日本の戦争目的はアジアを独立させる為と言う根拠。
開戦後間もない1942年1月21日に帝国議会で東条英機がした施政方針演説の内容があります。
http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/pm/19420121.SWJ.html
ここには
「大東亞共榮圏建設の根本方針は、實に肇國の大精神に淵源するものでありまして、大東亞の各國家及び各民族をして各々其の所を得しめ、帝國を核心とする道義に基く共存共榮の秩序を確立せんとするにあるのであります」
とあります。
『大東亞の各國家及び各民族をして各々其の所を得しめ』というのは、それぞれの国・民族毎に、それにふさわしい位置づけを与える、って意味の日本語ですね。
細部はともかく、この史料にある様な、占領地域毎に(日本側が考える)適当な地位を与える、日本の領土(直轄領などの植民地)にする所もあれば独立させる所もあるし、独立させる所でも“海軍は持たせない”程度のフィリピン、“軍事・外交・経済も日本がコントロールする”ジャワ島、等と言った様な差をつけるつもりだった事の反映です。
「帝国を核心とする」と言うのは、日本を中心とすると言い換えても同じですね。
そして、上記の引用の少し後に
『此の建設に當りましては、大東亞防衞の爲め絶對必要なる地域は、帝國自ら之を把握措置し、其の他の地域に關しましては、各民族の傳統、文化等に應じまして、戰局の進展に伴ひ、それぞれ適當なる處置に出ずる考へであります 』
とあります。
大東亜共栄圏の建設に当たっては(一応ここでは日本ではなく)大東亜防衛の為に絶対に必要な地域は「帝国自らが把握し」其の他の地域に関しては「後で、適当な処置をするつもり」って言っていますよね。
「帝国自らが把握し…」と言うのを独立させるつもり、と言う意味で理解する日本人は、当時でも今でもまず居ないでしょう。
さらに1941年11月20日大本営政府連絡会議決定「南方占領地行政実施要領」
(レファレンスコードC12120209400)からの引用です
『第一、方針
占領地に対しては差し当たり軍政を実施し治安の恢復、重要国防資源の急速獲得及び作戦軍の自活確保に資す
占領地領域の最終的帰属並に将来に対する処理に関しては別に之を定めるものとす』
『第二、要旨
(略)
七、国防資源取得と占領軍の現地自活の為民政に及ぼさるるを得ざる重圧は之を忍ばしめ宣撫上の要求は右目的に反せざる限度に止むるものとす
八、(略)
原住土民に対しては皇軍に対する信倚を助長せしむる如く指導し其の独立運動は過早に誘発せしむることを避くるものとす。』
東南アジアの当面の占領地行政の主目的が、資源獲得と駐留する軍の自活だった事がわかります。
そういう軍事上の目的が最優先である以上、現地住民に掛かる重圧は我慢させ、住民の支持を獲得する為に求められる事も軍事上の目的に反さない限度に止め、独立運動が盛り上がり過ぎない様にする、と言う意味ですね。
そして、これがこの質問には一番関係しますが、占領地域の最終的帰属(=例えばいずれ独立させるかどうか)は別途考える(この時点の大本営政府連絡会議は検討していなかったので、後で、と言う意味)とあります。
これが、真珠湾攻撃約2週間前の、事実上の最高決定機関である大本営政府連絡会議の方針です。
これは有名な資料ですが、1943年5月31日御前会議決定「大東亜政略指導大綱」(レファレンスコードC12120280400)からの引用です。
~~
第一 方針
(略)
二 政略態勢ノ整備ハ帝国ニ対スル諸国家民族ノ戦争協力強化ヲ主眼トシ特ニ支那問題ノ解決ニ資ス
(略)
第二 要領
(略)
(イ)「マライ」、「スマトラ」、「ジャワ」、「ボルネオ」、「セレベス」ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給源トシテ極力之ガ開発並ニ民心ノ把握ニ努ム
~~
“政治戦略は、占領地の民族を日本の戦争により強く協力させる事を主眼に行う”、“その為に、現在のマレーシアとインドネシアは、日本の領土に組み込む”、って事ですね。
さて…
これらの資料から『日本の対米英蘭戦争がアジアを独立させる事を目的にしていた』と言えるか…言える訳がありませんね。
『取り敢えずは軍政をひくがいずれは独立させるつもりだった』のでもありませんね。
そう言うつもりだったら、真珠湾攻撃のたった2週間前の時点で『占領地域の最終的帰属は後で考える』なんて言っていた訳がありませんからね。
独立させる事自体が目的であれば、最終的帰属は議論するまでもなく『独立』に決まっています。
では、仮に日本が負けずに東南アジアを占領したまま講和出来ていたらどうなったか、これも悩む様な話ではありませんね。
東條英機が施政方針演説で言っていた『大東亞の各國家及び各民族をして各々其の所を得しめ』、つまり日本の植民地になった所、独立した所、独立した中でも実質的な独立の度合は様々、って状況が取り敢えず実現したでしょう。
勿論、史実は日本は負けたのでそうはならず東南アジア諸国は英仏蘭と戦ったり交渉したりして独立したのと同様に、日本も戦争や交渉の結果、植民地を放棄する事になったかも知れませんけどね。
スローガンとしてアジアの“英米支配からの解放”は言っても、それらの地域の“独立”なんて事はスローガンとしても言っていませんでした。
あくまで英米支配からの解放であって、それらの地域に独立を日本が与えるかどうかは日本の判断(必要な地域は領土にする)と言うのが、東條英機の施政方針演説の様な公式発言にすら現れる日本の方針でした。
東南アジアの占領は一時的にせよ、その地域の英米(&オランダ)の支配を覆しただけで、
それを『アジアの“独立”が日本の目標』って事にすり替えている人達が《現在の》日本、特にネット上等では「東南アジアは感謝している。」とか最初からアジアの独立の為に日本は戦った「アジア解放戦争」だと言う意見が多いのですが、一体何を根拠に言っている事なのでしょうか?
お礼
ご説明誠にありがとうございます。