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ようです。ために。そのとき。

新聞や雑誌を見ていて思うのですが そのときはわからなかった。 風邪のため休み。 ~したようです。 など漢字で書きそうなものをひらがなで書くのは何故でしょうか。 その時、風邪の為、の様です。などかいたほうが文字数的にも良い気がするのですが ひらがなで表すもの、漢字にするもの 何か規定などあるのでしょうか。

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  • marisuka
  • ベストアンサー率38% (657/1685)
回答No.2

 ご質問の「とき」「ため」などは、現在の学校で教えている文法では「形式名詞」と呼ばれるものです。形式名詞はふつうひらがなで書きます。  ざっくりした説明をします。形式名詞とは、元は具体的な物事を表していたのに、具体的でない、あるくくり方・まとめ方をするために使われている名詞、というものです。  たとえば「とき」とは、元は時間、時間の流れなど、時間そのものをさす名詞です。    例文:時は待ってはくれない。時が過ぎるのは速い。  まとめる役割とは、「~したとき」「~だったとき」などです。こうした使われ方をした場合、形式名詞と呼ばれます。  「ため」も元は利益という意味でした。「為になる話」などと使われます。それが利益→目的・因果関係というふうに意味が移り変わり、「~のため」と使われるようになると形式名詞となるのです。  「もの」「こと」「はず」「わけ」「つもり」などなど、ほかにもたくさんあります。  「よう」は元は「様」だったはずですが、単独で使われることがなくなったので助動詞という扱いになったのでしょう。助動詞もひらがなで書きます。  というわけで、形式名詞と助動詞だからひらがなで書く(ことが多い・指針・目安)。でした。  もっと詳しく勉強したい場合はURLを開いてみてください。私は読むのがいやになりましたが。

参考URL:
http://www.geocities.jp/niwasaburoo/14keisikimeisi.html
ubakew
質問者

お礼

ありがとうございます。 大変参考になり、言葉とは自然に使っているようで深いものだと 感じました。 貴重なお時間に回答頂きありがとうございました。

その他の回答 (2)

回答No.3

「No.2  回答者:marisuka  回答日時:2013/02/27 23:38 」で、十分な気がしますが、なぜ、終わらないのでしょう。   個人的感覚では、現代文で「風邪の為、休みの様」と書かれると、品がないと思ってしまいます。筆書きや明治・大正の文学ならば「風邪の為、休みの様」と書れてもそれが自然だと感じます。 きっと、表現や表記は、時代と共に変化・変貌するのでしょう。 活字の印刷物でも、活字の字形が昔のものは古くさい感じがします。(旧字体という意味ではないです)審美的とか美的センスというのは大げさですが、その時代時代で、感じが良い表記スタイルがあるのだと思います。 文字数を節約できるかどうかで、送りがなを変えるのではなくて、それが自然にすーっと受け入れることができるのかが問題でしょう。

ubakew
質問者

お礼

なるほど。 たしかに印刷や筆書きで感じ方に違いがありますね。 今後電子書籍が普及したならまた変わっていくかもしれませんね。

  • tracer
  • ベストアンサー率41% (255/621)
回答No.1

言語は伝達手段であり、表現方法の一つです。 伝えることを目的としているため、伝わればいいのです。なので、テスト問題や公的な文書、あるいは正式な書類、手紙でなければ、「こうしなければならない」というルールは特にありません。もちろん、正式な日本語的として正しい書き方はありますが、基本は自由のはずです。 たとえば、ubakewさんは、小説を読むことはありますか? 一般に言われることは、小説は、文字と文字の間、単語と単語の間、行と行の間、節と節の間、ページとページの間、など、文字や言葉そのものではなく、その間で物語を読むと言われます。作者はその何もない間に物語を用意していますし、逆に言えば、読者はその間に物語を知る余地があるわけです。ニュース記事のように、ただ事実を淡々と伝えるものだけが「文章」ではありません。 平たく言ってしまえば、「表現」です。 「そのときはわからなかった。」は、なぜ漢字を使わないのだろうか。 つまり、そこに筆者の意図、あるいは物語があるわけです。

ubakew
質問者

お礼

ありがとうございます。 小説、雑誌等読んでいて、疑問におもこともありましたが 質問したかいがありました。 たすかりました。

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