れ方をした人も大勢います。 事件に巻き込まれたり・事故に遭われたり・震災で亡くなったり。 変な言い方ですが、私もですがあなたの親子の別れ方は一般的で普通ですし、違う観点から見れば恵まれていますよ。 今はパニックになっているのは解りますが、この様子では、あなたのお父様が気の毒でなりません。 余命わずかで、自分の息子がこんなに弱いとは情ないとはと思うのではないでしょうか。 自分がどうすればいいかは自分で決めること。 ましてや人の命の最期をどう迎えるかなんて、人に聞いて何になるのでしょうか? そんなことしている時間があり幸せな方です。 そんな姿を見せて、親が安心して旅立てないようなあなたは本当の親不孝者です。
お礼
厳しい、お叱りの言葉を受けました… 確かに、貴方の言われる通りです。 そうですね、この質問の仕方は間違っています。 「父を看取る時に、何て言えば良いか教えて下さい。」 は、間違っています。 でも、貴方の、お叱りの言葉の前の、 ご自分の体験談は、今の私の胸に染み込みました… お辛い体験を書いていただき、 貴方には辛い想いをさせてしまったと申し訳なく思い、 でも、 私は、2年前に亡くなった大好きだった祖母を思い出しました。 祖母は、母の母で、叔父が同じ敷地に同居?していましたが、 建物は、別でした。 叔父の嫁、つまり私の叔母にあたる女が、祖父、祖母を嫌い 寄りつかず、自分の子4人も、 つまり、祖父、祖母の孫も同じ敷地なのに、寄りつかないように しつけていました… 祖母は、1人で、古い大きな民家に住んでいましたが、 足腰は弱り、眼は白内障で見えなくなり、 何を食べているのかさえ分からない状態で、 でもこのK市から祖母のH市まで車で2時間ほどかかり、 母でさえ、月に1回ほどしか行けませんでした。 思い出します。辛いけど。 2年前のお正月も過ぎた頃、 H市の叔父から母に、祖母が亡くなっていると連絡がありました。 叔父が祖母を訪ねた時、死んでいた。 もう死後1週間と。 娘の前で泣いたのは初めてでした… こんな悔しいことなんて こんな悲しいことなんて 変死だったので、警察が入り、同じように検死=解剖で、 3~4日ほど葬儀が遅れました… 叔父を恨みました。 叔母を殺してやりたいぐらい恨みました。 でも、自分の家庭を持ったからといっても、 可愛がってくれたお婆ちゃんを訪ねなかった私も恨みました… すみません、お礼の内容ではないですね。 私はこうして、祖母の悲しい「死に方」も、 辛いけど、思い出すし、お伝えします
補足
16日 土曜 午前11辞意10分に父が逝き。 幸い?18日が友引なので? 17日は、私は鬱が出ないように休み、 18日、今日 19時から、お通夜 19日、明日 11時から、告別式 です。 父の亡骸は、母と弟に任せてしまいました… 私は、弱い兄貴です。弱い息子です。 私は、鬱病と言いながら、鬱を盾に逃げました。 でも、鬱は、まだ出ていません。出ているかも知れません… わからない… 父を、父を、立派に送らねば… 立派に送らねば… また、抗うつ剤を飲みます。 たぶん、また寝る… この2月から、父を看て、家の晩ご飯作って、 鬱にならなかったのが不思議なぐらいです… 必死だったのに… 父の最期を看取れなかったことにこだわって… ごめんなさい…
- utyatopi
- ベストアンサー率49% (1127/2257)
おばさんです。補足読みました。 貴方のお気持ちは充分私に伝わっています。 本当に大変な毎日の中、お礼を本当にありがとうございました。 昨日のお礼は・・・貴方の想いが溢れ・・・涙が止まりませんでした。 >おばさん、辛い想いをさせてしまいましたか??? いいえ、全然大丈夫ですよ。 もう、私自身はそんなに気負っているわけでもなく、自然体で、いつも私の心の中に<おだやかな父の姿>があるんです。 貴方に回答をしながら、いつもの<おだやかな父の姿>がそばにありました。 もちろん、当時は私も若かったし、独身でしたから、とても父の考えに気づくことなんてなかったし、考えさえもしていなかった。 ただただ父の死が怖くて、何にも出来なくて・・・ただじっと<その時>を待っていた・・・だけ・・・。 