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ドイツ語の文法に関する質問
- ドイツ語の文法について困っています。特に以下の文の解釈がわかりません。主語は何で述語は何ですか?
- ドイツ語の文法について質問です。この文での主語と述語の解釈が分かりません。
- ドイツ語の文法について質問です。この文の主語と述語を教えてください。
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おはようございます das System G eine der Anzahl dieser Unbekannten gleiche Anzahl von Gleichungen enthaelt 落ち着いて考えてみましょう。 dass節の最後に"haelt"とあるのですから、 これが動詞ですね。(よく見てください、過去分詞ではありません) ということは、一格と四格が必要です。 das System G が一格、 eine ... gleiche Anzahlが四格 でしょう。 gleiche は語尾に注目しましょう。冠飾句を作る形容詞ですね。 gleichは3格(der Anzahl)を取ることができます。 Anzahl「総数」は女性名詞です。辞書で意味も良く確認してください。 ところで、わたしはこのサイトのメンバーとならないで これまで覗いていただけですが、この文献の題名と、著者を 教えていただきたいと思います。
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- konstellation
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人文系はもちろん、原典を読むことが中心です。 翻訳はいろいろ問題があるのでしょうね。 >デカルト その後はライプニッツが有名ですね。 クリストッフェル氏のことを少し調べてみました。 ベルリンの工科大学にいたんですね。 ベルリンは、ちょうど18世紀の終わりに オイラーとラグランジュという数学者もいたところです。 >アインシュタインとか湯川秀樹のようなノーベル賞級の人は、 >みんなよく読んでいます さすがですね~。 「科学・学問」という言葉のもともとの意味は、「見た」です。 自分の目でみたことを、また頭の中に思い描いて見る、という再現も、 見る、ということに他なりません。 そうやって何回も見ることが、思考や省察となり、 きっと学問となるのでしょうね。 あ、アイデアがひらめくのも「見た」ということかな。 文系に必要不可欠な"lesen"も深い言葉ですが、 「読む」ということが主じゃない数学や物理にとっても、 良く見て拾い集めることは大切なのでしょうね。 ありがとうございました☆
お礼
そうですか、原典中心ですか。 途中で別の人間を介すると、その人間のレベルまで内容のレベルが落ちてしまうので、大事なことだと思います。 >その後はライプニッツが有名ですね。 そうでした。 >ベルリンは、ちょうど18世紀の終わりに >オイラーとラグランジュという数学者もいたところです。 お詳しいですね。 以前、ベータ関数やガンマ関数の起源がわからなかった時オイラーの原論文を読みました。 オイラーの論文はほとんどラテン語なんですよ。 >「科学・学問」という言葉のもともとの意味は、「見た」です。 そうなんですか。ギリシア語とかラテン語の話なのでしょうか。 「見た」ことをきっかけに、いろいろ考えたり、法則を発見するのが、学問なんでしょうね。 >文系に必要不可欠な"lesen"も深い言葉ですが、 >「読む」ということが主じゃない数学や物理にとっても、 >良く見て拾い集めることは大切なのでしょうね。 原理的にはクリストッフェルの論文を読まずに独力で考えても、いずれクリストッフェルと同じ結論に到達するでしょう。しかし、そのように今までの数学のすべての発見を独力で追体験しようとすると、仮に私がニュートン並の天才であっても何百年もかかってしまってしまうので、やはり「読む」ことは大事だと思います。 どうもありがとうございました。
- konstellation
- ベストアンサー率59% (38/64)
この書き込み欄、、、 対話するには不便ですね~。 左側の「回答の種類」とかにいちいちチェックを つけなければならないなんて。 とりあえず、NO.1と同じにさせていただきました。 文献の情報、ありがとうございました。 なるほど~、「1800年代」なのですね。 私は「1800年」と間違えて読んでいました。 数学はまったくわかりませんが、1800年ならば だれか有名な哲学者かな、と思っていました。 それにしても、そのような重要な文献も まだ日本語に翻訳されていないのでしょうか? まあ、人文科学系の優れた文献も、何十年 たってもまだ翻訳されないものとかありますからね~、しょうがないのかしら・・・ だけど、こうした事態は、日本での研究にとって 問題のような気もしますね。 がんばってください☆
お礼
そういうことでしたか。 デカルトとかの時代なら哲学と数学をやっている人もいましたね。 昔の原論文まで読み始めると物凄く大変なので、 物理や数学の世界は、1950年以前に発見されたことは教科書でさっさと終わらせて、最先端の研究に全力を注ぎこむという風潮が一般的です。 例えば、物理をやっている人は、ニュートンの力学を知っていますが、ニュートンが書いた「プリンキピア」を読んだことがある人なんて滅多にいません。 昔の文献で日本語訳があるものも、あるのですが、実際にはほとんど読まれていません。 ですから、物理や数学の文献は「需要が無いから訳も存在しないことが多い」という感じだと思います。 私が今、読んでいるクリストッフェルの論文は英訳さえ存在しないので、世界的にやはり需要は少ないと思われます。 だからといって、原論文が重要でないというわけではなくて、アインシュタインとか湯川秀樹のようなノーベル賞級の人は、みんな原論文をよく読んでいます。 恐らく人文科学系の方が、原典を読むことを重視しているのではないかと思います。 それでも翻訳がないこともあるのですね。
お礼
ありがとうございます。 よくわかりました。 dass文の中では動詞は最後に来るのですね。 「システムGはこの未知数の数と等しい方程式の数を含む」という意味でした。 わかってみると、質問をした自分が少し情けなく思えます。 私が読んでいる論文は E.B. Christoffelの「Ueber die Transformation der homogenen Differenzialausdruecke zweiten Grades」 J. reine und angewandte Mathematik 70(1869)S.46-70 (いわゆるクレレ誌に載っている)という論文です。 内容は2種類の空間が与えられたとき、その2種類の空間が等しくなるための条件を論じています。 アインシュタインの一般相対論でよくでてくるクリストッフェル記号、曲率テンソル、共変微分などを導入したという歴史的に価値のある論文です。