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文法について質問です。
A:『牛乳を飲む動作を止められた』=自分以外の者が介在している 『牛乳を飲む動作が勝手に止まった』=自分が起こしたというニュアンス B:『頭の中にあった「猛烈」という言葉が発せられた感じがした』=自分以外の者が介在している 『頭の中にあった「猛烈」という言葉が勝手に浮かんだ』=自分が起こしたというニュアンス C:『犬の吠え声が聞こえたことによって自分の頭の中の音楽を再生させられた感じがあった』=自分以外の者が介在している 『犬の吠え声が聞こえたことがきっかけで自分の頭の中の音楽が勝手に浮かんだ』=自分が起こしたというニュアンス D:『脳の活動を操られた感じがした』=自分以外の者が介在している 『脳の活動が勝手に動いた』=自分が起こしたというニュアンス 以上の解釈は正しいですか? 正しいのなら、その理由を、間違っているなら、どういう解釈になるかを教えて下さい。
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- CC_T
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NO.1補足回答。 「活動」が「動く」という重複表現は消えましたね。でも『脳の活動が意に反して操られた感じがした』も、どこか変な文章で、「脳の活動」という文句と、「意に反して操られた」がスムーズに繋がっていない感じがします。 心臓の鼓動にしろ、脳の活動にしろ、は普段から心臓や脳ってのは意識して制御できるものではありませんので、「動悸が早くなる」、「妄想が溢れ出る」、「意識を離れて思考が進む」などといった感覚的な表現の方が、他人に伝える文章としてシックリくる気がします。 『自分の事を、客観的な視点で表現する』小説的な表現で言うならば、例えば・・・ 「~ということがあった。自分の脳で経験した事でありながら、その思考や感覚は自分の意識から離れたものに感じた」 とかいう表現が穏当でしょう。 ~~~ 以下は本質問とは関係ないのですが、これまで拝見したあなたの体験のいくつかは、 「『△△』という言葉が不意に頭の中に浮かび、これは〇〇したことが引き金となってそうなったものと感じた」 「〇〇がおき、そのとき突然『△△』という幻聴が聞こえた」 「『〇〇』と聞いたはずが『△△』と誤認識がおき、それが『××』した途端に正しく『〇〇』だと認識が改められたように感じた」 といった表現ができると思います。 その他、 「~がおきた途端に~がおきた」 「~した瞬間に~がおきた」 「~によって~が強制された感じがあった」 などが違和感なく聞こえる文型だと思います。 他にも「~をきっかけにして」とか「~した拍子に」という表現も考えましたが、あなたの体験は前後の因果関係が誰にも説明できない類のものばかりで、前後関係で発展や連携を表す意味合いが強いこれらの表現の使用は適切ではないでしょうね。 無理に一つの文章に入れずに読点で区切るか、いっそ2つの文に分けてしまった方が文章としてまとめやすいのではないでしょうか。
- CC_T
- ベストアンサー率47% (1038/2202)
あいかわらず自我分裂に苦しんでおられるようで。 「勝手に」が入る文章は全て自分の意に反する行為を示し、自分の行為に「勝手に」を入れる事は自己喪失状態の暗示にあたります。つまりそこに「自己の意思」が介在しないという場合にのみ「勝手に」を使い、自分の行動を表す文章の中で「勝手に」を使う場合は、全て「無意識のうちに」や「意に反して」という言葉とそのまま置き換える事が可能な文章になるものです。 従って、 A:『牛乳を飲む動作が勝手に止まった』 B:『頭の中に「猛烈」という言葉が勝手に浮かんだ』 C:『犬の吠え声が聞こえたことがきっかけで、自分の頭の中に音楽が勝手に浮かんだ』 D:『脳の活動が勝手に動いた』←これは「活動」と「動く」という同義の言葉が重複していて、変な文章です。 は全て、自分の意に反した行為についてを、小説のような客観的視点で表した文章と言えます。 自分が起こした事柄を表したものではありますが、自分で起こした事柄を表したものではありません。 ちろん、自分で起こしたというニュアンスはそれぞれ、 A:『牛乳を飲む動作を止めた』 B:『頭の中に「猛烈」という言葉が浮かんだ』 C:『犬の吠え声が聞こえたことをきっかけに、頭の中に音楽が浮かんだ』 D:『脳が活動した』 となります。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうですね。CC_Tさんがおっしゃるように、 >A:『牛乳を飲む動作が勝手に止まった』 B:『頭の中に「猛烈」という言葉が勝手に浮かんだ』 C:『犬の吠え声が聞こえたことがきっかけで、自分の頭の中に音楽が勝手に浮かんだ』 ―――は自分の意に反した行為について小説のような客観的視点であらわした文章ですね。 正しい解釈だと僕も思いますが、D:『脳の活動が勝手に動いた』というのは脳の活動自体が意に反して操られた要するに勝手に起きたということであるので、そういう文章に書き表したのです。 『脳の活動自体が意に反して操られた感じがした』も変な文章ですかね? 自分が起こしたというニュアンスの文章ではないのですね。 スッキリしましたが、再度回答が欲しいと感じました。
補足
訂正です。 × 正しい解釈だと僕も思いますが、D:『脳の活動が勝手に動いた』というのは脳の活動自体が意に反して操られた要するに勝手に起きたということであるので、そういう文章に書き表したのです。 『脳の活動自体が意に反して操られた感じがした』も変な文章ですかね? ○ 正しい解釈だと僕も思いますが、D:『脳の活動が勝手に動いた』というのは脳の活動自体が操られた感じがした要するに勝手に起きたということであるので、そういう文章に書き表したのです。 『脳の活動自体が操られた感じがした』も変な文章ですかね?
お礼
再度御回答ありがとうございます! まずCC_Tさんがおっしゃったことと僕の考えは異なるので、それについて言います。 CC_Tさんは『自分の行動を表す文章の中で「勝手に」を使う場合は、全て「無意識のうちに」や「意に反して」という言葉とそのまま置き換える事が可能な文章になるものです』と回答しました。 しかし僕には「無意識のうちに」と「意に反して」は文意が異なると思ったのです。 無意識ということで疑問に思いました。 「自分が起こしたのではない」か、「意識して無くて起きる」のどちらの解釈になるかが知りたくなりました。 「意に反して」と「勝手に」は同様の意味だと思うのです。 それと「脳の活動が意に反して操られた感じがした』というのは変な文章とおっしゃったことについてですが、『脳の活動自体が操られた感じがした』と書いたつもりでした。 再度正しい一般的な文章かどうかが知りたくなりました。 >自分の脳で経験した事でありながら、その思考や感覚は自分の意識から離れたものに感じた : このことについて勝手に起きたというニュアンスなのか、無意識のうちに起きたというニュアンスのどっちなのかも知りたくなりました。 > 「~がおきた途端に~がおきた」 : そうですね。 自分の場合、「~がおきた途端に~がおきた」という言い方は自分の中で起きた出来事を述べるには妥当だと思いました。 >無理に一つの文章に入れずに読点で区切るか、いっそ2つの文に分けてしまった方が文章としてまとめやすいのではないでしょうか。 : それは『牛乳を飲む動きが勝手に止まった』と1つの文章で書くのではなくて、『牛乳を飲む動きが止まった。要するに勝手に起きた出来事である。』と2つの文に分けるという解釈だろう、と思いました。