でも、おぼろげながら今になると、見えてきたものがある。 自分の気持ちに正直に、無理をせず、<お父ちゃん>からもらった命を精一杯生きること。 それだけで良いんだと。 親より早く死ななければ、それが何よりの親孝行なんだと。 当時、私と弟は・・・たとえ母が倒れても、<母に>悔いが残らないよう、看病<させてあげたい>と、思っていました。 だから大変だったのは母です。 ですが、あえて、そうしました。 私たちの選択は正しかったのかどうかはわかりませんが<父>を思ってしたことに、その判断なんていらないと思っています。 母が大病を病んだ手術の日、お願いするのは神様でも仏様でもなく、いつも<父>でした。 56歳という若さで逝ってしまった分、半ば強制的(?)に、たくさんの<願い事>をしてきました。 父はいつも裏切らず、ずっと母や私や弟を見守ってくれています。 >結婚10年の私には母の気持ちが理解出来ません…… 別に子供が親を理解する必要なんてないんですよ。 貴方が命を大切に精一杯生きてくれる以上に、望むことなんてありません。 貴方が奥様や、娘さんに愛情をかけていられれば、その姿だけで充分なんです。 貴方の笑顔がご両親にとって、何よりの<人生のご褒美>なんです。 休める時に、ゆっくり休まれてくださいね。
お礼
2時間ほど寝ていました… とりあえず? おばさん、ありがとう。 その他の12人の皆様、ありがとうございます。 今日は弟が東京から来て、病室に居てくれ、 母も甥っ子も居てくれるので、休めました。 13人?12人?の皆様全てにお礼が言いたい のですが、時間が無く、でもこんなに多くの人が投稿を… 本当に有り難いんです。 No.12の方には、不快な思いをさせてしまいました。 本当に、申し訳ありません・・・・・ このように、匿名を良いことに、 自分の身内の事情を公開の場にさらしていること、 自分でも、「非常識」と思っています。 不快な思いをさせてしまった方々には、 何ともお詫びのしようも有りません・・・・・ でも、敢えて、自分の利益優先で、書くならば、 同情だけでも良い、 これを読んでくださった方の体験談でも良い、 ダラダラした愚痴でも良い、 非難囂々でも良いです。 こんな、投稿の仕方は一生で一度あるかないかのもので、 匿名を良いことに、 私は開き直っているだけかも知れません。 人には各人、それぞれの境遇やそれに沿った生き方があって、 それぞれの個人の意見を持って生きています。 怒り、悲しみ、喜び、哀れみ、 そんな感情を持って、こんなモニターを見れる人は、 病院の部屋で、回復するかも知れない人、 死を待つだけかも知れない人、 このような人に少しだけでも思いをはせても良いんじゃないか? 偉そうな言い方ですが、 どうせ、私も私の娘も、「通る路」ですから、 どうせ、私も病院で点滴、酸素マスクの姿になります。 上手く書けませんが、 生きているから、そんな感情を持ち、 生きているから、パソコンに向かうことが出来る。 生きているから、疲れたといって寝る。また起きる。 生きているから、悩んでしまう。 生きると死の境目の人はどうなるんだ・・・・・・? 死んだらどうなるんだ・・・・・・? こんな匿名の世界で、非難を受けても痛くもないです。私は。 血圧を測られる度に顔をゆがめる父の顔を思い出します。 人間、生きててなんぼ。 父の言葉の重みが、やっと解りました。 もう、16時 今日は休めた。疲れてたのが取れた。 今から父に会える。甥っ子にも会える。弟にも会える。 この1ヶ月あまりの私は、「生きている」と感じます。 鬱病で希死念慮が有っても、生きている… つまらないこと書いたと思います。 不快な思いをさせてしまったとも思います。 感情の表現は、活字では難しいですね… では、これで、ひとまず失礼します。 m(_ _"m)
他の回答者様から非難を浴びる事を承知で書きます。 少し甘えすぎていませんか?人間最愛のものとはいつか別れなければなりません。あなたの場合は恵まれていて、そばにいてあげているのでしょう? その相手にどんな言葉をかけたら良いかなんて、その人でしか分かりません。結局自分に陶酔して、自己満足の世界での言葉探しにすぎません。 もっと具体的に言うなら、『ひげ剃り』だって、死の際して、しっかりと準備をしたいと下着まで新しく常に履き替えてもらっている人もいますし、男性ならば、ひげを剃ったさっぱりは、女性が味わえない事として、知られています。 お父様が断られたのは別に理由があるかもしれません。 あなたの過去質を拝見する限り、受け手の問題が多々含まれていますし、もっとはっきり言えば、御自分の気持ちを紛らわせるために質問をされているように思えます。 口を開いたついでにもう一つ、ご自分の質問は、お礼とともに、閉め切るのが、ルールでありマナーです。一人一人の回答者にお礼を言えないようであれば、もっとほかにやる事がある証拠です。 ご自分の環境に酔いしれるのはかまいませんが、不快に思う人もいるという事を認識してください。
お礼
看取れなかった… 父が逝きました… コピペで失礼します。 10時過ぎ、弟から携帯に電話が。 兄貴、すぐきて!!! 10時40分に、行ったら、もう、父は息を引き取っていて… 母も間に合わず… 甥っ子と姪っ子の前で、泣いて、 ありがとうございました!!! おつかれさまでした!!!! 言いました。 悲しいよ。 悲しい。 こういうのを、悲しいというのか。 解りました。 平成25年3月16日11時10分 死亡確認 19時48分 まだ泣いている。 父は幸せ者です。
補足
16日 土曜 午前11辞意10分に父が逝き。 幸い?18日が友引なので? 17日は、私は鬱が出ないように休み、 18日、今日 19時から、お通夜 19日、明日 11時から、告別式 です。 父の亡骸は、母と弟に任せてしまいました… 私は、弱い兄貴です。弱い息子です。 私は、鬱病と言いながら、鬱を盾に逃げました。 でも、鬱は、まだ出ていません。出ているかも知れません… わからない… 父を、父を、立派に送らねば… 立派に送らねば… また、抗うつ剤を飲みます。 たぶん、また寝る… この2月から、父を看て、家の晩ご飯作って、 鬱にならなかったのが不思議なぐらいです… 必死だったのに… 父の最期を看取れなかったことにこだわって… ごめんなさい…
お辛いでしょうね。でもお父さんを思う気持ちを伝えたいですね。 私自身が最後に子供から聞きたいとすればなんだろう、とふと思いました。 やはり、「お母さんの子供で幸せだった、ありがとう、ずっと覚えているからね、ずっと忘れない」でしょうか。 死に向かう人は、寿命がわかるのではないかと思います。大丈夫、まだがんばれる、その言葉は嬉しいでしょうが自分の細胞やすべての器官がもう寿命を迎えている事が本能でわかる気がします。こればかりは自分が当事者になったときにわかる事でしょうが、なんだかそんな気がしてなりません。 やはり、「父さんの息子で幸せだった。人生をたくさん教えてもらった。父さんの生き方をずっと忘れないよ。子供に必ず伝えていく。ありがとう、母さんの事は僕らが責任持つからね」 でしょうか。 残していくお母さんが心配でしょうし、やはり子供達にずっと自分を覚えていてほしいと思うでしょう。あなたは次世代を見せる事ができました。これはお父さんはとても嬉しかったと思います。命が繋がったのですから。 その子供にお父さんの人生を語り伝えてく事を約束してはどうでしょうか。
お礼
看取れなかった… 父が逝きました… コピペで失礼します。 10時過ぎ、弟から携帯に電話が。 兄貴、すぐきて!!! 10時40分に、行ったら、もう、父は息を引き取っていて… 母も間に合わず… 甥っ子と姪っ子の前で、泣いて、 ありがとうございました!!! おつかれさまでした!!!! 言いました。 悲しいよ。 悲しい。 こういうのを、悲しいというのか。 解りました。 平成25年3月16日11時10分 死亡確認 19時48分 まだ泣いている。 父は幸せ者です。
補足
16日 土曜 午前11辞意10分に父が逝き。 幸い?18日が友引なので? 17日は、私は鬱が出ないように休み、 18日、今日 19時から、お通夜 19日、明日 11時から、告別式 です。 父の亡骸は、母と弟に任せてしまいました… 私は、弱い兄貴です。弱い息子です。 私は、鬱病と言いながら、鬱を盾に逃げました。 でも、鬱は、まだ出ていません。出ているかも知れません… わからない… 父を、父を、立派に送らねば… 立派に送らねば… また、抗うつ剤を飲みます。 たぶん、また寝る… この2月から、父を看て、家の晩ご飯作って、 鬱にならなかったのが不思議なぐらいです… 必死だったのに… 父の最期を看取れなかったことにこだわって… ごめんなさい…
- Brian12
- ベストアンサー率26% (206/788)
そばに居られるならば、しっかりと手を握っているだけで充分ですよ。 言葉では語り尽くせないでしょうから。 逝く先は、あなたの心です。 いつも一緒にいるので、思った時その時に話す事ができますよ。 わたしは祖母と父と母と姉と義父といつも一緒です。 少しも寂しい思いはありません。
お礼
看取れなかった… 父が逝きました… コピペで失礼します。 10時過ぎ、弟から携帯に電話が。 兄貴、すぐきて!!! 10時40分に、行ったら、もう、父は息を引き取っていて… 母も間に合わず… 甥っ子と姪っ子の前で、泣いて、 ありがとうございました!!! おつかれさまでした!!!! 言いました。 悲しいよ。 悲しい。 こういうのを、悲しいというのか。 解りました。 平成25年3月16日11時10分 死亡確認 19時48分 まだ泣いている。 父は幸せ者です。
補足
16日 土曜 午前11辞意10分に父が逝き。 幸い?18日が友引なので? 17日は、私は鬱が出ないように休み、 18日、今日 19時から、お通夜 19日、明日 11時から、告別式 です。 父の亡骸は、母と弟に任せてしまいました… 私は、弱い兄貴です。弱い息子です。 私は、鬱病と言いながら、鬱を盾に逃げました。 でも、鬱は、まだ出ていません。出ているかも知れません… わからない… 父を、父を、立派に送らねば… 立派に送らねば… また、抗うつ剤を飲みます。 たぶん、また寝る… この2月から、父を看て、家の晩ご飯作って、 鬱にならなかったのが不思議なぐらいです… 必死だったのに… 父の最期を看取れなかったことにこだわって… ごめんなさい…
- toko1192
- ベストアンサー率0% (0/2)
私は6年前に父を白血病で亡くしました。 その時の経験で言うと・・・何も言えません。 何を言っても逝って良しと言っているような気がして怖くてありがとうも言えませんでした。 最後の1週間は意識もほとんどなく寝ているだけでしたが、毎日数時間横に座り、手を握り足を擦りながら 昔の事を一人で話していました。 子供の時の思い出や、最近の孫達のおもしろエピソード、たまに歌を歌ったり。 何となく、父の呼吸が穏やかだった気がします。 最後の瞬間は、おやすみと言いました。 お役に立てるかわからないけど、最後の時が少しでも遅いといいですね。
お礼
辛い体験、お話してくださり、 本当にありがとうございます。 もう、父は亡骸になりました。 あとは、立派に送るしかありません… こんな、簡単な文で、お礼することの非礼をお許しください…
補足
16日 土曜 午前11辞意10分に父が逝き。 幸い?18日が友引なので? 17日は、私は鬱が出ないように休み、 18日、今日 19時から、お通夜 19日、明日 11時から、告別式 です。 父の亡骸は、母と弟に任せてしまいました… 私は、弱い兄貴です。弱い息子です。 私は、鬱病と言いながら、鬱を盾に逃げました。 でも、鬱は、まだ出ていません。出ているかも知れません… わからない… 父を、父を、立派に送らねば… 立派に送らねば… また、抗うつ剤を飲みます。 たぶん、また寝る… この2月から、父を看て、家の晩ご飯作って、 鬱にならなかったのが不思議なぐらいです… 必死だったのに… 父の最期を看取れなかったことにこだわって… ごめんなさい…
- akiphil10
- ベストアンサー率33% (55/163)
以前から何度か拝見させていただいていましたが、いつもどうしても 的確なことが言えず、回答を書いては消し、書いては消し・・していました。 3日前に、「天に任せるわ」とおっしゃったとのこと。 その後の表情は、どのような状態でしょうか。 どなたでも亡くなる前に(それが一瞬なのか、数日前かは人によって違うようですが) すっと、漠然と死期を悟り、楽になる時間があるそうです。 私は、祖父母の看取りをしてきたし、介護職だったこともあって、 そういった場面に立ち合うことによって、その話に随分納得できるものがあるように 感じています。 なんというか、別の次元に行ってるな・・というような。 そして、それまで苦しんでいたとしても、案外その境地に至ると楽・・というか 苦しみをあまり感じずにいるように思います。 人の死というのは、どちらかというと送る側にとってショックなことです。 もっとあんなことやこんなことができたんじゃないか、そう思うのは多分こちら側だからです。 本人は、ひょっとしたら「あぁこれで楽になるなぁ」って思っているだけかもしれません。 苦しいより、楽な方が良いじゃないですか。 最後にかける言葉は、私は「ありがとうございました。お疲れ様でした。」 それしか言い様がありません。 特に、長く闘病した祖母(最後はなるべくとにかく生きていて欲しいという息子であるところの 父のために、いろんな処置をされましたから、体は辛かっただろうと思います)には 本当にそれしか言えませんでした。 お父様との葛藤、これまでいろんなことがあったとは思います。 でもたぶん、もうお父様はそういったことは全て赦しておられるでしょうし、 全然違う境地の・・それこそ次元の違うところにいらっしゃると思います。 なので、「あとはしっかり生きていきます」というお気持ちを持って、それ以外はとにかく ありがとう、それで良いのではないでしょうか。 うまく言えませんが・・・すみません。
お礼
看取れなかった… 父が逝きました… コピペで失礼します。 10時過ぎ、弟から携帯に電話が。 兄貴、すぐきて!!! 10時40分に、行ったら、もう、父は息を引き取っていて… 母も間に合わず… 甥っ子と姪っ子の前で、泣いて、 ありがとうございました!!! おつかれさまでした!!!! 言いました。 悲しいよ。 悲しい。 こういうのを、悲しいというのか。 解りました。 平成25年3月16日11時10分 死亡確認 19時48分 まだ泣いている。 父は幸せ者です。
補足
16日 土曜 午前11辞意10分に父が逝き。 幸い?18日が友引なので? 17日は、私は鬱が出ないように休み、 18日、今日 19時から、お通夜 19日、明日 11時から、告別式 です。 父の亡骸は、母と弟に任せてしまいました… 私は、弱い兄貴です。弱い息子です。 私は、鬱病と言いながら、鬱を盾に逃げました。 でも、鬱は、まだ出ていません。出ているかも知れません… わからない… 父を、父を、立派に送らねば… 立派に送らねば… また、抗うつ剤を飲みます。 たぶん、また寝る… この2月から、父を看て、家の晩ご飯作って、 鬱にならなかったのが不思議なぐらいです… 必死だったのに… 父の最期を看取れなかったことにこだわって… ごめんなさい…
- kurikuricyan
- ベストアンサー率14% (440/3139)
61歳の主婦です。 No.1さんと同意です。 私達人間の肉体は、革袋なのです。その革袋に魂が宿って肉体人間として生きているのです。 貴方のお父さんは、もうその革袋が必要で無くなったので、いま、まさに 魂が肉体という革袋を脱ぎ去ろうとされているのです。 亡くなられた方が一番心配されるのが、残された家族のことです。 「お父さんが、居なくても僕たち家族は、元気に生きてるよ」と安心させられることが 一番です。 また、貴方自身のためにも、飯田史彦さんの「生き甲斐の創造」という本を 読まれることをお薦めします。 医療関係者を中心に500万部読まれてる本です。 この本を読まれれば、お父さんの魂が肉体の痛み、苦しみから離れて 自由に楽になられたことを理解出来ることと思います。 2400円と若干お高いですが、あなたの家宝になることと思います。 「おとうさん!!やっと楽になれて良かったね」と喜んであげましょう。
お礼
看取れなかった… 父が逝きました… コピペで失礼します。 10時過ぎ、弟から携帯に電話が。 兄貴、すぐきて!!! 10時40分に、行ったら、もう、父は息を引き取っていて… 母も間に合わず… 甥っ子と姪っ子の前で、泣いて、 ありがとうございました!!! おつかれさまでした!!!! 言いました。 悲しいよ。 悲しい。 こういうのを、悲しいというのか。 解りました。 平成25年3月16日11時10分 死亡確認 19時48分 まだ泣いている。 父は幸せ者です。
補足
16日 土曜 午前11辞意10分に父が逝き。 幸い?18日が友引なので? 17日は、私は鬱が出ないように休み、 18日、今日 19時から、お通夜 19日、明日 11時から、告別式 です。 父の亡骸は、母と弟に任せてしまいました… 私は、弱い兄貴です。弱い息子です。 私は、鬱病と言いながら、鬱を盾に逃げました。 でも、鬱は、まだ出ていません。出ているかも知れません… わからない… 父を、父を、立派に送らねば… 立派に送らねば… また、抗うつ剤を飲みます。 たぶん、また寝る… この2月から、父を看て、家の晩ご飯作って、 鬱にならなかったのが不思議なぐらいです… 必死だったのに… 父の最期を看取れなかったことにこだわって… ごめんなさい…
- papanda26
- ベストアンサー率40% (407/1002)
ここまでずっとそばにいて、言葉をかけてくれた質問者さんです。 お父様は、息子の反抗期がちょっと長引いたことや人生の進路がどうかなど、もうとっくに許されてるはずですよ。 自分が逝く時に息子が「ごめんね…」と過去のことをこれからも悔やみ続けるであろうと分かれば お父様は大丈夫だろうかと不安になっちゃいます。 「ありがとう」の一言って不思議です。 大丈夫。こちらが思っている以上にお父様には伝わっています。 どう言っていいのか、私も言葉になりませんが、、 人生を全うし生き抜こうとしているお父様、素晴らしいと思います。 ご家族全員、お父様の元に集まられて、お父様もその絆に安心して旅立てると思います。
お礼
papanda26さん。 書きたいこと、いっぱいある。 けど、もう、鬱が出てしんどいよ…… ごめんね。 ごめんなさい。 少し寝ます。 本当に、ごめんなさい・・・・
補足
16日 土曜 午前11辞意10分に父が逝き。 幸い?18日が友引なので? 17日は、私は鬱が出ないように休み、 18日、今日 19時から、お通夜 19日、明日 11時から、告別式 です。 父の亡骸は、母と弟に任せてしまいました… 私は、弱い兄貴です。弱い息子です。 私は、鬱病と言いながら、鬱を盾に逃げました。 でも、鬱は、まだ出ていません。出ているかも知れません… わからない… 父を、父を、立派に送らねば… 立派に送らねば… また、抗うつ剤を飲みます。 たぶん、また寝る… この2月から、父を看て、家の晩ご飯作って、 鬱にならなかったのが不思議なぐらいです… 必死だったのに… 父の最期を看取れなかったことにこだわって… ごめんなさい…
お礼
はい、昨日はK市の中心街まで車で母を乗せて行って、 少し?母が「奮発?」しましたが、(^_^;) 父が宿ってくれる、黒くて良い、ご位牌を見て、 何か?出来上がるのが楽しみになりました。(*^-^)♪ 昨日はお寺さんが「喪」について説明してくれました。 「子」は「配偶者」より長く喪に服すらしいです。 父にとって私は直接「血」がつながっているからと。 1年と1ヶ月は「喪中」になるそうです。 まあ、相続の期限が10ヶ月で、 1年ぐらいは、父のことを想ってしまいますね… でも、もう、悲しいとか、そういう気持ちは薄れていき、 父が立派な「ご位牌」に宿って、 毎日、拝めると思うと、心が静まります。 「宗教なんて!」って思ったこともありましたが、 でも、昔から続いていることは、やっぱり有り難いです。 今日は、白檀の香りの、渦巻き線香をつけて、 父をお参りしました。 年金の書類が届いていたので、持ち帰り、 ちょっとチマチマと?書かないといけませんが(^_^;) 明日は母の家に私たち家族が押しかけて、 焼き肉パーティー?します。(;^_^A もう材料は買っています。(*^-^)ニコ/♪